八王子城跡のある八王子城山に登った話の続き。標高446メートル(460メートルと書いてある資料もあり)の山頂の本丸跡に着いたところから。 天正十八(1590)年六月二十三日の午前二時過ぎに開始された前田利家・上杉景勝連合軍による攻撃は守る北条軍だけでなく攻撃側にも多大な戦死者を出し、あまりにも悲惨な戦いとなった。山は屍で覆われ、大量の血を吸い込むこととなった。城代の横地監物吉信が守っていた本丸が攻撃側の手に落ちて、八王子城は落城。これが決定打となって小田原城に籠城していた北条氏政、氏照兄弟も豊臣方に降伏するほかなくなった。それが七月五日。氏政、氏照が秀吉に切腹を命じられ、北条氏が滅亡したのが十一日のことだった。そして、ひと月も経たぬうちに徳川家康が江戸に入り、関東は家康の支配下となったのである。 もし北条氏が豊臣秀吉に徹底抗戦せず、速やかに臣従する道を選んでいたら、その後も関東、少なくとも