藩政期 松山藩に属す。宿場町として発展。17世紀半ばには既に浜村に商工業が盛んに営まれていた。 1777年 - 浜村の製瓦業者により株仲間が結成された。 当地の製瓦は、河野氏の統治した時代から営まれていたものとみられるが、松山藩の保護を得て盛んになった。 1863年 - 松山藩は幕府に命ぜられ諸外国に備え沿岸防衛のため砲台の設置を命ぜられ、当村を含む村から村人が徴用され10月着工。 長州征討に際して舟と郷人が徴用された。(後の菊間町一帯のみならず周辺の村から) 明治以降 1902年(明治35年) - 柑橘導入される。 1941年(昭和16年)- 葉山海岸に太陽石油製油所立地 1950年(昭和25年) - 昭和天皇のお召し列車が菊間駅に5分間停車。駅前奉迎が行われた(昭和天皇の戦後巡幸)[1]。 1965年(昭和40年) - ミカンの生産ピークに、養豚と並ぶ農業の柱となる。 菊間村 1889