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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (98)

  • 死刑について - kom’s log

    一人の人間が一人の人間を殺すことは、マンガや大藪春彦の世界を除き、普通は死刑とはいわない。十人が殺す場合はどうだろうか?百人だったら?あるいは千人だったら?日の場合は一億人である。一億人が一人の人間を殺すことに合意している場合は、一般常識として死刑と呼ぶ。実際、日では8割が死刑に合意しているので、社会的な合意のもとで殺人がおこなわれることに肯定的なコンセンサスのある社会となっている[1]。 「イスラム国」は自称国家である。実体は山賊であり、しかも非常に邪悪な山賊である。宗教がどうか、以前に邪悪であり、人を誘拐しては平気で殺してしまう。で、2015年1月24日には身代金2億ドルを安倍首相に要求したのに72時間以内にまともな返答がないから日人を一人殺したとのことである[2]。これは彼ら自称国家にとっての死刑である。身の毛もよだつ犯罪である、理屈が邪悪だ、とか国家ではない、といった意見はと

    死刑について - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2015/01/27
    "「死刑に合意8割」と 「人質の1人殺害との情報」が私の見ていたヘッドラインでは交錯していた。二つの社会のこの意味での相同性、社会が与え、社会が許容する死の軽さに私自身は身震いした"
  • チョビット - kom’s log

    バルセロナでバルにいって飲み物の表を眺めているとウィスキー関連のあたりに量の目安で"Chupito"書かれている。この言葉はショットグラスを意味している。発音が"チョビット"。日語の「ちょびっと」と音がほぼ同じだし、意味もまさに「ちょびっと」。仰天して私は一発でこの単語を覚えてしまった。あなたがバルのカウンターで"ウィスキーちょびっと!"と日語でいえば、”(どれにする?)”と、顎をちょっと上げる店のおっさんの目線が飛んでくるわけである。私は実際に試して通じた。おそらく逆もしかり、日のバーでスペイン人のおっさんが”Whisky Chupito!”とスペイン語でいえば、おそらくわかってくれる。 うそー、と思う方はたとえば下記のサイトはバルセロナのショットバー「黒」であるが、Chupitoがショットグラスであることが確認できるだろう。 http://blog.lifestylebarce

    チョビット - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2014/10/17
    "ウィスキー関連のあたりに量の目安で"Chupito"書かれている。この言葉はショットグラスを意味している。発音が"チョビット"。日本語の「ちょびっと」と音がほぼ同じだし、意味もまさに「ちょびっと」"
  • 無珍先生の帰還 - kom’s log

    無珍先生がドイツに帰還して3ヶ月半になる。彼は結局、1年を日で過ごしわたしのもとに戻ってきた。戻ってきた、というよりも、あれやこれやの大人の事情で戻すことにした、というのが正しい。5歳の子供はまだ、悲しいほどに素直で泣きたくなるほど大人の言うなりなのである。実質上の母親である義理の妹との別れも、意外なほどあっさりしたものだった − というよりも、別れの悲しみという表象はまだ彼の中に確立していないのかもしれない。わたしが一年前、彼にしばしのわかれを告げた時に、表情もかえずにナミダだけボロボロと流したように。悲しみもまた、人間が学ぶなにがしかの表象なのである。 一年経って彼はすっかり少年になった。細いからだから弾けるようなエネルギーで突然走りだし、みるみる遠くまで走っていった向こう側から手をふって「はやくきてよ」せかす。そうかと思うと、先を行くわたしに「待ってっていっているでしょ」と半泣きに

    無珍先生の帰還 - kom’s log
  • 文学の普遍性 - kom’s log

    中国人の共同研究者がいった。 「まずはソーシャライズ、そのあとでビジネス、まさに東アジアの私達の社会ですね。やっぱりあなたは東アジアの人だ」 私は答える。 「ありがとう。でも東アジアだけじゃないんだよ。どこだってそうだ。僕らは我々を東アジアとして規定する必要はまったくない。でなければ文学の普遍性なんてありえないでしょ。ぼくらはまず飲んで笑う。話はそれからだ」。 返事はこなかった。 でもたぶん、日文化が世界の人々の琴線をゆさゆさとゆさぶるなにかは文化の普遍性においてし解釈しようがない。中華思想ではないのである。普遍、はスピノザの全く理解し難い汎神的ななにかだ。マクドナルドをうりつけるアメリカ人も、キッチュをキッチュとして排除するフランス人も理解しない。普遍性は辺境においてはじめてアジテーションとなるのである。私は辺境そのものだ。たぶん今の日がそうでない、と主張する以上に。 かくして極東の

