昭和42年(1967)に、京都にあった旧賀陽宮邸の門を移築したものである。 総欅造りのもので、江戸時代には京都御苑内にあったが、明治時代初期に三十三間堂の東隣、現在の京都国立博物館の前に移築された。第二次世界大戦後には、日本赤十字社の所有となっていたが、昭和40年に敷地および建物の処分・撤去が決定し、旧賀陽宮邸と共に開基が譲り受けたものである。旧賀陽宮邸は焼失してしまい現存しないが、門が創建当時を偲ばせる。扁額は建仁寺派管長小堀泰巌老大師の筆によるものである。 鎌倉時代初期の名作、滋賀県大津市石山寺の国宝 多宝塔を模して建立された。均整のとれた姿は優美であり、屋根から天に向かって建つ相輪は特にこの塔の為に設計されており、その天蓋の風鐸が絶えず妙音が奏でている。 多宝塔とは、釈迦牟尼仏が「法華経」を説いた時、空中に七宝の塔が現われ、塔中の多宝仏(東方の宝浄世界にいるとされる)が釈迦牟尼仏を讃
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