今年も年初恒例の業界予測です。 ①デジタル化に向けて教育・人材育成への投資本格化 デジタル変革の核心は人材である。企業のマーケティングの本丸では、ここ何年かはデジタルに関して変なコンプレックス(つまりデジタルは専門性が高く、自分たちでは対応できないのでは?という)があって、デジタル専門人材を外部から招聘したりしてきた。しかし、概してそうしてつくった外人部隊のデジタル部門は、Webやアプリといった施策そのものがデジタルなものに対応するだけで、マーケティングの幹の部分にはタッチできない構造をつくってしまった。 枝葉の部分をデジタルで化粧を施すだけなので、かえって本当のデジタル化を阻害してしまった。 ベムが「出島(デジタルマーケティング本部、略してデジマ)」と呼ぶのは、江戸城本丸はそのままで、「デジタルというエイリアンと対峙するのは出島で」いう状況を指している。 肝心なことは、その企業のビジネス
さて、こちらはデジタルインテリジェンスNYからグローバル版です。予測というよりは、既に起きていることで、非常に重要な事象をもって2019年を占うものです。 ① エージェンシー・ランキングの大変動 ■世界一の広告グループだったWPPの時価総額が、半分に マーティン・ソレル前CEOが辞任した英WPPは、2017年1月時点で3.4兆円規模だった時価総額が2018年12月には約半分以下になってしまった。12月7日時点(※1)でWPP(NYSE)の時価総額は1.497兆円(株価USD 52.09)。これに対して同日の電通(東証)は時価総額は1.476兆円(株価5,120円)で、ほぼ同サイズだ。米Omnicom(NYSE)は1.881兆円(株価USD 75.50)で一位に逆転した。電通は仏Publicisと並ぶ二位グループである。※同日のUSD TTM 112.94円にて計算 2019年はこの業界内部
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指先は、盤上に描かれた光の道を辿った。 平成30年12月10日、関西将棋会館「御上段の間」、第90期棋聖戦2次予選。山崎隆之八段との斬り合いの終盤戦を迎えた谷川浩司九段は、一気の攻めに転じた。 まだ自玉が相手の攻め駒に包囲された状態で、薄氷の勝ちを読み切った。最後は美しい詰将棋のような手順になった。代名詞「光速の寄せ」は、今も眩しさを失っていなかった。 藤井聡太七段の「憧れの存在」 谷川浩司九段。56歳。 1976年に14歳で史上2人目の中学生棋士になった。終盤において最速最短の手順で相手玉を寄せていく華麗なスタイルは、80年前後に全国で将棋ブームを巻き起こす起点となり、8歳下の羽生善治らの世代に棋士の夢を見させた。40もの歳が離れた藤井聡太七段さえも「小さな頃からの憧れ」と公言する。 永久に不滅かもしれない史上最年少21歳での名人就位、タイトル通算獲得数は歴代4位の27期を誇る十七世名人
* * * 高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところが、今回はなかなか落ち着かない。気がつくと、すぐそこに高畑さんがいるんですよ。こんなことは生まれて初めてです。それだけ強烈な人だったということなんでしょうけど、正直なところ困っています。 お別れの会でも話しましたが、高畑さんと僕は最後の最後まで監督とプロデューサーでした。ある種の緊張関係がずっとあったんです。 鈴木敏夫(スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー) ◆ ◆ ◆ 最初にじっくり話をしたのは、高畑さんが『じゃりン子チエ』を作っているときでした。当時の僕は『アニメージュ』の編集者。制作会社テレコムがあった高円寺の喫茶店でインタビューすることになりました。席に着くやいなや
◆ ◆ ◆ ビジネスの世界にも「脱システム」に共感する人が 宮坂 ツイッターで見ましたよ。最近、鎌倉の幼稚園でも「脱システム」について講演されたんですよね? 角幡 そうなんですよ、娘が通っている幼稚園から頼まれて。 宮坂 どういう反応でしたか、お母さん方に話してみて(笑)。 角幡 いや、すごい評判よかったんですよ。自分たちの手でトンカチを使って材木からおもちゃを作ったり、泥遊びをさせたりして、創造性を育むというようなちょっと地域では有名な幼稚園で。「脱システム」幼稚園じゃないですけど。 宮坂 すごい幼稚園ですね(笑)。 ――「ノンフィクション本大賞」の授賞式でも対談したお二人ですが、控え室で角幡さんの近年のテーマである「脱システム」の話題で盛り上がったと伺いました。 宮坂 そうなんですよ。IT関係者が集まる会合で、角幡さんの『極夜行』の話をしたところ、「僕たちこそ『脱システム』しないといけ
無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、それぞれの業界に関わる人々に語ってもらう。 連載15回目に登場するのは、作家の原田マハ氏。セゾングループ傘下の西武美術館(のちのセゾン現代美術館)は、いち
