ブックマーク / karibaryokouki.hatenablog.com (424)

  • 片島大分社 - カリバ旅行記

    大分の旧跡を訪ね歩く 7 大分市に来ています。曲石仏を拝観してきました。 そこから歩いて次の目的に向かっていたのですが、 その途中に神社の参道入り口らしきものがありました 行ってみます 扁額には「片島神社」と彫ってありますが、 グーグルマップには「片島大分社」と表示されています。 手水舎 手水鉢には、普通の水道のような蛇口がついていました 御祭神は「豊門別命」と「大分君稚臣」だそうです。 豐門別命は景行天皇の第七皇子、と案内板に書いてあります。 日書紀を見てみると「豊戸別御子は火国別’(ひのくにわけ)の始祖である」と記述がありました。火国とは「肥の国」、すなわち後の肥前・肥後のことなので、その地域の長官として都からやってきたのでしょう。 一方、大分君稚臣は案内板に「壬申の乱で天武天皇に味方し武勲を上げ、右大臣・左大臣に次ぐ処遇をうける」と書いてあります。 大分氏(大分君)は豊後国大分郡を

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    k10no3 2023/02/14
  • 曲石仏 - カリバ旅行記

    大分の旧跡を訪ね歩く 6 大分に来ています。 大国社に参詣した後、歩いて曲石仏(まがりせきぶつ)の入り口までやってきました。 この「曲石仏」、入り口が非常にわかりにくいです。グーグルマップを見ても、曲石仏そのものは出てきますが、そこに至る道は表示されません。 場所としては、大分市立森岡小学校の裏手になります。 学校北側の校門に至る道ではなく、南側の行き止まりの道の方へ進んでいきます。 曲石仏の方へ歩いていきます 歩いていると、なにやら人工物が・・ この先にあった案内板によると、 「五輪塔二基を薄肉彫りにした龕や、七基の板碑を連続して彫り込んだ龕が造られています」 だそうです。 「龕」(がん)とは、「壁面に仏像・仏具を納めるために設けたくぼみ」だそうです。 五輪塔が彫られているのはわかるけど、 七基の板碑というのはよくわかりません。 先に進んでいくと、 ここが「曲石仏」のようです。 崖にくぼ

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    k10no3 2023/02/13
  • 大国社 - カリバ旅行記

    大分の旧跡を訪ね歩く 5 大分に来ています。 キャセイホテルで温泉の湯に入り、いまじんプラスワン堂で昼メシってから、歩いてきました 目指して歩いてきた「大国社」 参道を進んで、鳥居に拝礼し、境内へ 「御鎮座八百年記念碑」 大国社は1190年(建久元年)の創建だそうです。 ちょうど鎌倉時代が始まるころですね。 手水舎 手動の水栓の下の手水鉢には銀杏の落ち葉がたまっていました 大国社 御祭神はオオクニヌシですね 「国府近在であった当社は『印鑰様』と呼ばれ、国司の用いる国印と租庸調の税物を入れた院倉があり、その鍵が『鑰』であり当社に収められた」そうです。 「印鑰」(いんにゃく)とは「印」と「カギ」を意味するそうです。 豊後国府については所在は不明ですが、この大国社周辺と考えられるそうです。 拝殿 手を合わせます 殿 境内の一角にあった社殿 右から左へ「印鑰地蔵尊」と書いてあるのでしょうか

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    k10no3 2023/02/12
  • いまじんプラスワン食堂 - カリバ旅行記

    大分の旧跡を訪ね歩く 4 大分キャセイホテルで湯に入って、歩いていくと、 社会福祉施設のようですが、その中に「いまじんプラスワン堂」というのがあるようです。 現在時刻は11時過ぎ、どれ、ここでメシっていこうか・・ こうやって公道に看板を出している以上、一般人でも入れるでしょうね 施設の敷地内に入り、 ここが入り口のようですね 中に入ります 中に入るとカウンターがあり、そこで注文を聞かれました Aランチの「タラ明太マヨ焼き」を注文し、600円を先払いします。 テーブルに掛けて、しばし待ちます ところで、飲店に入ると最初に出てくるお水とかお茶が出てきません。 セルフサービスかな・・とおもって店内を見回してみましたが、それらしきものはありません。 まあ、いいや・・と思って待っていると 運ばれてきました で、お茶はというと、お盆の上に乗って料理と一緒に出てきた。 なるほど、これは福祉施設の

