第二次大戦当時、日本陸軍の研究機関「登戸研究所」(現在の神奈川県川崎市・明治大学生田校舎のある場所)では、生物兵器、化学兵器、特攻兵器などさまざまな秘密兵器の開発が行われていました。 その中の一つ、「怪力線」と呼ばれる電波兵器の開発は、超低空で飛来するB29を撃墜するのを目的に、研究所が長野県に疎開移転されてからも続けられました。 しかし、結局この電波兵器が使用されることはなく、終戦と同時に陸軍から証拠隠滅が通達され、多くの資料が処分されることになります。 また、米国占領軍の「G2」と呼ばれる調査機関が疎開先の長野県まで出かけて研究内容の徹底調査を行った結果、残された研究資料の無条件提出と引き換えに所長以下全員の戦争責任が免除されることになりました。その後、研究者たちの一部は米軍に協力し、他の多くの人たちは、陸軍の協力会社等の職に就いたようです。 以下、当事の電波兵器開発の様子を「陸軍登戸