ブックマーク / karibaryokouki.hatenablog.com (424)

  • 肥薩おれんじ鉄道 八代~出水 令和5年6月 - カリバ旅行記

    薩摩半島紀行 1 令和5年6月中旬のある日、福岡から鈍行列車を乗り継いで八代までやってきました 今日も夜勤明け、眠いです ここに来るまで電車の中で眠りこけていました 八代から南に延びる肥薩おれんじ鉄道の八代駅 ここから薩摩半島の中央付近にある南さつま市を目指し、さらに列車を乗り継いでいきます 今日も「旅名人の九州満喫きっぷ」を使っての移動です 「旅名人の九州満喫きっぷ」は九州の全鉄道線(JR九州・私鉄・第三セクター・公営鉄道)の普通・快速列車に乗れるフリー乗車券です。(西鉄の無料特急・急行は乗車可)。 3日分利用でき、有効期間は3か月間。3日間連続で使う必要なく、3か月間の間に3回利用すればよいことになっています。 「青春18きっぷ」が九州限定になり通年利用でき、私鉄線にも乗れるようになったもの、といった感じでしょうか 14時13分発、隈之城行き鈍行列車 単行の気動車 隈之城は川内(せんだ

    肥薩おれんじ鉄道 八代~出水 令和5年6月 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/31
  • 仁和小路 - カリバ旅行記

    社(やしろ)地区を歩く 6 岡山県真庭市の社(やしろ)地区に来ています 社地区を貫く岡山県道56号湯原興津線から、 横道にそれて社川に架かる橋を渡り しばらく進んでいきます この先に仁和小路(にんなこうじ)というのがあるそうですが・・ あれかな? 入口には標柱が建っています 「仁和小路」 中世において、社地域の年貢を仁和寺に運んだ道と推定されるそうです 社地域は京都にある仁和寺の領地(荘園)であり、この道を通って京都まではるばる年貢が運ばれていったのでしょう 応仁の乱で京都の仁和寺は荒廃し、このころ社地区とのつながりも途絶えたそうです 行けるところまで進んでいってみます だんだん山深くなり、 雑草が覆いだして それでもなお、進んでいくと、 突然、視界が開けました 足元には切り立った崖、 その下のほうでは、なにやら新しい道路が建設されているようです まだ先の方に続いていた古道は、建設中の道路

    仁和小路 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/30
  • 八畳岩 - カリバ旅行記

    社(やしろ)地区を歩く 5 岡山県真庭市の社(やしろ)地区に来ています 社の式内八社の佐波良神社・刑部神社に参詣してきました 神社の裏手に「八畳岩」というのがあるそうです 行ってみます 案内板に沿って進んでいきます 真新しいコンクリートで舗装された歩道を歩いていきます しかし・・・ いつまで歩いてもたどり着かない おかしいな・・・道間違えたかな・・・ 引き返していくと、 草むらの中に、小さな案内板 こりゃ見落とすわ・・ もっとわかりやすく設置してくれよ・・ まあとにかく、案内板に沿って進んでいきますと、 見えてきました 苔と草が張り付いた巨大な岩 「八畳岩」です 「かつては製鉄の鉄穴(かんな)流しの際に露出されたとされてきました。しかしこの地で製鉄が盛んだったのは江戸中期以降であること、周囲の水田周辺にもいくつかの巨石が残ることから、岩盤質の地形が作り上げた偶然の造形物と考えられます 日

    八畳岩 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/29
  • 佐波良神社・形部神社 - カリバ旅行記

    社(やしろ)地区を歩く 4 岡山県真庭市の社(やしろ)地区に来ています 社の式内八社の佐波良神社(さわらじんじゃ)・形部神社(かたべじんじゃ) ふたつの神社が同居しています 平安時代、醍醐天皇の命によって編纂された「延喜式」に記載された重要な神社は「式内社」と呼ばれました 延喜式に記載された美作国11の式内社のうち8つが社地区に集中しているそうです 社地域は水源が豊かで災害が少なく、日照条件や土壌にも恵まれていました。 当時の都、京都にある仁和寺の領地だったことに加えて、人やモノの往来も盛んだったため、社地域は美作の中でも重要な位置にあったと考えられます、 なんだそうです (社地域振興協議会のパンフレットより) 手水舎は無く、むき出しの手水鉢 佐波良神社の御祭神は、そのまんま「佐波良命」、 どのような神様かはよくわかりません 形部神社の御祭神は「神阿多津姫命」(かみあたつひめのみこと) 天

