サッカーに関するjunk-boyのブックマーク (11)

  • なぜ代表にFKの名手が不在なのか?中村俊輔と母校で考えた環境の話。(安藤隆人)

    薄暗い照明、黒色の土のグラウンド――1人の選手がボーっと薄く浮かび上がるように立っていた。 雨上がりでグラウンドには、まだあちらこちらに水たまりが残っており、その選手はスパイクもソックスも泥だらけになりながら、ただ黙々とボールを蹴り続けていた。 高校を卒業し、大学入学と同時にサッカージャーナリストになることを夢見て筆者が活動を開始した頃に見た風景だ。 強豪校としてメキメキと頭角を現し始めていた桐光学園の“ナンバー10”中村俊輔を見るべく、そのサッカー部のグラウンドを訪れていた。当時、まだ大学生だった私はグラウンドの中での取材ができず、孤独の中で練習に励む中村を、同じく1人で遠くから見つめていた。 全体練習が終わり、多くの部員達が引き上げてからも彼はグラウンドに残り、FKの練習をひたすら行っていた。 1人でボールを数個抱えて一箇所に集め、ゴールに向かってただただFKを蹴る。 やがて蹴るボール

    なぜ代表にFKの名手が不在なのか?中村俊輔と母校で考えた環境の話。(安藤隆人)
  • 柏U-18から青森山田転入の1年間。中村駿太、涙のラストプレーと感謝。(安藤隆人)

    最後の最後に自分のところに大きなチャンスがやって来た。 しかし、左足を振り抜いた瞬間「あ、外れる……」と分かる感触だった。 スローモーションのように転がるボールは、ゆっくりとポストの右を通過した。 全国高校サッカー選手権3回戦、青森山田vs.長崎総科大附戦のラストプレー。この瞬間、青森山田・中村駿太の“覚悟の1年”は幕を閉じた。 「最後、自分のシュートで終わってしまったことが頭から離れません。せっかく突然やって来た俺を、ここまで温かく迎え入れて、チームの一員にさせてくれたみんなに。当に申し訳ない気持ちで一杯です」 試合後、大きく肩を落とした中村だが、青森山田での日々を聞かれると、「自分の意志で青森山田に来て当に良かった。一切の後悔はありません」と力強く前を向いた。 高3で下した柏ユースから青森山田転入の決断。 彼にとって青森に来ることは「人生を変えるほどの決断」だった。 2017年3月

    柏U-18から青森山田転入の1年間。中村駿太、涙のラストプレーと感謝。(安藤隆人)
  • 石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。出会い、FC東京愛、そして引退――。(馬場康平)

    現在のJリーグを見渡しても、FC東京にとっての石川直宏ほど「バンディエラ」という言葉が似合う選手がどれほどいるだろうか。 ゴツゴツした質感で、同じ匂いのする2人は、かつて同じ青赤のユニホームに袖を通し、1つのポジションを争った。 石川直宏と佐藤由紀彦。2002年に交錯したユキヒコの想いは、ナオによって今に受け継がれた。そのナオは、12月2日のJ1最終節G大阪戦(味スタ)と、翌3日のJ3最終節C大阪戦(駒沢)を最後に、今季限りでユニホームを脱ぐ。 その試合を前に、バトンをつないだプリンスと呼ばれた2人に、「実はあの時って?」、「FC東京らしさって?」、「そしてこれからは?」と、ちょっと癖の強い話を聞いてみた。 ――かつて2002年に1年間だけ2人は同じFC東京でプレーしていました。その当時は、お互いのことをどう思っていましたか? 石川直宏「当時のFC東京と言えば、アマラオとユキさんだった。自

    石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。出会い、FC東京愛、そして引退――。(馬場康平)
  • 佐藤勇人&寿人は双子で「親友」。性格は正反対、サッカー愛は同じ。(細江克弥)