    文学の普遍性 - kom’s log
  • スカイピング - kom’s log

    最近は実に便利なもので、テレビにHDMIで接続するスカイプを内蔵したカメラなどがあり、気軽にアクセスできる。スカイプコールはリモコンで受けることができるようになっている。受けるのは私の母であるが、接続を切るのは無珍先生もできるようになった。 毎日夜半になると無珍先生とスカイプする。日ではちょうど朝ごはんをべ終わったころである。彼はたいてい床に座り込んで、レゴやらおもちゃの電車やらミニカーやらあやとりに熱中している。昨日は座布団の上がジャングルで、そこに探検にいくかどうか迷う人々という設定の遊びをしていた。昨晩読んでもらったが森に行くという話だったらしい。 「だからー、森に行きたいの」 というので、また帰ったら行こう、だけど今度行くときはまだ冬だから寒いぞ−、と警告したが、寒くてもいいのだそうである。行ったら行ったで、寒い寒いと文句をいうんだろうなあ。 無珍先生はよく「遊ぶから見てて」

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2013/11/15
    “無珍先生はよく「遊ぶから見てて」と私に頼む。見ているだけ、なのだが、見ていてもらうのが重要らしい。私はじっと眺める。”
  • kom’s log - アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート主催2006年10月25、26日の東京におけるミーティングに関して。

    きっこの日記とか、森田実さんとかが、「アメリカは日中国戦争させようとしている」という話を書いていて気になっていた。 2005年10月25日、26日、ブッシュの支持基盤であるネオコン派の政治家、知識人が集まるワシントンの政策研究所、AEI・アメリカン・エンタープライズ・インスティテュートが主催して、日の国会議事堂裏のホテル、キャピトル東急で、「政策研究集会」が開かれた。テーマは、「日中国を、どのようにして戦争に突入させるか、そのプラン作り」である。 参加者はAEI所長クリストファー・デムス、次期総理・安倍晋三、鶴岡公ニ(外務省、総合外交政策局審議官)、山口昇(防衛庁、防衛研究所副所長、陸将補)、民主党・前党首・前原誠司、その他自民、民主の複数の議員。テーマは「有事、戦争に、どう対処するか」では無く、「中国と日を、どのようにして戦争に持って行くか」である。 きっこの日記 以下、副

    kom’s log - アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート主催2006年10月25、26日の東京におけるミーティングに関して。
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    jiangmin-alt 2013/08/18
    "それにしても米国側の要求の直截さはスゴイ。現場の雰囲気を知りたい人にはオススメ。"; もう削除されてる
  • 「日本を、取り戻す」 - kom’s log

    4週間ほど日に行っていた。うち2週間は無珍先生と過ごし、2週間は大阪仕事をしていた。計測開始以来という猛暑に居合わせたのにはまことに閉口したが、すくなくともそこにいたということでなんとなくオリンピックは参加することに意義がある的な気分である。庭で無珍先生とホースの水をぶっかけあうという懐かしうれしいようなこともできた。 ところで、あちらこちら移動していて目についたのが自民党の「日を、取り戻す」ポスターである。日の丸をバックにアベ首相が自信有りげに、なおかつ慈愛のこもった目つきで微笑んでいる。このポスターが、異様なほどあちらこちらに貼られている。日でずっと生活している人は慣れてしまってあまり異常だと思わないのかもしれないが、映画などでも描かれる全体主義の社会を限りなく模倣したような、そのような光景である。Big Brother is wathching you *1. 私は今の日

    「日本を、取り戻す」 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2013/08/18
    "アベはロードマップを与えられている。この話は2006年に本当かな、と思ってここでとりあえず触れたが、ほぼその通りに展開している、といえるだろう。"
  • カルフォッチ・デラ・ジュディア - kom’s log

    ユダヤ風アーティチョーク。ローマのユダヤ人地区の料理。深鍋に熱したオリーブオイルでじわじわと揚げたアーティチョーク。花弁の先端部分は芯が硬くて普通はべないのだが、こうしてべると揚げた鮭皮のようにパリパリとべることができる。 ドライフラワーのような、というよりも、まさにドライフラワー。春の料理なのにまるで秋のような料理。長い歴史をもつローマのユダヤ人の料理をつまみながら話した内容はサイードのOut of Placeだった。場違いであるこの私をいつか認めるようになった、というあの一節。

