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書籍データの破棄求める意見書=グーグル訴訟和解案にペンクラブ 書籍データの破棄求める意見書=グーグル訴訟和解案にペンクラブ 米グーグル社の書籍検索サービスの書籍無断複製は著作権を侵害するとして、米出版社協会などが起こした訴訟の修正和解案について、日本ペンクラブは26日、同社が保有する日本の書籍データの破棄などを求める意見書をニューヨーク南地区連邦地裁に提出すると発表した。 修正和解案では、ネット上で全文検索できるサービスの対象から日本の書籍は除外された。しかし、意見書は(1)これまで日本の書籍を無断でデジタル複写してきたことへの謝罪と同データの削除(2)今後は複製しないことの確約(3)国内の著作権者がこの問題への対応に要した経費の補償−などを求めている。(2010/01/26-21:01)
総務省の「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会」は2009年6月22日,違法音楽配信対策について,「携帯端末に違法音楽ファイルを識別する機能を備えるべき」という方向性を示した。これは,研究会の下に設けられた違法音楽配信対策ワーキンググループ(主査:慶應義塾大学准教授 菊池尚人氏)において検討されたものである。レコード会社をはじめとする音楽配信事業者の事業に影響を与えるだけでなく,出会い系サイトなど有害サイトの入り口になっているとの指摘があるため,根本的な解決策が求められていると違法音楽配信サイトを位置づける。 違法音楽ファイルの識別機能は具体的に,2段階の処理から成り立つ。まずフィンガープリントといった音源識別技術を用いて,CDなどの正規音源から作成された音楽ファイルか個人が作成した音楽ファイルかを判断する。次に音楽ファイルが,携帯電話事業者から提供されたエンコーダ
田中萬年氏が、同氏のホームページの「VT雑感」(VTとはヴォケーショナルトレーニングですもちろん)で、「ようやく出た『わたしのしごと館』の”意義”」というエッセイを書かれています。 http://www.geocities.jp/t11943nen/VTzakkan.html 満身の意を込めて同感ですので、そのまま引用しますね。 >「無駄」の象徴のようにマスコミからもたたかれた、「私のしごと館」の意義について、 2009年5月25日『京都新聞』が次のように紹介している。 ご周知のように、「私のしごと館」の廃止は既に決定しているが、その「私のしごと館」の活用策を探る市民フォーラムが24日に地元で開催されたという。 そのなかで、木津川市の元中学校長井上総さんは次のように発言したという。 「職業教育の必要性が高まる中、廃止は時代に逆行している。職業体験の機能を残すべき」。 「私のしごと館」の問題
「一太郎」で知られるジャストシステムがキーエンスの傘下に入ったというニュースは、今や昔といったところでしょうか。 先日の知的財産研究会で、「一太郎」特許事件においてジャストシステム側の代理人を務めた弁護士さんがレポーターとして研究発表をされていたのですが、官公庁を大口の顧客とする製品に関して、なぜしなくともよい冒険に敢えて踏み切ったのか(この事件で問題とされたところって、パッチを当ててプログラム本体から削除しても、特段の問題もなくプログラムを使える程度の些末的なところだったわけではないですか。)、「予防法務」という観点からは不思議でたまりません。このような技術が特許として認められていることが許せないというのであれば、特許無効審判を申し立てた上で、それが認められた段階で、次期バージョンからその技術を利用すればよかったはずであり、当時の一太郎のシェアからいえば、それで何の問題もなかったはずです
ソニー全社をあげて(この辺脚色してます)探していただいたB-CASカードが、本日無事返送されて参りましたー。いえー。 で、さっそくテレビに突っ込んでみたところ、問題なく映りましたー。ええー? 個人的には、映らなくなっているというのが本来の意味からすると正解のような気がしていたのだけど、どうもただの紛失の場合は、カードの再発行はされても元カード情報はそのままスルーのようである。 いやしかしこれ、実際にカードを個別にリモートで停止できるシステムになっているのだろうか、という疑問も湧く。もし停止できるとしたら、BSの放送波にカード個別の停止信号を乗せるしかない。ネットを使うという手もないこともないが、中にはモデム接続だったり、あるいはそもそもネットワークに接続していないテレビもあるだろうから、それは無理だろう。 ただの紛失にはいちいち対応しないということは考えられるが、もし盗難など緊急性の高い場
CDやレコードがファングッズにすぎないのであれば、そうした媒体に(デジタルであれ、アナログであれ)データが収まっている必要はないはずだ。 でも、我々がCDを、レコードを今でも欲しいと思うのは単なるファングッズを超える何かがそこにあるような気がしないでもない。 極端な話だが、今あるCDやレコードの代わりに、「データ」と「データの入っていない銀の円盤/ビニール」をもらえるとして、これまで通りの価値を見いだせるだろうか*1。どうも私には後者が抜けがらのように思えてならない。たとえ、データへのアクセスが一生保証されているとしても、CDやレコードに感じる魅力とは別のものと感じてしまう。 私には、CDやレコードという媒体にデータが入っていてこそ、価値があるように思える。CDやレコードというメディアを介して音楽を聞いていた世代のノスタルジーなんだろうか。CDやレコードのメディアとしての機能を、様式美とし
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