ブックマーク / massneko.hatenablog.com (935)

  • 富沢古墳群  群馬県太田市富沢町 - 墳丘からの眺め

    金山城跡ガイダンス施設で天神山古墳の企画展を見た後は、太田駅前で「トライノアシオト」展を鑑賞。この日の墳行で当展示のみ先にブログに残していました。 その後に、南西に4㎞程の富沢古墳群へ向かいました。 蛇川左岸の微高地上で、団地(富沢市営住宅)の中に10数基が残っています。古墳を避けるように建てたのでしょう。古墳群中に住めますね。建物もモダンな感じがして素敵でした。 まずは蛇川に面した北西側入口にある9号墳。 団地を守護する武人埴輪。よくできたレプリカです。 墳丘は周りをロープで囲まれています。 その先で右手に10号墳。 ここはマップには古墳のピンが立っていないのですが… 上記を反対側から。古墳にしか見えないのですが… 富沢2号墳。 回り込んで撮ったように思います。 富沢6号墳。 後ろに回って。 富沢15号墳かと。 こちらは団地エリア内にある生品神社。 稲荷塚古墳の上に鎮座。 拝殿前から振り

    富沢古墳群  群馬県太田市富沢町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/10/01
  • 史跡金山城跡ガイダンス施設 群馬県太田市金山町 - 墳丘からの眺め

    大泉町の古墳を少し見た後は、太田駅の北の、金山城跡ガイダンス施設へ。 県道の金山城址線(321号)を上がっていくと、原宿にでもありそうな、おしゃれな建物が。 土砂降りでしたが、素敵な建物に高揚。 隈研吾設計事務所が手掛けた建物でした。 内部のにも外の意匠が続いています。 階段を上がって振り返って。 境内のような雰囲気の中庭。 お目当ての展示が、その一部屋にて。 東日で第一位の規模を誇る「天神山古墳を探る、」という企画展。 残念ながら撮影不可でした。出土した埴輪などが見られましたが、その他の展示についての記憶が… 昇寛さんのサイトで、展示内容を思い出すことができました。 企画展「天神山古墳を探る、」: 埼群古墳館別館 悪天候で金山城跡はあきらめて山を下り、途中で気になっていたこちらのお店へ寄りました。 魅力的な商品だらけ。ここで昼とお土産と買いました。 ショーケース前には武人さん。 お土

    史跡金山城跡ガイダンス施設 群馬県太田市金山町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/10/01
  • 古海原前1号墳 群馬県邑楽郡大泉町古海 - 墳丘からの眺め

    今回からも過去の”蔵出しストック”。 2022年8月末、群馬県太田市から埼玉県熊谷市にかけてのあたりを回った記録になります。 降りの雨でしたが、古墳関連の展示を見ることがメインだったので、それらの展示と雨でも訪ねやすそうな墳丘(街中古墳)をいくつか巡りました。 最初に訪ねたのが古海原前(こかいはらまえ)1号墳。 きれいに整備された墳丘です。 墳裾には詳しい解説板。 古海原前1号古墳 この古墳は、利根川左岸の洪積台地上に位置します。長い年月の間に大きく姿を変えてしまいましたが、もとは右の図のように帆立貝の形をした全長約54mの帆立貝式古墳であったと考えられています。昭和59年度に行われた発掘調査により、遺骸を納める場所である主体部が縦に4基重なった状態で発見され、全国的にも非常にめずらしい古墳であることが明らかになりました。 また、古墳の墳丘直上からは、西暦500年頃に噴火した榛名山二ッ岳

    古海原前1号墳 群馬県邑楽郡大泉町古海 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/28
  • 愛宕様古墳(赤堀村272号墳) 群馬県伊勢崎市西野町 - 墳丘からの眺め