    カルフォッチ・デラ・ジュディア - kom’s log
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    jiangmin-alt 2013/04/11
    "ユダヤ風アーティチョーク。ローマのユダヤ人地区の料理。深鍋に熱したオリーブオイルでじわじわと揚げた" "ドライフラワーのような、というよりも、まさにドライフラワー。春の料理なのにまるで秋のような料理"
  • イデオロギー - kom’s log

    気温が摂氏15.0度である。これは測定値であり、厳密に測定された値である。一方、15.0度の屋外において半袖で1時間過ごしたときにどれだけの人間が風邪をひくか、という統計値があったとする。仮に100人に1人が風邪をひく、という結果だったとする。なにもしなくても健康の不注意から風邪をひくことはあるわけで、このことを勘案した上での解析結果、余剰のリスクである、とする。 あなたは15.0度の屋外で半袖のまま1時間過ごすべきだろうか。この国は妙な国で、国をあげて半袖で外で過ごすことを奨励している。薄着は健康の増進に役立ち、ひいては社会を安定させることになる、と考えられているからである。「半袖で社会貢献」などといった標語まであり、街角でそんなノボリをみかけることもある。 来科学者は、計測することしかできない。あくまでも計測。数字をだす。とはいえ、ある科学者は「100人に1人しか風邪を引かないんだっ

    イデオロギー - kom’s log
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    jiangmin-alt 2013/01/28
    花森安治と『暮しの手帖』
  • 2012年年末・日本 - kom’s log

    年末に3週間ほど日に帰国していた。なんだかんだいってクリスマス直前までデニーズに通って仕事をし、明けて3日にはこちらに戻ってくるという何しに行ったんだか、という滞在ではあったが、いちばんの目的であった無珍先生を日の幼稚園に通わせる、というプランを達成することができた。 デニーズの最近のデザートを全て制覇したのも特筆に値する。店内で無線LANを無料で使えるというのも、公衆ネット環境が時代遅れな日におけるゆっくりとした進歩を感じさせてくれた。席に座って周りを眺めると、ラップトップで仕事をしている人も結構いて、一度は大学院生っぽい男がRでなにやら計算して四苦八苦している様子で、おお、同志よ、ということでニヤニヤしてしまった。一方でファミリーレストランに行こうとしたら、以前は犬も歩けばファミレスにあたる、という感じで探す必要もなかったのにずいぶんと数が減ってしまった。高校時代ファミレスで放課

    2012年年末・日本 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2013/01/11
    "私が思い出すのはアメリカの中学校での経験だ。歴史の授業で真珠湾攻撃のことを学んだとき、あの授業のあとはなにやら級友の質問やいじめっこの難癖、針の筵のようだった。同じではない。しかしどこか同じである"
  • フランクフルトの税関 - kom’s log

    このところフランクフルトの税関で立て続けに演奏家のバイオリンが課税対象になってその場で払えない高額であるため没収された、という件が話題になっている。 http://matome.naver.jp/odai/2134941753199027401 http://nofrills.seesaa.net/article/296070497.html あららー、と思っていたら10日前私が日からドイツに戻ってきたとき、見事にフランクフルト空港ターミナル1の税関で引っかかった。私は近年税関で捕まることは滅多にないのだが、今回はいかにも移民風な安い布製のでかいスーツケースにボロい小さなボストンバックだったんで、怪しい、と思われたんだろうな、と捕まった瞬間に思った。以前はかなりヨレヨレの格好していたからよく捕まっていたものである。 とはいえ今回なにが問題になったかというと、スーツケースに一杯入っていた両

    フランクフルトの税関 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2012/10/10
    "この場合、ドイツに在住している人間が、国外(ドイツ国外)でなにか買ったらドイツで消費税を払え、というのがドイツの税務署の言い分になる。関税というより消費税の話なんだよな、これ"
  • 2012年9月28日夜 霞が関 - kom’s log

    でワークショップの講師をするため5日ほど出張した。時間をみつけて金曜の官邸前のデモに参加するつもりだった…のだが、山の中にカンヅメになっていた出張先からの移動に遅れて20時には間に合わず、それでも官邸前まで足を伸ばしたのだが、交差点の向かって左側の門で主催者らしき人々が撤収しているのをみかけただけだった。なんともさびしいなあ、などと思いながら、警察の護送車の車列をながめながらぶらぶら歩いていたら、財務省の前で映写会らしき集会を行なっている一群がいるのを見つけた。近づいてみると、「ふくしま集団疎開裁判」のグループだった。 ちょうど歩道の扇状になった部分を集会の空間にしている。より中心に近い部分の人々は座り込み、扇の中心部分はすこし高くなっていて、そこに立っている人からチェルノブイリの汚染状況と健康への影響の短い解説があったあと、NHKの特集の映写が行われた。電気はどこからきているのだろう