    佐波良神社・形部神社 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/28
  • 横見神社 - カリバ旅行記

    社(やしろ)地区を歩く 3 岡山県真庭市の社(やしろ)地区に来ています 横見神社 社の式内八社のひとつです 平安時代、醍醐天皇の命によって編纂された「延喜式」に記載された重要な神社は「式内社」と呼ばれました 延喜式に記載された美作国11の式内社のうち8つが社地区に集中しているそうです 社地域は水源が豊かで災害が少なく、日照条件や土壌にも恵まれていました。 当時の都、京都にある仁和寺の領地だったことに加えて、人やモノの往来も盛んだったため、社地域は美作の中でも重要な位置にあったと考えられます、 なんだそうです (社地域振興協議会のパンフレットより) 鳥居の奥に建つ拝殿 拝殿の背後に殿が建っています 「式内 横見神社」と彫られた石柱 御祭神は山の神であるオオヤマツミです 殿前には木の切り株を加工した賽銭箱 手を合わせてから、横見神社を離れました 歩いていきます その途中「谷集会所」の敷地

    横見神社 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/27
  • 二宮 - カリバ旅行記

    社(やしろ)地区を歩く 2 岡山県真庭市の社(やしろ)地区に来ています 式内八社の二宮(ふたみや) 平安時代、醍醐天皇の命によって編纂された「延喜式」に記載された重要な神社は「式内社」と呼ばれました 延喜式に記載された美作国11の式内社のうち8つが社地区に集中しているそうです 社地域は水源が豊かで災害が少なく、日照条件や土壌にも恵まれていました。 当時の都、京都にある仁和寺の領地だったことに加えて、人やモノの往来も盛んだったため、社地域は美作の中でも重要な位置にあったと考えられます、 なんだそうです (社地域振興協議会のパンフレットより) この「二宮」には社の式内八社のうち5社が集まっています 鳥居に拝礼して境内へ 正面に建つ建物 拝殿でしょうか なんか神社の社殿というより、地区の公民館といったたたずまいですが・・ そして拝殿の背後に回ると、社殿が4つ並んでいます 左端の社殿は、社の式内八

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    k10no3 2023/07/26
  • 大御堂・神集場 - カリバ旅行記

    社(やしろ)地区を歩く 1 ここからサブタイトルを「社(やしろ)地区を歩く」と変更します 湯原温泉のかじか荘に泊まってから、下湯原温泉をすぎて歩いてきました 社(やしろ)地区への入り口 この先、左(東)の方に進んでいけば社(やしろ)という集落です そして社地区には「社の式内八社」と言われる神社群が存在しています 平安時代、醍醐天皇の命によって編纂された「延喜式」に記載された重要な神社は「式内社」と呼ばれました 延喜式に記載された美作国11の式内社のうち8つが社地区に集中しているそうです 社地域は水源が豊かで災害が少なく、日照条件や土壌にも恵まれていました。 当時の都、京都にある仁和寺の領地だったことに加えて、人やモノの往来も盛んだったため、社地域は美作の中でも重要な位置にあったと考えられます、 なんだそうです (社地域振興協議会のパンフレットより) なにやら重厚そうな古そうな建物 グーグル

    大御堂・神集場 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/25
  • 湯原温泉 かじか荘 令和5年5月 後編 - カリバ旅行記

    備前国を行く 14 岡山県真庭市の湯原温泉、かじか荘に泊まっております 湯に入ってゆっくりしていたら、部屋に夕が運ばれてきました 鴨肉 イタドリにウドの天ぷら イズミタイの刺身にアユの塩焼き イズミタイというのはティラピアのことですね アフリカ・中近東原産の淡水魚で、湯原温泉温泉熱を利用して養殖されているそうです。 こちらはワカサギだそうです 冷たいビールを注文します うん、湯上りの身体にしみるわ~ 鍋が煮えてきました 時刻は19時前 まだ窓の外は明るいです 御飯と御吸物 最後の果物もすごく甘くておいしかったです きれいに全部いただきました いただいたら早々に布団に入って寝てしまいました さて、翌朝 もう一度湯に入ってきました かじか荘では宿泊している間夜通し入ることができます 朝の客室の窓から見る、旭川沿いの駐車場 大型バスがエンジンをうならせています 隣の大きな旅館に団体客を運んで

    湯原温泉 かじか荘 令和5年5月 後編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/24
  • 湯原温泉 かじか荘 令和5年5月 前編 - カリバ旅行記