    前回の赤堀茶臼山古墳へ行く直前に、愛宕様(あたごさま)古墳(の近く)へ寄っていたことに、撮っていた写真で後から気付きました。 墳丘東側の道路から、北方向。 左前方の丘上に、愛宕様古墳。 通り過ぎて北側から振り返って。 That's all. 古墳マップさんによれば、全長28mの帆立貝式古墳で5世紀代の築造、「上毛古墳綜覧では、赤堀村272号古墳とのことです。 愛宕様古墳 - 古墳マップ 2021年12月上旬訪問 ランキング参加中歴史 ランキング参加中旅行 ランキング参加中写真・カメラ

    愛宕様古墳(赤堀村272号墳) 群馬県伊勢崎市西野町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/25
  • 十二所古墳(赤堀村298号墳) 群馬県伊勢崎市磯町 - 墳丘からの眺め

    前回のゴンゴン塚古墳の南東200m程には十二所(じゅうにしょ)古墳。 「プリティタウンの丘 磯沼荘」の南側で、その南の墓地との間に、説明板まで道が整備されていました。見学しやすい墳丘です。 墳丘長48mの前方後円墳です。 伊勢崎市指定史跡 十二所古墳 昭和46年6月10日指定 十二所古墳は、蕨沢川と鏑木川に挟まれた峯岸山から南方に連なる丘陵に所在する前方後円墳で、「上毛古墳綜覧」に掲載された赤堀村第298号墳に該当します。 規模は、墳丘長約48m、後円部は直径約30mで、幅約6mの周堀がめぐっています。 墳丘面には、川原石及び埴輪片の散布が認められることから葺石や埴輪が配され、また埋葬主体部は、後円部上に凝灰岩の割れ石が認められることから、この石材で構築した竪穴系の埋葬施設が考えられます。 未発掘のため詳細は不明ですが、構築時期は5世紀末と考えられます。 平成20年3月1日 伊勢崎市教育

    十二所古墳(赤堀村298号墳) 群馬県伊勢崎市磯町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/22
  • ゴンゴン塚古墳(赤堀村297号古墳) 群馬県伊勢崎市磯町 - 墳丘からの眺め

    前回のコンピラ様古墳からは南に500mほどのゴンゴン塚古墳へ。 畑の中に健気に(?)残っている墳丘です。なぜゴンゴンなのででょう? 手前に赤堀磯沼公園の土手を入れて。左奥は天幕(てんばく)城跡です。 磯沼公園の土手の切り通し部分。ちょっと墳丘っぽい雰囲気があります。 土手上に石碑。 その石碑を横から。左が磯沼。 土手上から見たゴンゴン塚古墳。 その奥の天幕城跡も、墳丘っぽさがあるので行ってみました。 天幕城跡の丘から振り返ったゴンゴン塚古墳(中央左) 天幕(てんばく)城跡の説明板。 お城の土塁でしょうか。 2021年12月上旬訪問 ぶじんさんが、その2年前の桜が残る時期に訪問されていました。 ゴンゴン塚古墳 伊勢崎市磯町 - 週末は古墳巡り ランキング参加中歴史 ランキング参加中旅行 ランキング参加中写真・カメラ

    ゴンゴン塚古墳(赤堀村297号古墳) 群馬県伊勢崎市磯町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/22
  • 粕川歴史民俗資料館 群馬県前橋市粕川町膳 - 墳丘からの眺め

    新里郷土資料館からは西に1.5㎞、前橋市に戻って粕川歴史民俗資料館へ。 お城のような外観。 展示室で迎えてくれたのは2体の馬形埴輪。 後ほど登場する「ぐんまちゃん埴輪」と同様に、両目が顔の正面についてます。 その解説。元は個人コレクションだったもので出土地不明ですが、城南地区や伊勢崎市周辺の出土と推測されるそうです。 横から。飾りの表現も含めてきれいに残っていますね。 中央アイランドには月田古墳群からの形象埴輪。 凛々しい武人の腰には刀が二差し。 屋根に、逆U字や渦巻の模様のある家形埴輪。 左下がその屋根(薄いですね)の頂上部。鰹木が載っています。 靫の表面のくるりんは何の表現でしょうかね。 近戸神社に伝わる「三鈴杏葉」も見ることができます。 土器類も充実。こちらは古墳時代。 弥生時代。 縄文時代も。 翼を広げたような形の深鉢形土器。見て楽しむためにつくられたような感が。 このときは白藤古