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    k10no3 2023/02/11
  • キャセイの湯 - カリバ旅行記

    大分の旧跡を歩く 3 久留米から久大線を通って南大分までやってきました。 そこから歩いて、 大分キャセイホテルまで歩いてきました 大分県は「おんせん県」を自称しています。 県都の大分市にもいくつもの温泉が湧き出ています。共同浴場も多く、中には宿泊施設を併設しているのもあります。 先日泊まったホテルニューおおざいもそうですが、ここも温泉併設です。 ホテルの玄関から入りフロントで受し、入浴料400円支払います。 いったん外に出て、 浴場の入り口から入ります。 浴室へ 脱衣室 ロッカーはありますが、鍵はかかりません 浴室に入ります それほど広い浴室ではありません。 身体を洗ってから、湯の中へ。 ざぶんと入ります。 ちょっと熱いな でも、とても肌触り良い湯です。最高! お湯は少し緑っぽく濁っています。うん、これぞ温泉! ちょっと熱かったので、水を出させていただきました。 ゆっくり長い時間、湯につ

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    k10no3 2023/02/10
  • 久大本線 1823D 豊後森~南大分 令和4年12月 - カリバ旅行記

    大分の旧跡を歩く 2  / 青春18令和4・5年冬紀行 2日目 久留米から大分へ向かう久大線の列車に乗っています 豊後森までやってきました。7時50分着。 7時57分に発車します 旧豊後森機関区 静体保存されている9600型蒸気機関車と扇形車庫。 豊後森機関区は昭和46年に廃止され、その後放置されていましたが、平成18年に旧機関庫と敷地を玖珠町がJR九州から買収し公園として整備されています。 朝日が昇ってきました 列車は分水嶺を越えて 由布院着、8時28分 8時40分まで停車した後、発車します 湯平駅 湯平温泉への下車駅であり特急停車駅ですが、寂しい無人駅です。 温泉街は駅からかなり離れたところにあります。 豊後国分駅 駅の近くには豊後国分寺跡や大分市歴史資料館があります そして南大分着9時31分。 列車はこの後大分まで走っていきますが、ここで降ります。 南大分駅 前<<<  久大線 

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    k10no3 2023/02/09
  • 芸備線 359D 備後落合~三次 令和4年12月 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 18 / 青春18令和4・5年春紀行 初日 姫新線から芸備線を通って備後落合駅までやってきました 写真左はここまで姫新線を通ってきた列車、折り返し新見行き鈍行列車となります 写真右がこれから乗る列車、14時43分発三次行き鈍行列車。JR西日キハ120型気動車の単行。 車内 同じキハ120でも今度はオールロングシートでボックス席はありません。 また運転台かぶりつきです・・・ そこに宍道から来た、木次線の備後落合着の列車が入ってきました。 こちらも廃止がとりだたされる閑散路線ですが、青春18の季節だけあってそれなりの乗客が乗っています。 降りてきた乗客は構内踏切を渡って芸備線列車に乗り換えてきてます 乗り換えが終わると、列車は定刻に発車しました 転車台の残骸が残っています 木次線が分かれていき、 列車は中国山地の中を進んでいきます 比婆山駅 ここも線路のメンテナンス

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    k10no3 2023/02/01
  • 芸備線 443D 新見~備後落合 令和4年12月 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 17 / 青春18令和4・5年冬紀行 初日 姫新線を通って新見駅までやってきました ここから芸備線に乗り換えて広島へ進んでいきます 芸備線の時刻表 この先、一日6だけです。7時4分発の次がこれから乗る13時2分発、 さらに東城から先は一日3だけとなります。 そこに入ってきた13時2分発備後落合行き鈍行列車、これもJR西日キハ120の単行 車内、ボックス席が4組だけのセミクロスシート 最初ボックス席に腰を下ろしたけど、少々混んで来たので席を立って運転台後ろまで移動します この中国山間部を走るJR西日の路線は、近年は廃止の話も話題に上る閑散路線ですが、青春18の季節だけは一定の乗客数があります 定刻、発車 しばらく電化された伯備線の架線の下を走ります 布原駅に停車 元々は列車交換の為だけに設けられた信号場でしたが、昭和62年に駅に昇格し客扱いをするようになりま