    備前国を行く 13 湯原温泉温泉旅館、かじか荘 これまで何度か泊まったことがありますが、今夜の宿もここに予約しております 案内された部屋でチェックイン 今回の宿泊も全国旅行支援が適用されており、運転免許証を提示します。ワクチンの接種証明は既に必要なくなっています。 さらに2000円分のクーポン券もいただきましたが、これまたこれまでの鹿児島・島根や大分とは違った仕組みになっていて、 アプリのインストールはせずにクーポン券のスクラッチを削って出てきたQRコードを携帯電話のカメラで読み取ってからお店に提示するらしい ややこしいな・・統一してくれたらいいのに・・・ 窓からは旭川の流れが見渡せます 外見は古びていますが、室内はきれいに改装されています 卓の上には「はんざきサブレ」 さて、部屋で一息入れてから、 荷物・・と言っても小さなリュックひとつきりですが・・を部屋に置いて、 タオルと小銭だけ持

    湯原温泉 かじか荘 令和5年5月 前編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/23
  • 真庭市コミュニティバス 真庭市役所~湯原温泉 令和5年5月 - カリバ旅行記

    備前国を行く 12 岡山から高速バスに乗って真庭市役所までやってきました ここは既に美作国ですが、もうしばらく「備前国を行く」のサブタイトルで続けていきます ここから真庭市コミュニティバスに乗り換えて湯原温泉を目指していきます そこに入ってきた、14時22分発の蒜山高原行き真庭市コミュニティバス リアエンジンの小型車 中国勝山駅を経由して湯原温泉に向かいます 雨の中、旭川に沿って走っていき、 河の向こうには勝山町並み保存地区があります バスは旭川に沿って山を登っていきます 途中の停留所で何かのグループが乗ってきて、座席はみんな埋まりました 真賀温泉前を通っていきます 旭川の向こうに見えるのは足温泉(たるおんせん) 湯原温泉・真賀温泉・足温泉・郷緑温泉・下湯原温泉の5つの温泉を総称して「湯原温泉郷」と称しています 湯原温泉病院 病院の敷地内に入って停車します 「ゆばら湯っ足り広場」の脇を通り

    真庭市コミュニティバス 真庭市役所~湯原温泉 令和5年5月 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/22
  • 中鉄北部バス 岡山駅~真庭市役所 令和5年5月 - カリバ旅行記

    備前国を行く 11 備前国府周辺の史跡や古社・古刹を見学して、岡山駅まで戻ってきました 岡山駅前のバスプール さて、これから中鉄北部バスに乗って、これまで何度か訪れた湯原温泉を目指していきます。 中鉄北部バスの岡山駅~中国勝山駅間は片道2220円ですが、往復では2700円。大幅な割引がされています。 なので、往復乗車券を購入しようと思いますが・・・ 開いている窓口は「岡電バス」「両備バス」と表示しており、肝心の中鉄北部バスの表示はありません まあでも「バス総合案内所」の看板も出てるし、ここでいいのかな? 開いてる窓口に行って 「中国勝山駅までの往復券が欲しいんですけど」 と言いました すると 「中国勝山までは中鉄バスになりますので、この先9番乗り場の先に中鉄バスの売り場がありますのでそちらでお願いします」 と返ってきました 岡山駅前バスプールのはずれにある9番ホーム ここからぼくが乗る中国

    中鉄北部バス 岡山駅~真庭市役所 令和5年5月 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/21
  • 素盞嗚神社 - カリバ旅行記

    備前国を行く 10 岡山市の素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)まで歩いてきました 応仁の乱のころ、京都の祇園社の分霊を祀ったのが始まりだそうです 祇園社は現在の八坂神社です。元々は祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)を御祭神としていました。 牛頭天王は神仏混交の時代にスサノオと習合して信仰されていましたが、明治の神仏分離令により祇園社は八坂神社と改名しスサノオを御祭神とするようになりました こちらの素盞嗚神社も、神仏分離令によりスサノオを御祭神とするようになったようです 鳥居に拝礼してくぐり、 隋神門を通って、 境内に入ります 手水舎 拝殿 手を合わせます スサノオが鎮座される殿 境内の裏手の方に回ってみますと、 案内板には「御泉水」と表記されていますが、 池の中の水は枯れています 御泉池の奥にある境内社 案内板には「宗像神社」と記されてます 御祭神は記されていませんが、スサノオが