    双子として生まれ、同じクラブでプロデビュー。揃って代表戦のピッチに立った。 しかし今、2人は明と暗に分かれている。それでも彼らは常に支え合い、 遠く離れていてもその絆が絶えることは決してなかった――。 サッカーに導かれた兄弟の知られざる物語。 11月26日開催のJ1昇格プレーオフ準決勝、 名古屋グランパスvs.ジェフユナイテッド千葉を前に、 Number843号(2013年12月12日発売)より全文公開します! 2012年11月、30歳にもなる2人の男が揃いも揃って泣いた。 2人は双子だが、流したのは同じ涙ではない。兄の佐藤勇人は悔し泣き。弟の寿人は嬉し泣き。ジェフユナイテッド千葉の勇人は3季連続でJ1昇格を逃した悲劇の渦中で、サンフレッチェ広島の寿人は悲願のJ1初制覇を成し遂げた歓喜の輪の中で、それぞれの素直な感情に従って涙をこぼした。11月23日には勇人、翌24日には寿人の泣き顔がヤフ

    佐藤勇人&寿人は双子で「親友」。性格は正反対、サッカー愛は同じ。(細江克弥)
  • 日本とイングランド、その差って何だ。U-17W杯で見えた世界最先端の育成。(安藤隆人)

    優勝したイングランド代表にはプレミア強豪の下部組織所属選手も多い。そんな彼らと日はどう戦うのか、今後の焦点となる。 今回のU-17W杯決勝はイングランドとスペインのヨーロッパ対決となり、イングランドの初優勝で幕を閉じた。 実は同大会、決勝戦がヨーロッパ対決となったのは史上初のこと。スペインはこの大会において“上位常連組”だが、そのスペインを5-2で粉砕したイングランドは、これまで一度もベスト4以上に入ったことがなかった。参考までに過去の同大会のファイナリストとベスト4に入ったヨーロッパ各国(※マーク)を紹介する。 1985年:ナイジェリア2-0西ドイツ 1987年:ソ連1-1(PK4-2)ナイジェリア ※イタリア 1989年:サウジアラビア2-2(PK5-4)スコットランド ※ポルトガル 1991年:ガーナ1-0スペイン 1993年:ナイジェリア2-1ガーナ ※ポーランド 1995年:ガ

    日本とイングランド、その差って何だ。U-17W杯で見えた世界最先端の育成。(安藤隆人)
  • あなたは吉村祐哉を知ってますか?15歳で渡欧し「第2のSHIBASAKI」に。(栗田シメイ)

    吉村祐哉の成功は人の意欲の為せる業だが、彼の才能を拾い上げられなかった日の育成体制も再考の余地があるだろう。 吉村祐哉という選手をご存知だろうか。昨シーズン柴崎岳が所属したことでも知られるスペイン2部・テネリフェのBチームが、今季3年契約を結んだ異色のMFだ。 中学卒業後すぐにスペインに留学し、日のクラブを経ることなくリーガでの契約を手にした。現在は、テネリフェBのトップ下でレギュラーを掴み、トップチームへの昇格も視野に入ってきた。テネリフェのU-23以下を担当する、育成SD(スポーツディレクター)のファン・ホセ・リベロは、クラブのレジェンドの名前を引き合いに出し吉村の将来性を評価する。 「フェリペ・ミニャンブレス(元テネリフェ、現セルタSD)やウーゴ・モラレスのようなタイプ。トップリーグで戦うために必要なものを持っていて、更に良くなるポテンシャルを大きく秘めています。まだキャリアの

    あなたは吉村祐哉を知ってますか?15歳で渡欧し「第2のSHIBASAKI」に。(栗田シメイ)
  • 子供のシュート意欲を高める。ドイツの育成『ジュニアの技術論』(前編) | COACH UNITED(コーチ・ユナイテッド)

    サッカークリニック2月号より転載 昔からある「勝負強さ」はそのままに、「華麗なパス・ワーク」を植えつけ成果を挙げたドイツ。ここでは世界王者の「ジュニア年代のテクニック」に迫る。 ドイツのケルン体育大学で講師を務め、ケルンで初となるサッカースクールを創設するなど、「育成の第一人者」として名高いクラウス・パブスト氏に、「日の育成」へのヒントを聞いた。(取材・構成/井上直孝、髙野直樹 通訳/近藤友希[ファンルーツアカデミー・コーチ] 協力/サッカークリニック編集部) ----- ----- ■ドリブル練習にも一工夫を入れる ――パブストさんが実際に行なっているジュニア向けのテクニック指導を教えてください。 パブスト:私は子供たちにボールにたくさん触ってほしいと思っています。そのため、パスという選択肢がなく、常に練習に参加しなければならない「1対1」の練習をよく行ないます。グリッドの大きさによ