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    k10no3 2023/01/31
  • 湯原温泉街 令和4年12月 後編 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 15 岡山県真庭市の湯原温泉に来ています。 昨日は温泉旅館のかじか荘に泊まって出てきました。 またバスに乗って帰りますので、バス停の方へ向かって歩いていきます。 「手王神社」「足王神社」 足と手の病気を治してくれるんだそうです。 御祭神はアシナヅチとテナヅチ。クシナダヒメのご両親ですね。スサノオの義父母になります。 アシナヅチとテナヅチ、クシナダヒメがそろって泣いていたところに高天原から降臨してきたスサノオが出くわし、話を聞いて八俣のおろちを退治し、クシナダヒメはスサノオの嫁となりました。 赤い鳥居をくぐって石段を登っていきます。 石段を上り来たところにふたつの祠 高級そうな旅館もあります 「湯原国際観光ホテル」なんだそうです 温泉薬師堂 式内八社というのはこの近くの社(やしろ)集落にある、歴史の古い神社のことだそうです。 また次の機会に行ってみたいな・・ そこか

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    k10no3 2023/01/29
  • 湯原温泉 かじか荘 令和4年12月 後編 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 14 山口県真庭市の湯原温泉の旅館、かじか荘に泊まっています。 湯にゆっくり入って出てきました。 窓から見る、ライトアップされた旭川にかかるよりそい橋 やがて、夕が部屋に運ばれてきました。 旅館らしく、ずらりと並べられた夕 「黒姫鯛(クロヒメダイ)」だそうです。 黒姫鯛というのはアフリカ産の淡水魚ティラピアのことで、正式な和名は「カワスズメ」 湯原温泉温泉熱を利用して養殖しているそうです。 鮎の塩焼き 地鶏と玉子の燻製 これも地元産の野菜だそうです 茶碗蒸し 鍋が煮えてきました 鴨の肉だそうです。 とっても美味しいく、おなか一杯になりました。 御飯とお吸い物も運ばれてきて、 最後に果物が運ばれてきました とっても甘かったです。 宿の方は、部屋に布団しいて出ていきました。 布団に寝転んでスマホをいじっていましたが、そのうち寝てしまいました 翌朝、夜明け前 もう

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    k10no3 2023/01/25
  • 湯原ダム 令和4年12月 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 12 岡山県真庭市の湯原温泉に来ています。 温泉街のはずれ、砂湯の近くにある湯原ダムへの登り口 登って行ってみます 湯原温泉の旅館が見下ろせます 小径はアスファルトで舗装されていますが、枯葉が積もっていて滑りやすい。 慎重に歩みを進めます。 登っているうちに、湯原ダムが見えてきました そして登り切ったところにあったのが 「湯原温泉みはらし展望台」というのがありました しかし木が生い茂って、湯原温泉街は見えません。 湯原ダムの方へ歩いていきます ダムのそばまで来ました。 湯原ダムの管理事務所 で、その管理事務所では、 「ダムカード」とやらを配布しているそうです。 ダムカードというのはK介さまのブログでよく拝見しております。 www.dam-tour.com どれ、ひとつもらってみようか・・・と、菅理事務所の二階へ。外付けの急な階段を上り、インタフォンを押して「ダムカ

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    k10no3 2023/01/23
  • 湯原温泉街 令和4年12月 中編 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 11 岡山県真庭市の湯原温泉に来ています これは射的屋? 今も営業しているのかな? 日帰り温泉の湯元温泉館 旅館「元禄旅籠油屋」 元禄元年(1688年)の創業、映画「千と千尋の神隠し」のモデルとなったとか。 温泉薬師堂 明治36年の水害で流されましたが、80km下流で拾われお帰りになりました 以来「健康かえる」「銭かえる」のお薬師様として信仰されているそうです。 湯元温泉館の隣から、小さな橋が旭川の対岸にかかっています。 橋の向こうに赤い鳥居が見えます 渡っていってみます 鳥居の向かって左に「湯原温泉毘沙門天」 右に「伏見稲荷湯原分院」の案内板 湯原温泉毘沙門天 毘沙門天は七福神の一神で、四天王(また仏教世界で世界の中心とされる須弥山の四方を守る神)の一員としては「多聞天」と言われています。 伏見稲荷湯原分院 令和元年に伏見稲荷から御分霊を授かったそうです。 鳥居