    素盞嗚神社 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/20
  • 備前国庁跡 - カリバ旅行記

    備前国を行く 9 岡山市にある備前国庁跡まで歩いてきました 入口に鳥居が建っています 鳥居には「文化13年」と彫ってあります 文化13年というのは西暦1816年 江戸時代の後期ですね アパートの横の道路を進むと、 広い平坦な敷地に出ました ここが昔、備前国の国庁があったところです 昔、この地が備前国の地方行政の中心地でした ところで、敷地の奥にあるこの建物ですが、 神社の拝殿のようです 裏に回ると殿でしょうか、 小さな祠が建っていました 国長宮という神社のようですが、由来や御祭神はわかりません 国庁跡をはなれて、素戔嗚神社の方へ歩いていきます 素戔嗚神社までやってきました 施設名 肥前国庁跡 所在地 岡山県岡山市中区国府市場50 電話 FAX 営業時間 定休日 料金 無料 交通 JR山陽線 高島駅より徒歩25分 バリアフリー情報 駐車場 無 令和5年6月現在 前<<<  浄土寺 後編

    備前国庁跡 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/19
  • 浄土寺 後編 - カリバ旅行記

    備前国を行く 8 岡山市の古刹、浄土寺に来ています その境内の一角、 お寺の中に神社があるようです 鳥居の扁額には「日吉神社」と彫ってあります 日吉神社というのは滋賀県大津市の日吉大社を総社とする神社です。 日吉大社は比叡山に鎮座されています。この浄土寺の宗派である天台宗の総山である延暦寺も比叡山にあります。 日吉大社の御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)です。オオクニヌシの孫にあたる神様です。 古事記には 大山咋神は近淡海国(ちかつおうみのくに=近江国)の日枝山(ひえのやま=比叡山)に鎮座され、また葛野(かづの)の松尾(まつのお)に鎮座されている と記載されています。 「近淡海国の日枝山」が現在の日吉大社、また「葛野の松尾」は京都の松尾大社とされています 浄土寺の境内社である日吉神社の拝殿 拝殿の奥に建つ殿 浄土寺というお寺の境内にこれほど立派な境内社があるとか、 神仏混交の時代

    浄土寺 後編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/18
  • 浄土寺 前編 - カリバ旅行記

    備前国を行く 7 岡山市の古刹、浄土寺に来ています 浄土寺、というから浄土宗かと思ったら、天台宗のお寺なんですね 天平勝宝元年(749年)、勅命により報恩大師が備前国に創立した四十八寺の一寺なんだそうです 境内へ進んでいきます 手水舎 堂は江戸時代の宝永元年(1704年)の建立だそうです 御尊は薬師如来だそうです 扁額には「尊薬師如来」と書いてあります 手を合わせます 天台宗の開祖、伝教大師の像でしょうか 梵鐘堂 境内の奥 何やらいろいろと・・ 正面のお堂 お堂に祀られている仏様 その横の小さな祠 さらに塔やら石仏やら、並んでいました 施設名 浄土寺 所在地 岡山県岡山市中区湯迫699 電話 086-279-1150 FAX 営業時間 定休日 料金 境内無料 交通 JR山陽線 高島駅より徒歩25分 バリアフリー情報 駐車場 有 令和5年5月現在 前<<<  関白屋敷跡 - カ

    浄土寺 前編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/17
  • 関白屋敷跡 - カリバ旅行記

    備前国を行く 6 岡山市内の賞田廃寺跡を見学してから、グーグルマップに表示されている「関白屋敷跡」を目指して歩いていっています 通りの突き当りに何やら小さな仏堂がありました 「最明院」というそうです 鎌倉幕府五代執権北条時頼が引退後に出家して「最明院」と称し、彼がこの地を訪れたことから「最明院」と呼ばれるようになったそうな お堂の中には一体の石仏が祀られていました 最明院から先は車は入れない細い道となります 途中にあった石碑 なんかようわからんが、源平時代の「松殿」と「松姫」にかかわるもののようです 関白屋敷跡の方へ歩いていきます 「史跡 関白屋敷跡」の石柱を過ぎると、 なにやら石で囲まれた中に、一の石碑が建っています これが「関白屋敷跡」のようです 平安時代末期に備前に流された関白の藤原基彦の配所跡と伝えられています 藤原基彦は当時、権力をふるっていた平清盛と対立し、清盛によって関白職