    2012年9月28日夜 霞が関 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2012/10/02
    "財務省の前で映写会らしき集会を行なっている一群がいるのを見つけた。近づいてみると、「ふくしま集団疎開裁判」のグループだった"
  • フィンランドの国際化 - kom’s log

    フィンランドのことでメモしておくべきことがある。2007年に教えたときと、今回2012年の大きな違い。学生の構成である。教室にやってくる学生は、院生からポスドクたちなのだが、2007年の時点ではそのほとんどがフィンランド人だった。留学生というと、スウェーデン人、イギリス人、ドイツ人がちらほら。日人もひとりだけいた。フィンランド人の学生って日の学生に良く似ているなあ、と思ったのは、講義の途中でなにか質問は?と聴くと、シーンとしている一方、では終わりますといって、廊下にでると小走りで追っかけてきて、すみません、ちょっと質問が、とすまなそうな顔をしていいに来るところだった。まあ、そんな感じだったのである。 5年後の2012年、教えに行ってみたらなんと半分以上、70%が留学生だった。ヨーロッパの留学生、というよりもインド人、中国人、アラブ人、ペルシャ人、アフリカ人。正直言って、あんなにたくさん

    フィンランドの国際化 - kom’s log
  • ボルドー断章 - kom’s log

    7月から8月半ばまで、夏だというのに申請書だの原稿だのフィンランドのプログラムだの〆切がいろいろあって、ドタバタしていた。技術関連のミーティングに登録したら、会議の紀要に論文を書くことが必須なのだという。生物系だと概要だけ書いて発表なので勝手が違う。理系でも分野による作法の違いは著しく。このあたりの差が、複合分野の場では申し合わせのなかった不測のあれこれを引き起こして慌てたりするのだが、まあ、なんというか、ある分野で常識と思っていることは他の分野では非常識だったりするわけである。違う文化。 - ドタバタしていたのはこれまでほとんど出張との組み合わせでしか休暇を取らなかった私には少々難度の高い家族旅行という〆切もあったからである。あらかじめの用事もなくスクラッチから旅行を考えるのは久しぶりだった。行き先は今や貧乏画家のフランス人の友人が住むボルドー。彼は「政治にまみれた科学」に失望しポスドク

    ボルドー断章 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2012/08/29
    樹上生活者すごい
  • 官邸前の難民 - kom’s log

    タイミングがあうとうちの車に同乗するヒッピーのような長髪の宇宙物理学のドイツ人に「ヒッグス粒子もりあがっているねー、パーティーはどんな感じ?ノーベル賞だね」と今日聞いてみたら、「いやはや、残念なことだ、見つからない方が面白いのに」などと斜めな事をいうんでニヤニヤしてしまった。彼はたぶん「ノーベル賞は自分がとる」と思っているのである。 - 原発事故によってその土地を奪われた人々は古典的な定義にしたがう真性の難民である。土地を失いすみかと慣れ親しんだ生活を捨て、持てるものだけを持ってあてどもなくさまよう、というのが難民だ。私もまたホンモノの難民の孫であり子供であるから、難民がどのようなものであるかを幼少の時から何度も聞いている。祖母の小さな引き出しの中に入っていた、背景がきりとられ人物だけが人型になっている数葉の家族写真は私の原体験でもある。 官邸前のデモの人々を私は写真や断片的な動画で眺める

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    jiangmin-alt 2012/07/21
    "思えばこの数十年の日本において、日本の人々は日本という国とむき出しの個人として向きあう状況が亢進し、中間集団が解体する過程であった。動員されずに集まることは、大きな反作用点のポテンシャルを持つ"
  • 表象と代議制 - kom’s log

    無珍先生は10までは数えられる。なおかつ58だけはゴジュウハチと知っている。いつも駐車する場所が58番だからである。で、隣に59という数字が壁にかかれていたので無珍先生に「あれいくつ?」と聞いたら、ちゃんとゴジュウキュウ、と答えた。「無珍先生は天才だ!」と誉めたら「無珍は天才じゃないよ、無珍は無珍だよ」不満そうな顔で反論した。なにかそれに類する話。 2012年6月29日金曜日夕方に日の首相官邸前で数万人規模の大飯原発再稼働反対デモが行われた*1。再稼働阻止という目標は達成されなかった。 前回述べたようにデモに参加することの第一の意味は個人的なものであるからして、かくなる人数の人間がおそらく人生初となる社会体験を行ったというのは、まあ、なんかそれだけで凄いことだ。加えて、表象と代表制という点において重大な意味がある。表象と代議制というと飛躍しているように思われるかも知れないが、英単語で考え