    粕川歴史民俗資料館 群馬県前橋市粕川町膳 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/19
  • 堀越古墳 群馬県前橋市堀越町 - 墳丘からの眺め

    前回の荒砥富士山古墳見学後は少し時間に余裕があったので、足を伸ばして上毛電鉄の北側の堀越(ほりこし)古墳へ向かいました。 赤城山裾野の斜面の住宅街に残る墳丘。 南に回り込むと開口部が! 県指定史跡。石の標柱も立っています。 英語の解説はシンプルですね。 群馬県指定史跡 堀越古墳 指定年月日:昭和48年8月21日 所在地:前橋市堀越町861番地1 赤城山麓の裾野にできた小谷地に面する傾斜地の中腹に構築された山寄せの円墳で、墳丘径25m、幅2.5mの周堀が南半分に半周している。石室は截石切組積で、明治2年に発掘され、小刀などの出土品があったと伝えられているが、現存していない。 石室は全長6.8m、玄室長3.1m、幅1.9mである。石室前の前庭部は台形状をした空間で前後の二区に分かれ、前方が土間状、石室寄りには玉石が敷かれている。 高崎市にある「山上碑」には、「大児臣」の名が見え、旧大胡町との関

    堀越古墳 群馬県前橋市堀越町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/14
  • 赤堀33号墳(五目牛史跡公園) 群馬県伊勢崎市五目牛町 - 墳丘からの眺め

    前回の蟹沼東古墳群からは700m強東北東へ、前々回の地蔵山古墳からは北北東に600m弱の、国道17号バイパスと北関東自動車道との隙間三角地帯に残った赤堀33号墳(五目牛史跡公園)を訪ねました。 左は北関東自動車道の側道。ブランコの向こうに赤堀33号墳(その向こうに駐車場あり) 五目牛(ごめうし)史跡公園案内図 ☆赤堀33号墳☆ この古墳は、公園整備事業に伴い、その景観を永久にとどめ、後世に伝えるため保存されている。一部発掘調査は実施しているが、埋葬主体部といった主要な部分は未調査のため、詳細は不明である。推定される古墳の規模は最大直径約47mの円形状で、周堀は南側が途切れ「C」字形を呈している。墳丘は葺石で覆われ、築造年代は古墳時代後半と推定される。周辺にも多くの古墳は認められるが、赤堀33号墳は相対的に規模が大きく、被埋葬者は地域の名主的な存在であった人物と思われる。 ゆったりした円墳で

    赤堀33号墳(五目牛史跡公園) 群馬県伊勢崎市五目牛町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/09
  • 蕨手塚古墳・地蔵山古墳・達磨山古墳・赤堀村7号墳 群馬県伊勢崎市五目牛町 - 墳丘からの眺め

    八日薬師塚古墳の後は、その北側に展開する古墳群を廻りました。 まずは蕨手塚古墳。 近寄れる雰囲気では無かったので外観のみで。 古墳マップさんによれば径約37m・高さ約4mの円墳で5世紀後半の築造。竪穴式石室や礫槨など3基の埋葬施設が見つかり、蕨手刀や石製品模造品等が出土しているそう。 そこから300m弱北には地蔵塚古墳。 ぺんさんのサイトによれば、墳長60m・後円部径40m・高さ3.6mの前方後円墳で5世紀初頭の築。中央が後円部で左に前方部が続きます。 地蔵山古墳【群馬県伊勢崎市】 - ぺんの古墳探訪記 南の農道から見上げた地蔵塚古墳。 そこから南側を。左奥の盛り上がりが蕨手塚古墳。右には赤堀村7号墳。その間に華蔵寺公園の観覧車が見えています。 東(左)側へ向くと、達磨山古墳。 ズームで。 地蔵山古墳は墳丘西側に登り口がありました。 誘導ロープあり。 後円部墳頂には瓦屋根の祠。 ここからの