連載第4回に登場するのは伊藤忠商事の岡藤正広会長CEO(最高経営責任者)。私が所属する伊藤忠ファッションシステムの親会社のトップを務める。糸井さんを紹介したのをきっかけに、二人は何度か話を重ねている。規模や分野は異なるが、会社を率い、人を率い、世の中にその価値を問い続けているところには共通したものがある――私はそんな風に感じていた。岡藤会長に、糸井重里さんの人となりやほぼ日という会社について話を聞いた。 ツイッターなどのSNSで「#すいません経営」を付けて、本書の感想や印象に残ったフレーズをつぶやいていただければ、余すところなく著者の川島さんと糸井さんにお届けします。詳しくは特設サイト「すいません、ほぼ日の経営。を読む」をご覧ください。 『すいません、ほぼ日の経営』を読んで、どんな感想をお持ちでしょうか。 岡藤会長(以下、岡藤):糸井さんが意図するところは、社員一人ひとりが生きがいを持って
連載第5回に登場するのはピースオブケイクの加藤貞顕社長。糸井さんはほぼ日で、新しい企業のあり方を模索し、若い経営者にも影響を与えている。ピースオブケイクの加藤貞顕社長も糸井さんに影響を受けた経営者の一人だ。加藤社長に糸井氏との出会いやほぼ日の経営について話を聞いた(今回はその前編)。 ツイッターなどのSNSで「#すいません経営」を付けて、本書の感想や印象に残ったフレーズをつぶやいていただければ、余すことなく著者の川島さんと糸井さんにお届けします。詳しくは特設サイト「すいません、ほぼ日の経営。を読む」をご覧ください。 糸井さんとの出会いについて教えてください。 加藤貞顕(以下、加藤):僕の会社では「cakes」というメディアサービスと、(クリエイター向けブログサービスの)「note」というプラットフォームを手掛けています。 「cakes」は2012年にリリースしたサイトなのですが、1周年の時
【コア&モア「ザ・ノース・フェイス」強さの秘密㊤】本格機能を街着にも 信頼築き周辺領域に波及 ゴールドウインが製造・販売する「ザ・ノース・フェイス」(TNF)は、アウトドアブランドながら、ファッションアイテムとしても人気のブランドだ。 同社が扱い始めて40年経つが、近年さらに勢いを増している。ブランドの根幹(コア)を磨き上げながら、派生する領域(モア)に積極的に挑む。ここに、強さの秘密がある。 (杉江潤平) 【関連記事】「ザ・ノース・フェイス」 ダウン人気過熱に警戒 ◆極力シンプルに 前期比24.9%増の494億円――18年3月期決算で、TNFを核とするアウトドア関連売上高は大幅に伸びた。厳冬でダウンウェアを中心とした単価の高い重衣料が予想以上に売れたとはいえ、目を見張る水準だ。 この勢いは、販路・年齢層を問わない。繊研新聞社の17年度「百貨店バイヤーズ賞」「テナント大賞」「キッズファッシ
【コア&モア 「ザ・ノース・フェイス」強さの秘密㊦】頂上品の販促費を1.5倍に 売上高500億円を目前に、「ザ・ノース・フェイス」(TNF)は何を目指すのか。さらなる成長余地はあるのか。ゴールドウインの西田明男社長は、「浮かれないようにするだけ。緩んで『売れればいい』というようになると、お客様からは反発される。ブームに乗らない」と答える。森光執行役員も「どんなに規模が大きくなっても、ブランドの信頼度を落とすことはしない」と強調する。 【関連記事】「ザ・ノース・フェイス」強さの秘密㊥ TNF事業の重点施策に位置付けるのは、今一度、ブランドの根幹(コア)を磨き上げること。信頼を築く根拠となる部分を、明確にする作業だ。 ◆2%へ集中投資 17年秋物から、TNFの頂上商品「サミットシリーズ」を刷新したのはそのため。テクニカル商品群として誕生したが、その後、独自のロゴマークがブランド内に氾濫(はんら
クールジャパン機構を振り返ってーデザイナー協議会の議長やイッセイ ミヤケ社長など長くファッション界に携わっていますが、2018年6月までクールジャパン機構の代表を務めました。まずは在籍した5年間を振り返って頂けますか。 色々な業界と関わって細かい部分まで見ることができたのは、経験として大きいですね。「世界に売る」ということが、日本の会社はいかに苦手かということもわかりましたから。ただやはり、官民ファンドという性質上の難しさはありました。あくまでも投資会社ですから、成功するかどうかわからない部分があるし、結果もすぐには出てこないものです。ご指摘を頂くことが多々ありましたね。民間の投資会社や銀行が助けてくれなかったなら我々が支援するといった役割や哲学を、理解して頂くのがなかなか大変だったように感じます。 ーファッション関連の出資案件は「45R」のみだったようです。 在籍中に決定したのは「45R
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