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2007年6月16日のブックマーク (2件)

  • 運動の弁証法性 - 数学屋のメガネ

    ゼノンのパラドックスについて考えていたとき、板倉聖宣さんの解釈をとても面白いものだと感じたことがあった。板倉さんは『新哲学入門』(仮説社)の中で「運動は矛盾である」ということについて書いているのだが、この「矛盾」というのは、弁証法的な意味での「矛盾」であって、形式論理的な意味での「矛盾」ではないということを指摘している。 ゼノンのパラドックスでは、「飛んでいる矢は止まっている」というものがある。飛んでいる矢というのは、運動している矢のことだが、これを瞬間という時間で捉えてみると、ある瞬間の時間にはその矢は空間のどこかに位置を占めていなければならない。そうすると、その瞬間を記述すれば、その矢はそこで止まっていると言わざるを得ない。 しかし、運動している矢が止まっているというのは、運動という概念に反する。これは、「運動している矢は運動していない」という肯定と否定とが同時に成り立つという「矛盾」

    運動の弁証法性 - 数学屋のメガネ
    jrf
    jrf 2007/06/16
    ツッコミどころ多し。何かを「弁証法的」に導こうとしているのでしょう。それが何なのか今のところはわからない。微分を弁証法として(止揚の内在化?と)捉えるのは興味深い。
  • Tillichを通して: 霊的現臨が人格的自己決定を可能にする

    jrf
    jrf 2007/06/16
    絶望に至った者が恩恵によってしか救われないのは、周りの者が自己決定できず恩恵にすがっているだけだからではないか?禁止を超える者を待つのが建設的とは思えない。客観が大事か?あえていおう。神はなぐさめ。