    関白屋敷跡 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/16
  • 賞田廃寺跡 後編 - カリバ旅行記

    備前国を行く 5 岡山の賞田廃寺跡に来てます 賞田廃寺は7世紀中ごろ、在地豪族の上道臣(かみのみちのおみ)により造営されました 時代で言うと、大化の改新が西暦646年なので、その前後ですね 東塔跡 東西の塔は、8世紀中ごろになってから建てられたそうです 奈良時代ですね 東塔は西塔よりも後に建立されたそうです 東西の塔は凝灰岩の切石を使用した檀上積基壇が築かれており、 これは宮殿や畿内の有力寺院に採用される格式の高いもので、地方寺院では極めて珍しいそうです 東塔跡 礎石が復元されています そこから少し奥に 金堂跡が復元されています 金堂は7世紀後半に建立されたそうです 奈良時代になる前のころですね 金堂 礎石が規則正しく並んでいます 金堂の礎石 きれいに形が整っているものは、歴史公園として整備されるときに復元されたものでしょう 一方、形が崩れて風化しているものもあります 「もと賞田廃寺で使わ

    賞田廃寺跡 後編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/15
  • 賞田廃寺跡 前編 - カリバ旅行記

    備前国を行く 4 岡山市の「賞田廃寺跡」にきています 広大な敷地が歴史公園となっています 賞田廃寺は7世紀中ごろ、在地豪族の上道臣(かみのみちのおみ)により造営されました 時代で言うと、大化の改新が西暦646年なので、その前後ですね 先ほど立ち寄って来た唐人塚古墳(かろうどづかこふん)は上道臣の墓と考えられています 塀跡 等間隔で塀の柱が復元され並んでいます 西塔跡 賞田廃寺跡には東西に2つ塔跡が並んでいます 東西の塔は凝灰岩の切石を使用した檀上積基壇が築かれており、 これは宮殿や畿内の有力寺院に採用される格式の高いもので、地方寺院では極めて珍しいそうです 東西の塔は、8世紀中ごろになってから建てられたそうです 奈良時代ですね 西塔跡 塔の礎石が復元されています その西塔跡の奥にあるのが、 中世堂だそうです 文明8年(1476)に建立された堂だそうです 戦国時代の初め頃なので、そのころ

    賞田廃寺跡 前編 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/14
  • 唐人塚古墳 - カリバ旅行記

    備前国を行く 3 備前国総社宮に参詣し、歩いてきています この丘の中に高島神社があります 神武天皇が東征の途中に高島宮を置いた場所だと伝わっています 高島宮に行くには、「セブンイレブン岡山賞田店」と「行政書士法人リード」の間にある細い通りに入り、 すぐ先のこの通りを入っていきます 案内板も何の目印もないのでわかりにくいですが・・ 今日は高島神社にはいかずに、先に歩いていきます 小さな川を渡り、「BOTANICAFF」という白い建物の先を山側に入り、 先に進んでいくと 「唐人塚古墳」、かろうどづかこふん、とよむそうですが、 その案内板に従って進んでいくと どうやらここが「唐人塚古墳」のようです 石積みの土台の上に小さな祠が建てられており、 その先に石室の入り口が穴をあけています 「唐人塚古墳」の標柱は下半分が朽ちています 現地には案内板も何もなく、古墳の詳細はわかりません この先の賞田廃寺を

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    k10no3 2023/07/13
  • 備前総社宮 - カリバ旅行記

    備前国を行く 2 JR津山線の備前原駅から備前国総社宮まで歩いてきました 律令制において国司が任国に赴任した際、国内の神社に参拝して回ることになっていました。国司が巡る順番をあらわしたのが一宮以下の社格です。 時代が下り、平安時代になると国府の近くに総社を定め、そこに参詣することにより巡回を省くことになりました。 備前国総社は、国司所祭の古社一二八の祭神を集め、平安時代に成立したそうです 参道を狛犬が守っています その狛犬の脇から参道を離れたところに、 社日塔が建っていました 参道に戻り、進んでいきます 参道脇に建つ石碑 「今上天皇聖蹟」と彫ってあります 裏を見ると、昭和13年の建立のようです。 当時の「今上天皇」、すなわち昭和天皇がこの地を訪れていたのでしょうか 隋神門をくぐり、境内へ 小さな手水舎 しかし清らかな水がしっかり流れていて、柄杓も用意されています 境内の真ん中にあるこの一段

    備前総社宮 - カリバ旅行記
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    k10no3 2023/07/12