田辺県の時代に発行された氏子札の表面(右)。生国や神社名、父親の名、性別、本人の氏名、出生年月日が記されている。左は氏子札の裏面。神官の氏名と札の発行年月日が記されている 和歌山県田辺市東陽の市歴史民俗資料館に「田邉縣」(田辺県)と記された木製の氏子札が展示されている。同市上秋津の男性(71)が、市教育委員会に寄贈した。「田辺県」は150年前に誕生して4カ月で廃止された。この氏子札は、そのわずかな期間に発行されている。市教委は「田辺県時代の貴重な資料で珍しい」としている。 和歌山県は紀伊国などと呼ばれたが江戸時代、徳川家康に味方した浅野幸長が治めて紀州藩が誕生した。その後、徳川頼宣が藩主となり、田辺と新宮に支藩が置かれた。 明治維新による1869(明治2)年の版籍奉還で紀州藩は和歌山、田辺、新宮の3藩に分けられた。さらに71(明治4)年の廃藩置県で3藩は和歌山県、田辺県、新宮県となったがす