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    k10no3 2023/01/22
  • はんざきセンター 後編 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 9 岡山県真庭市の「はんざきセンター」を見学して外に出てきました。 敷地内に鳥居が立っています 扁額には「鯢大明神」、これは『はんざき大明神』と読むようです。 「鯢」と書いて、普通は「さんしょううお」と読みます。 「はんざき」とは特別天然記念物の両生類、オオサンショウウオの別名です。 半分に裂いても生きているほど生命力が強いことからこの名がついたといわれています。 なんでもある若者が巨大なはんざきを退治したが、その後その若者の家系が絶えてしまった、 たたりを恐れた村人ははんざき大明神を立ててはんざきの霊を祀ったそうな 鳥居をくぐって奥に進んでいくと、 奥に小さな祠が立っていました。 はんざき大明神 境内・・・というのかな・・敷地内の庭には 歌碑がいくつも立っていました はんざきセンターを後にして、湯原温泉に向かって歩いていきます。 旭川沿いに「ゆばら湯ったり広場」

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    k10no3 2023/01/20
  • 真庭市コミュニティバス 中国勝山駅~蒜山高原 令和4年12月 - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 4 岡山から高速バスに乗って、中国勝山の駅前までやってきました。 ここから真庭市コミュニティバスが接続しています。 そこに入ってきた、10時5分発の蒜山高原(ひるぜんこうげん)行きのバス 一般的な路線バスタイプの中型車です。 低床バスの車内 バスは旭川に沿って中国山地を登っていきます。 真賀温泉をすぎて、橋の向こうにあるのは足温泉(たる温泉) 真賀温泉・足温泉・郷緑温泉・下湯原温泉・湯原温泉の5つを総称して「湯原温泉郷」と言っています。 湯原温泉病院 バスは病院の敷地内に入り、玄関前で停車します。 そして湯原振興局前。ここも敷地内に入って停車します。 同じ敷地内には観光施設の「はんざきセンター」もあります。後刻に立ち寄ってみる予定にしていますが、まずはこのままバスに乗って行きます。 夏にも来た湯原温泉街が見えています。 湯原温泉停留所 ここでも降りずにに、そのまま

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    k10no3 2023/01/15
  • 華の湯ヒブラン - カリバ旅行記

    蒜山高原と湯原温泉を行く 1 12月半ばのある日、仕事が終わって、電車で小倉までやってきました。 今日はここから岡山行きの夜行高速バスに乗る予定にしています。 でも、その前に、 小倉駅から歩いてやってきました、 北九州市内の日帰り温泉施設「ヒブラン」 中に入ります エレベータで三階へ 箱にを入れて、鍵をかけて、 フロントへ向かうと、 横に券売機があり、930円の入浴券を購入してフロントに渡します。 箱の鍵も出すように言われ、引き換えに脱衣室のロッカーの鍵を渡されました。 浴室に入ります。 脱衣室 木目調の上下二段のロッカーが並んでいます。 では、浴室へ。 浴室内部は他に入浴客がおりましたので写真は撮影しておりません。 扉を開けて入ると内湯 かなり広い中を、白熱灯の明かりが照らす、薄暗い浴室です。 サウナが二か所、普通のサウナと塩サウナがありました また浴槽は、メインの浴槽の他に寝湯、

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    k10no3 2023/01/12
  • 勘吉の湯 - カリバ旅行記

    大分県大分市の佐賀関で椎根津彦神社・速吸日女神社に参詣し、その後海部(あまべ)の巨大古墳を見学しながら大分市内まで戻ってきました。 「大分放送前」停留所でバスを降りました。 バスをおりて少し歩いていきますと、 マンションらしきビルの一階に 共同浴場の温泉「勘吉の湯」 大分県は「おんせん県」を自称していて温泉数日一らしいです。 大分県の温泉というと別府市が有名ですが、県都である大分市内にも温泉は多く、共同浴場も数多く開設されています。 中に入ります。 なんでも「勘吉」という男の親孝行にかかわる伝説があって、そこから名をとったそうです。 温泉自体はその伝説とは直接の関係はないようです。 で、ここには管理人は常駐しておらず・・・ 「料金をトレーに並べてから入湯箱にお入れください」 「当浴場にて、入浴料を未払いの方がいらっしゃいますのを、防犯カメラにて確認しております」 ・・・ なんか、お前悪い

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    k10no3 2023/01/11
  • 亀塚古墳 後編 - カリバ旅行記