    表象と代議制 - kom’s log
  • 官邸デモと書式システム - kom’s log

    官邸を包囲するデモが毎週金曜日の夕方に行われ、週を経るごとに参集する人数がどんどん増えているのだそうである。私も東京にいたら出かけることだろう。デモというのは体感しないとわからないことがある。この点に関して5年前に書いたことがあるのでリンクする。 排除体積効果について その場に存在することが、単にある一定の体積を占めるということにおいて意味を持つ、というこの状況はやはり体感しないとわからない。上の文章で書いたネオナチ締め出しの話は、排除体積効果として物理的な意味を持っていたが、そこまで科学的に美しい結果とならなくとも、抗議のその場に一定の体積を占めて一人の人間が存在することは、シュプレッヒコール連呼やさらには暴徒化といった存在を主張する行動以前にもっとも質的で強力な抗議形態なのである。そこにいるだけで意味がある、というと、なにやら恋愛に目が眩んだ人間が口走りそうな台詞になるが、デモに参加

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  • 理解という許容 - kom’s log

    われわれが避けねばならぬのは、「理解するよう努める」ということの罠である。つまり、低線量被曝の確率的な健康被害が決着のつかぬ議論となる主要な理由は、誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある。そういった態度の紋切り型の一つに従えば、「何が起きているかを説明しようとすれば、少なくとも広島長崎のLSS調査の統計的な手法とその解釈を理解し、測定誤差や精度の理論、内部被曝の臓器モデルなどあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが、放射線の健康に対する影響の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば、健康被害に注がれる疫学的眼差し、つまりは集団レベルで記述された健康被害に対して観察者(同時に被害者)という個人が保っている距離を維持することに貢献するのである。言い換えるなら、福島原発の事故以後の出来事が証明しているのは、「理解することは許すことだ」とい

    理解という許容 - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/06/22
    "われわれが避けねばならぬのは、「理解するよう努める」ということの罠である。つまり、低線量被曝の確率的な健康被害が決着のつかぬ議論となる主要な理由は、誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある"
  • 愚弄の追認 - kom’s log

    原発の再稼働に急ぐ電力会社・野田政権・および経団連などの動向を耳にするにつけ、よくもまあ、人々をここまでコケにできるものだ、と私は思う。これは再稼働が妥当かどうか、という判断以前の問題だ。コケにされている圧倒的人数は不満を述べている。しかしそれはまるで蟷螂の斧であって、嬲られているという表現のほうが正しいかもしれない。 先日は「欺瞞」と書いた。欺瞞に対する人の反応も様々だ。感情的に怒ったり、逆にシニカルになったり、いやこの判断は妥当である、と述べてみたり、欺瞞に結託してみたり、経済が、と解釈したりしている。しかしそれもまた無関係。否定にしろ賛成にしろ、いずれにしろ追認にすぎないことはもはやはっきりしている。民主主義国家の亜形態として追認主義国家、という分類を作ったらよいかもしれない。 ひどいものだ、と思っていたら、このところ定期的に眺めていた日テレビドラマに、現在進行形のこの事態に対す

    愚弄の追認 - kom’s log
  • 断絶と欺瞞 - kom’s log

    北海道の泊原発が定期点検で2012年5月5日に停止してから、日で運転している原子炉はゼロになっていたが、6月下旬には福井の大飯原発が再稼働する見込みである。再稼働によってすでに存在している放射性廃棄物の量が劇的に変化するわけではない。あるいは夏が終われば止めればよい、のかもしれない。そもそも崩壊熱という現象を考えれば、原子炉の「停止」はスイッチのオン・オフとは原理的にことなっている。 とはいえ再稼働には欺瞞がある。歴史的な欺瞞である。 私が注目するのはその安全性の検証が311以前と同じような建前を中心に行われたという点である。「絶対安全」という原子力発電を推進するための標語的な建前がいつしか当のことになってしまい、政府関係者、電力会社の人間のほとんどがいつしか気でそれを信じるようになった、というおそらく福島の事故の最も根幹にある病因が、311後にほとんど変更もなく通用している。311

    断絶と欺瞞 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2012/06/06
    "「すでに膨大な投資をしたので後戻りはできない」という歴史にしろ個人にしろくりかえしみられる、あるいは教科書的とさえいえる破滅にまっしぐらパターンを踏襲"