    蕨手塚古墳・地蔵山古墳・達磨山古墳・赤堀村7号墳 群馬県伊勢崎市五目牛町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/07
  • 蛇塚古墳(移築・復元) 群馬県伊勢崎市下植木町 - 墳丘からの眺め

    前回の鶴巻古墳からは西に3㎞強の蛇塚古墳へ向かいました。 行ってみると伊勢崎市立殖蓮第二小学校の敷地内でしたが、県道の足利伊勢崎線沿いだったので、説明板もズームして読めました。 蛇塚古墳の石室 この石室は、かつて日乃出町400番地に所在した蛇塚古墳(雷電山古墳)のもので、市内最大の横穴式袖無型石室です。永く将来に伝えるため昭和54年3月にこの地へ移築復元したものです。 蛇塚古墳は粕川左岸の段丘上に造られた前方後円墳で、昭和38年に発掘調査が行われ、石室内からは鉄鏃および玉類、墳丘部からは馬埴輪(市指定重要文化財)などが出土しました。古墳は、石室に使用されている石材および出土品などから6世紀後半の築造と考えられます。 墳丘 全長:約56m 主軸:北13度東 前方部幅:約38m 後円部径:約38m 石室 全長:9.0m 奥壁幅:2.0m 玄室長:6.05m 入口部幅:1.05m 平成12年3月

    蛇塚古墳(移築・復元) 群馬県伊勢崎市下植木町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/04
  • 鶴巻古墳 群馬県伊勢崎市東小保方町 - 墳丘からの眺め

    前回の円福寺茶臼山古墳からは西に8㎞程移動して、鶴巻古墳へ。 平地に築かれた墳丘です。 市指定史跡。径34mの円墳です。 伊勢崎市指定史跡 鶴巻古墳 古墳は古代の豪族達の墓であると同時に、権力と地域支配の象徴でもありました。ここから境町淵名地区にかけての地域には淵名古墳群と呼ばれる70基以上の古墳が確認されており、この地域を支配した豪族達がいたことを物語っています。 鶴巻古墳はその北端に位置し、直径34m、高さ2.5mの規模をもつ6世紀末頃の円墳です。現状では何も残っていませんが、築造当時は墳丘の裾に円筒形の埴輪や馬・人物等の埴輪が配置され、周囲には堀がめぐらされていたことが昭和43年に行われた発掘調査によって判明しています。 内部にある両袖型横穴式石室は全長5.2m、最大幅2.1mの規模を有し、羨道と遺体を納めた玄室とにより構成れています。天井は凝灰質砂岩の巨石5個を使用し、壁は側壁・奥

    鶴巻古墳 群馬県伊勢崎市東小保方町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/02
  • 円福寺茶臼山古墳(別所茶臼山古墳) 群馬県太田市別所町 - 墳丘からの眺め

    今回からは、2021年12月上旬に訪ねた群馬の古墳シリーズです。 ”キープ”している間に4年近くも経っていました。関東なので日帰りですが、結構回った記憶が微かに…。 まずは太田駅の西4㎞程にある円福寺茶臼山古墳から。 グーグルマップ先生に、墳丘(後円部)北側に導かれました。墳丘に鎮座する十二所神社の標柱が立っています。 墳丘の大きさを感じながら上がります。 墳丘上にあった説明板から実測図。右(北)から登りました。 登り切って振り返って。 その南側の十二所神社の社殿。 社殿の右(北)が墳頂になります。 墳頂から見る社殿。 殿の神像は市の重文となっています。 太田市のサイトでその画像が見られます。 新田荘遺跡(十二所神社境内) - 太田市ホームページ(文化財課) くびれ部あたりにある社殿を、南側から。 東を向く拝殿。 振り返った東側。 「円福寺・十二所神社とその周辺の文化財」の説明板に円福寺