    大分県大分市の亀塚古墳に来ています。 亀塚古墳は全長116m、5世紀初めごろに築造された前方後円墳です。 墳丘の上に上ってみます。 一部には築造当時の葺石が再現されています。 前方部の墳丘に上がってきました。 前方部より後円部を望む 下のほうには祭儀を行ったという「造り出し」が見えます。 前方部をつっきって、後円部に上ってみます 円筒埴輪が並ぶ後円部に上ってきました 第一主体部 巨大石棺が再現されています。 この地を支配していた海部(あまべ)の首長がここに眠っていたのでしょうね 第二主体部 第一主体部の近親者と考えられるそうです 後円部の周りに並ぶ円筒埴輪 現在はかなり先のほうまで陸化してますが、かつては墳丘からこの主張が支配していた海がよく見えたものと思われます。 豊後国風土記には 「海部郡(あまのこおり)の人民は、皆、海の漁師である。ここから海部郡の名がある」 と記述してあります。 緑

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    k10no3 2023/01/08
  • 速吸日女神社 後編 - カリバ旅行記

    大分県大分市佐賀関町の速吸日女神社に来ています。 池の中に立つ末社 アマテラスを祀る神明社です。 樹齢400年の楠 石段の上にも末社が立っています 菅原道真公を祀る天満社 こちらは護国神社 池の中に何やら石碑が建っています。 カメの石像の上に「大亀碑」の字が彫られた石が乗っています。 シイネツヒコの神話と関連あるのでしょうか また別の池の中にある末社 宗像三女神のイチキシマヒメを祀る厳島社 神門から境内を出て、 一の鳥居から外に出ると、 これも速吸日女神社の社殿でしょうか 「御幸殿」の扁額がかかっていますが そこからまた歩いて、 大分バスの佐賀関停留所まで戻ってきました。 大分駅に向かう急行バスに乗り込みます 種別は「急行」ですが、大分市街地に入っていくつかの停留所を通過するだけで、この辺りでは各停留所に停車していきます。 シイネツヒコと東征中の神武天皇が出会った海を見ながら走り、 「築山

    速吸日女神社 後編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/01/04
  • 早吸日女神社 中編 - カリバ旅行記

    大分県大分市佐賀関町の早吸日女神社に来ています。 拝殿で手を合わせ、殿の奥の方に来てみると、 パイプから冷たい水が流れ出ています。 古来より霊験著しい御神水、だそうです。 速吸日女神社 殿 神楽殿 戦国時代の慶長9年(1604年)、熊城を築城した加藤清正が建立し、その後肥後藩主となった細川綱利が慶安3年(1650年)に改修したものだそうです。 中に安置されているのはなにやらファンタジーなタコさん 神社創設にかかわった伝説の大凧でしょうか。 神社の縁起によると、 「速吸日女神社は神武天皇東遷の途次、海女、黒砂(いさご)真沙(まさご)の二神が速吸の瀬戸(豊予海峡)の海底から、大蛸が守護してきた神剣を取り上げて天皇に奉献し、 その神剣を御神体として天皇自ら古宮の地に奉斎し、建国の大誓願を立てられた」 のが速吸日女神社の創始だそうです。 末社の伊邪那伎社 御祭神は日の国土を創世したイザナギ

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    k10no3 2023/01/03
  • 海へと続く線路 - カリバ旅行記

    謹んで新春のお喜びを申し上げます。 年も「カリバ旅行記」及び姉妹ブログの「古事記の話」「鉄道唱歌の話」をよろしくお願い申し上げます。 令和5年 元旦 狩場拓郎 大分県大分市佐賀関町に来ています 椎根津彦神社に参詣してきました 佐賀関半島の海岸沿いに歩いて行きます 漁港を離れていくと、 道が細くなってきました 半島の沖に浮かぶ蔦島 白ヶ浜海水浴場 沖の方に高島が見えます。その先に霞むのは四国の佐田岬でしょうか この海で神武天皇はシイネツヒコと出会い、大和に向かって東征を続けたのですね さらに歩いていき、 海岸に降りてきました そしてここ、グーグルマップに「海へと続く線路」と載っています これが気になってここまで歩いてきてみました なるほど 海の中へ、二の赤錆びたレールが伸びて、海中に消えています この線路を、夜になると対岸の四国へ向かって海底列車が走っていきます ・・・なんて訳ないですよ

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    k10no3 2023/01/01