間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松本サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象
それが大阪のどの辺だったかは覚えていないが、恐らく梅田からそう遠くはない場所だっただろう。十一月半ばの、夜六時を過ぎていたから、あたりは暗く、街灯もあまりなく、人通りも次第に少なくなっていった。 私をどこかへ連れて行こうとしている湯沢夏生(なつみ)は、喫茶店へ行くと言っていたが、こんなところに喫茶店があるのだろうかと、私は思った。 湯沢夏生とは、私が大阪へ来る前に、シェイクスピアの学会で再会した。最初に会ったのは、まだ修士課程の院生だった頃、英会話を習いに通っていた学校でのことだった。美人というのではない。ただ英語の発音がいいのに驚いた。そんなにいいなら、英会話など習いに来なくてもいいのに、と言ったら、使っていないと忘れちゃうから、と言った。 夏生は女子大の大学院生で、ほどなく私同様、シェイクスピアを専攻していることが分かったが、シェイクスピアを専攻しているなどというのは、英文学を専攻して
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