    円福寺茶臼山古墳(別所茶臼山古墳) 群馬県太田市別所町 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/09/01
  • 藤井風 Stadium Live “Feelin' Good” @日産スタジアム・新横浜 - 墳丘からの眺め

    2024年8月25日の、ライブ2日目に当選しました(長女が応募。長女は以前からのファン) 墳行の際に車を使う場合のBGMは、ほぼ風さんです。繰り返し何度も聴いていますね。 ライブは実際最高でした。 開演前の様子。 雲の動きが速かったですが歌のリズムにシンクロしているように感じました。 7万人を一目で見る機会。スマホライトの数は2、3万ぐらいでしょうか。 前日8月24日の収録がyoutubeで、まだ視聴できます。 www.youtube.com

    藤井風 Stadium Live “Feelin' Good” @日産スタジアム・新横浜 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/08/31
  • 那珂八幡古墳 福岡県福岡市博多区那 - 墳丘からの眺め

    宇美町の神領古墳群を見た後は、福岡空港そばの那珂八幡古墳を訪ねました。 ”竹下駅前線”(画面左)という大通りに面しています。右へ入ってすぐのコインパークングに停められました。 那珂八幡宮の縁起には古墳に関する記述も。 那珂八幡宮縁起 祭神 八幡神(誉田別尊=応神天皇) 神功皇后(気長足姫尊=応神天皇の母) 玉依姫(竈門神=神武天皇の母) 八幡神は欽明天皇32年(571)宇佐の御許山に出現し、そのあと菱形山の現在地に祭った宇佐神宮が根である。 八幡信仰は、天平時代から王城鎮護の神の信仰としてはじまり、鎌倉幕府の開府以後からは武神としてあがめられ、武士団の全国浸透につれて八幡神が各地に勧請され、土地の産神として祀られるようになった。 神社の西麓には元宮と称するところがあるが、那珂八幡宮の祭祀のはじめはわからない。 いま、この祭地は、昭和60年3月から7月にかけての調査で、全長75m、後円部直

    那珂八幡古墳 福岡県福岡市博多区那 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/08/29
  • 宇美八幡宮 福岡県糟屋郡宇美町宇美 - 墳丘からの眺め

    光正寺古墳群を見学した後は宇美町立歴史民俗資料館へ向かいました。 資料館は宇美八幡宮の境内脇にあるので、まずは八幡宮へ参拝。 社殿の中では、子どもの巫女さんたちが雅楽の練習中でしたが、その響きがとても美しく、しばらく聞き入ってしまいました。 社殿脇には異様な存在感を放つ巨木が。 社殿を入れて撮ると分かると思います。 樹齢は約2000年の1のクスの木ですが、あまりに大きいので「湯蓋の森」と呼ぶそう神功皇后が応神天皇を出産し、このクスの下で産湯を使われたとき、枝葉が産湯の上に蓋をしているように見えたことから、この名がついたといわれているとのこと。国指定天然記念物。 湯蓋の森(ゆふたのもり) - 宇美町ホームページ 神社ができる以前から巨木への信仰があったのでしょうね。 境内には、他にも大きなクスの木があちこちに。 宇美八幡宮のサイトには"三十余の大樟"と書かれていました。 宇美八幡宮(公式

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    k10no3 2024/08/26
  • 善一田古墳群・その2 福岡県大野城市乙金東 - 墳丘からの眺め

    18号墳を見た後は、古墳群中で最上部に立地する19号墳へ。 迫力ある墳丘。 群中で最初に築かれています。 地域のランドマーク・18号墳 築造時期:6世紀後半(善一田古墳群で最初の古墳) かたち:円墳(二段築成) 大きさ:東西26m、南北22m(6世紀後半の福岡平野で最大級の円墳) 古墳内部:横穴式石室(玄室の高さ3.5m) 副葬品:刀、弓矢、靫、胡籙(ころく:矢を入れる容器)、馬具、鉄鉗(かなはし:鉄器づくりの道具)、装身具 地域のリーダーの古墳 墳丘・石室の大きさや豊富な副葬品から、この地域一帯を治めたリーダーの古墳と考えられます。副葬品は武器類が多いため武人的な性格がイメージでき、鉄鉗(かなはし:鉄器づくりの道具)の存在から職人たちの親方のような性格もうかがえます。 石室入口の左側で複数の土器が出土しました。器類、特に液体にかかわるものが多く、古墳の前で飲を伴う儀式があったと考えら

