僕はマルクスの『資本論』に何度か挑戦してその都度挫折している。それは、マルクスの叙述の抽象度の高さにあると今までは思っていた。抽象のレベルが高すぎるので、その過程を追うことが難しく、現実のどの面が捨てられていっているかを理解することが難しいのだと思っていた。しかし、大塚久雄さんの『社会科学の方法』を読んだら、抽象レベルの高さに加えて方法論的にも難しさがあるのではないかということを感じた。 抽象度の高さから言えば数学などは最高レベルの抽象度を持っている。だが、数学の場合は、抽象度は高くてもその過程が短い場合は理解が容易なので、そのようなものから抽象化の過程に慣れていって、その過程が複雑で長いものの理解へと進むような学習をしていく。いきなり複雑な過程を持つ高い抽象レベルの対象へ行くことはない。 『資本論』などは、数学的に言えば最高度の複雑性を持った抽象度がその難しさを与えていると僕は感じていた