中央の山の頂付近に、城壁があるのがわかるでしょうか。 この城壁が、「津和野城」の跡。 そして、写真の左手奥に、森鴎外・西周の生家があります。 ちなみに、中央を流れる川の右手に大きな建物がありますが、これが藩校があった場所。森鴎外は、ここで漢文を学びました。ただ、9歳の時、一家で上京し、以降ここに戻ることはなかったそうですが。 森鴎外の作品を読んだのは、高校生の時「舞姫」が最初。 以降、少しはまったことがあって、昔々、ヨーロッパを貧乏旅行した時、舞姫の舞台を歩こうとしてドイツ・ベルリンを訪問しました。しかし、当時はまだベルリンの壁があった時代。作品の舞台はほぼ東側。私の持つビザでは、「東ベルリンには入れるけど、そのあと、西ベルリンに戻れるかどうかはわからない」と言われて諦めました。 地図で見ると、津和野はとても辺鄙な場所にあり、なぜここから森鴎外のようが人が出たのかと感じることもありました。
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