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    k10no3 2024/08/21
  • 善一田古墳群・その1 福岡県大野城市乙金東 - 墳丘からの眺め

    今里不動古墳からは東に1.6㎞、大野城跡がある山塊の北西裾の善一田(ぜんいちだ)古墳群を訪ねました。 古墳公園としてきれいに整備されています。駐車場、トイレも有り。 居並ぶ開口部が圧巻です。 現地説明板 善一田古墳群 遺跡の概要 時代:古墳時代後期~終末期の群集墳です。6世紀後半~7世紀後半までの約100年間に造られました。 古墳に葬られた人:この地で活躍した鉄器づくりの職人や、アジアとの交流で活躍した人々であることが明らかになっています。最も大きなものは丘の一番上にある18号墳で、この地域一帯を治めたリーダーの古墳と考えられます。 古墳と古墳時代:古墳時代の大きなお墓のことを古墳と呼びます。善一田古墳群で古墳が造られ始めた6世紀の終わり頃は、蘇我氏や聖徳太子が活躍した時代です。7世紀後半には、周辺で水城・大野城が築造され大宰府政庁が整備されるなど、古墳時代は終わりを迎えていきます。 みど

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    k10no3 2024/08/20
  • 今里不動古墳 福岡県福岡市博多区金の隈 - 墳丘からの眺め

    須玖岡遺跡の見学後も少し時間があったので、福岡平野を北東へ3㎞横切って月隈丘陵裾の今里不動古墳へ向かいました。 狭い急坂を上がる途中に入口が。車の場合は駐車場所を探す必要があります。 ”門”に表示があるのは心強いです。 そこからは下り道。 降り切ったところに説明板があります。 福岡市指定史跡 今里不動古墳 昭和62年3月30日指定 この古墳は福岡平野の東南部に位置し、月隈丘陵からのびる小高い丘の上に作られた古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭)の直径34mの円墳です。 墳丘の中には死者を葬る両袖型の横穴式石室があります。花崗岩の大きな石を組み合わせて作られたこの石室は、奥室(玄室)の前に前室をもつ複室構造で、このように大きな構造の石室は数少なく、福岡平野でも最大級のものです。 当時、御笠川中流域を治めた有力豪族のお墓と考えられ、古墳時代社会及び古墳の変遷を知る上で貴重なものです。 昭和62

    今里不動古墳 福岡県福岡市博多区金の隈 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/08/19
  • 須玖岡本遺跡・後編(岡本山・盤石・岡本地区) 福岡県春日市岡本 - 墳丘からの眺め

    奴国の丘歴史公園からは北側の神社や住宅地の遺跡へ行ってみました。 まずは熊野神社へ。 こちらが拝殿。後ろに高まりが。 殿は、高まりの上でした。 回り込んで後ろから殿を。これは古墳ですね。 さらに回って、横から殿を。 古墳時代後期の円墳とのこと。須玖岡遺跡の時代からは600年ほども後のものになりますね。 https://www.city.kasuga.fukuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/436/kawara8_2.pdf 古墳の説明板は無いですが、須玖岡遺跡に関しては詳しく。 須玖・岡遺跡 春日市の中央を南北に走り福岡平野に突出した春日丘陵上には、弥生時代の貴重な遺跡が密集し、須玖・岡遺跡はこの丘陵の北端に位置しています。 明治32年、大石の下より甕棺が発見され、その内外から前漢鏡30数面、銅剣、銅矛、

    須玖岡本遺跡・後編(岡本山・盤石・岡本地区) 福岡県春日市岡本 - 墳丘からの眺め
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    k10no3 2024/08/18