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2007年1月16日のブックマーク (6件)

  • 権力のもつ有効性 - 数学屋のメガネ

    現在の日の社会状況は、規律の乱れや道徳の荒廃が指摘されることが多いのではないだろうか。学校においても、学力の低下や、自由が放縦の様子を見せるなど、いわば勝手なふるまいをする子供たちを育てているように見える。かつての日では、人々はもっとまじめな生活に価値観を抱いていたし、学校でも子供たちは秩序に従う生活をしていた。 これは、かつての日人のほうが道徳的に優れていたことを意味するのだろうか。あるいは、かつての教員のほうが子供の指導力が高かったので、秩序を確立することができたのだろうか。これは、そう思いたい面もあると思うが、質的には「近代過渡期」が「近代成熟期」になったということがこのような変化をもたらしたのではないだろうかと僕は感じている。 「近代過渡期」の学校教育は、宮台氏が指摘するように、監獄と軍隊を手としていた権力的な押し付けを基としていたと思う。戦後民主主義は民主的な教育を実

    権力のもつ有効性 - 数学屋のメガネ
    jrf
    jrf 2007/01/16
    「小さな政府」の対極にあるのは「大きな政府」ではなく「信頼できる政府」だと思っていた。だが、それにもまた欺瞞というか「嘘くささ」を感じていた。ワードポリティクスに嵌まるのが私はイヤなのか?わからない
  • 個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ

    『自由とは何か』(佐伯啓思・著、講談社現代新書)というに大変興味深い記述があった。そこでは3年前のイラク人質事件に関連して、自らの自由意志でイラクに行った彼らの責任が、意志の「自由」というもので論理的に導出できるかと問いかけていた。 佐伯さんは、彼らがたとえ自分の意志で、国家の勧告に反して行ったとしても、どのような事件に巻き込まれようと自業自得で放っておいてもいいのだということにはならないという。近代国家には国民を守るべき責任があるというのだ。彼らがある意味では勝手に行ったのであろうとも、彼らの危機に対して国家はそれを救うのに全力を尽くさなければならない責任があるという。近代国家(民主主義国家ということだろうか)はそうでなければならないということだ。これは僕もそう思う。 これは感情面で同意できるというだけではなく、民主主義というものは、そのような原則を基礎にしなければ国家の安定が得られな

    個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ
    jrf
    jrf 2007/01/16
    自由のために「何か」が必要。だが「何か」の地位を占めようとするのが何であるかを同定するのにリベラリストならばもっと注意をおくべき、と、まず思った。再考し一般的「自由」のためというのが問題だと思った。
  • 永遠の命の現在価値 - *minx* [macska dot org in exile]

    ついでに id:rna:20070112:p3 から。 神を信じるのは合理的か否か、というと「パスカルの賭け」を思い出す。神を信じた時のリターンは無限大になる(永遠の命が得られるため)ので信じるほうが有利な賭けだという話。 しかし、「永遠の命」(ここでは天国で何の不自由もなく永遠に暮らせること、とする)の現在価値って、当に無限大なんだろうか。 例えば、「毎年100万円もらえる権利」の価値は無限ではない。毎年利子が100万円になるような額のファンドがあればそれと同じことなので、そうしたファンドに必要な金額を調べれば「毎年100万円もらえる権利」の価値になる。それがいくらになるのか調べていないけれども、有限であるはず。 でも、「毎年100万円もらえる権利」の場合、どうして無限に貰えるはずの将来の100万円が有限の価値になってしまうかというと、(1)お金自体が稀少であり、将来の100万円のため

    永遠の命の現在価値 - *minx* [macska dot org in exile]
    jrf
    jrf 2007/01/16
    価値が無限の物は本来、買えない。それが有限の価格で買えるように見えるとき、それは本当に有限の価値しかないのだろうか、それとも無限の価値こそ疑うべきか。私は罪の苦しみのない永遠を疑う異教の者でしかない
  • 神の存在/不在と「科学の範囲」 - *minx* [macska dot org in exile]

    最近、ドーキンスの『The God Delusion』とかマイケル・シャーマーの『なぜ人はニセ科学を信じるのか』とか(原文だけど)を読んだりデネットのロングインタビューをテレビで観たりした影響もあって(ほとんどドーキンスの影響だけどーーあのは良いよ)、id:NATROM さんの『進化論と創造論』サイトの「掲示板3」で神の存在/不在と科学の範囲についての議論をやっています。 というか、ほとんど一対多の論争になってしまっているのだけれど、いまのところそれほどボコボコにやられていないと思う(笑) 以下は、わたしが顰蹙を買っているさまざまな主張の例。 「神がいるかどうかは科学の範囲外」と一概に言うのはおかしい! 「奇跡」は科学の検証の対象となり得る!(そして宗教者はそれを認めている!) いわゆる「科学と宗教の住み分け」は不可能! てゆーか、科学と宗教は対等じゃねーんだよ!(暴言) 科学に分からな

    神の存在/不在と「科学の範囲」 - *minx* [macska dot org in exile]
    jrf
    jrf 2007/01/16
    >科学に分からないことはある。でもそれらは宗教にだって分からない!< 人の「動機付け」に私は着目したが「神の目的」に独立した意義があるのかも。奇跡のための奇跡があるのか。同時代性は科学が担保するのか。
  • ゾンビの経済学 - 池田信夫 blog

    先日のホワイトカラー・エグゼンプションに関する記事には、予想外の反響があった。私も企業ごとのミクロレベルでは、残業規制の緩和が労働強化に結びつく可能性はあると思う。しかしマクロに見ると、失業を減らす方法は(供給が所与である以上)労働需要を増やすしかなく、そのためには企業収益を高めるしかない。世の中では、正社員が減ってみんなフリーターになるように思われているが、実際には昨年の正社員総数は一昨年より増え、今年の新卒採用も大幅に増えた。つまり究極の雇用政策は、経済を活性化することなのである。 この場合、活性化を(投資水準が所与の)短期でとらえるか(投資が変動する)長期でとらえるかによって必要な政策は異なり、「構造改革かリフレか」といった二分法はナンセンスである。有効需要が大幅に不足してデフレになっているといった短期的な緊急事態に対しては、金融緩和によって投資需要を追加する(インフレによって実質

    jrf
    jrf 2007/01/16
    >退出した企業のTFPは生き残った企業よりも高い<。不稼動資産とサービス残業のさせやすさ(統計外の賃金の下げやすさ)の問題では?
  • http://green.ap.teacup.com/miurat/995.html

    jrf
    jrf 2007/01/16
    「神は不思議」というのには違和感があるが、「神は善とは限らない」「神よりも善を信望しろ」というのには魅力すら感じる。「善は危うい」では納得できない。人々はそこをどう超克しているのだろう。