    子供のシュート意欲を高める。ドイツの育成『ジュニアの技術論』(前編) | COACH UNITED(コーチ・ユナイテッド)
  • 浦和→代表→海外のはずが……。19歳伊藤涼太郎、J2水戸で再出発。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    「開幕ベンチもJデビューも思い通りと言うか、想定していたサッカー人生だった。……でも、そこからの期間は当に苦しかったし、『何でやろ』と思った日々もあった」 浦和レッズにとって5年ぶりの内部昇格以外の高卒新人となった、伊藤涼太郎という選手がいる。 昨シーズン作陽高校から浦和に加入した彼は大きな期待を背負っていた。ルーキーイヤーにいきなり開幕戦でベンチ入りを果たすと、4月29日のJ1第9節の名古屋戦で途中出場し、早くもトップデビューを果たした。 「僕の目標はあくまでA代表に入ることと、世界に出てプレーすること。レッズでレギュラーを掴むことが出来れば、そのままA代表という道が見えてくると思っている」 入団前から思っていることをはっきりと口にする強気の性格で“ビッグマウス”とも表現されたルーキーは、華々しいスタートを切ったかに見えたが、すぐに浦和での厳しい生存競争の中に飲み込まれた。 出番から遠

    浦和→代表→海外のはずが……。19歳伊藤涼太郎、J2水戸で再出発。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー
  • 鹿島で丸刈り流行、発端は曽ヶ端準。あらゆるエピソードが男気だらけ。(池田博一)

    鹿島アントラーズで“丸刈り”になる選手が続出している。 西大伍を皮切りに遠藤康、鈴木優磨、梅鉢貴秀が頭を丸めた。曽ヶ端準の髪型から影響され「ソガさん、リスペクト」という言葉を西や鈴木が残すも、「当の丸刈りではない。ソガさんには失礼」という声も飛ぶ。よく見ると、丸刈り頭にラインを入れたり、場所によって長さを変えたり。たしかに純粋な丸刈りとは言えない。 曽ヶ端は、プロ入りから髪の色は変われど髪型は変わらないイメージがある。いつから今の髪型になったのだろうか。人に聞いてみた。 「いつからだったか覚えてないですね。ユースのときは短かったけど、坊主ではなかった。小さいときはスポーツ刈りみたいな感じ。間違いなくプロに入ってからですね。サポーターの皆さんの方が詳しいんじゃないですか?」 なるほど。やはりイメージ通り“ベテラン丸刈り”選手だ。チームメイトが感じるリスペクト。その源流はどこにあるのだろう

    鹿島で丸刈り流行、発端は曽ヶ端準。あらゆるエピソードが男気だらけ。(池田博一)
  • 競技力と言葉の豊かさは比例する。日本サッカーを見続ける92歳に学ぶ。(生島淳)

    2-3。 あれ? あらゆる意味で不安が増殖していく。 このままで、大丈夫なんだろうか? アディショナル・タイムで、ようやく3-3。 ワールドカップロシア大会は、2018年6月14日に始まる。あまり、時間はない。 強化現場に比べれば、ファンにはたくさん時間がある。そんな時は、スマホも脇に置いて、読書を。スポーツの読書は「観戦能力」をアップさせてくれる。 特にサッカーは、様々な言語で書かれており、翻訳も他競技に比べると充実している。今回は、日サッカーを考えるにあたって、最良のテキストを取り上げてみたい。 1924年というから大正13年生まれ、ワールドカップの取材は実に10回を数える賀川浩さんの、『このくにのサッカー 賀川浩対談集』(苦楽堂)である。 日サッカー発展の鍵は「言葉」と「共存」にある。 賀川さんは神戸一中(当然、旧制中学のことだ)時代に全国優勝のメンバーだった。従軍経験もあ

    競技力と言葉の豊かさは比例する。日本サッカーを見続ける92歳に学ぶ。(生島淳)
  • トラップの種類とコツ

    トラップとは、手以外の体のあらゆる部位を使ってボールを受け止めてコントロールする技術のことです。その際に大切なことが2つあります。

    トラップの種類とコツ
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