ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (10)

  • やまもといちろう氏のツイッターアカウント凍結で思ったこと: 極東ブログ

    ブログの話題でもないかもしれないし、私が取り上げる話題でもないだろう、そもそもそれほどたいした話題でもないんじゃないかか、と思い数日過ごしていたが、日のブログのブログの歴史を振り返ってみると、というのも大げさだが(アルファブロガーなんちゃら)、案外私もコメントしておいてもいいかもしれないと思い直し、わずかだが、やまもといちろう氏のツイッターアカウント凍結で思ったことを簡単に書いておく。凍結というのは、発言禁止ということ、「おまえここでこれ以上、つぶやくなよ」ということ。なお、気取るわけでもないが、この話、あくまで日のブログ史の資料程度ものであって、同氏への関心というものでもないので、そこはそういうことで。 そもそもこれがニュースなのか、つまり、ツイッターのいちアカウント凍結がニュースなのかというと、普通は、その凍結された人の重要性が問われるだろう。そうした意味で、やまもといちろう氏が、

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    k45115 2018/07/28
  • 死刑をなくすということ: 極東ブログ

    私が死刑廃止論者になったのは、21世紀に入ってからである。というのも、2001年の附属池田小事件がきっかけだったからだ。この事件で無防備な小学生8人を殺害した宅間守に彼の望みである死刑を与えてはいけないと思った。この人間を自然に命尽きるまで生かせて、その口から自らの意思で悔恨の言葉を公にするのを聞きたい、そして、その命が尽きるまでその罪に苦しんでほしいと思ったからだ。 こう言ってもいい。死を決意するならなんでもできるというときでも、人を殺すこともできる、ということはない。人が自死を決意することはその人の自由だろうが、その自分の死に他者の命を釣り合わせてはいけないと。 そうして死刑廃止論者としての自分というものを受け止めて、21世紀を生きててはや、十数年。おりおりに思うことがある。最近では、3つ思った。 1つは、死刑廃止論をリベラル思想だから嫌悪するという考え方に違和感を覚えたことだ。オウム

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    k45115 2018/07/08
  • やあ、僕だよ。久しぶり。: 極東ブログ

    やあ、僕だよ。久しぶり。 ブログに書きたいことがなかったわけでもないんだけど、まあ、いろいろあってね。さて、なんの話にするかな。森友学園? まさか。もっとつまんない話がしたいんだ。ブログなんてそう、そもそもつまんないもんじゃないか。 昨日だった。ダイヤモンド・オンラインというサイトで『自民党「愛煙家」議員暗躍!受動喫煙対策法案は骨抜きに』という記事を見かけた(参照)。内容はわかりやすい。表題から想像が付くと思う。でも、ついでにリードも引用しておこう。こういう話だ。 森友学園問題や南スーダンの自衛隊の日報問題など課題の多い第193回通常国会のなかで、政府が成立を目指そうとしている1つの法案がある。2020年の東京五輪に向けて制定を目指す受動喫煙対策法案だ。受動喫煙の制限促進に好意的な世論を考えれば、速やかに制定してもおかしくないこの法案。だが、自民党内の強硬な反対もあり、法案成立の目途は見え

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  • 2016年の参院選が終わった: 極東ブログ

    参院選が終わり、概ね自民党および安倍政権が国民から信頼されたと見てよい結果が出た。私は今回の選挙はあまり関心がなかったが、世論の一部では、自民党による憲法改正を阻むことが論点だとも言われた。 まさかねえ、と思っていた。が、渦中関連発言しても政治的な熱気のなかではろくなことにならない。ので、後出し的に、「まさかねえ」の部分の思いを書いてみたい。書いてみたいというのは、率直に言って、自分の考えにバグがあるかもしれないなという懸念を検証したいわけで、特定のイデオロギーを嘲笑しているという意味ではまったくない。 話の枕は、今日付けの朝日新聞社説「自公が国政選4連勝 「後出し改憲」に信はない」がよいだろう。参照リンクをつけたいところだが、「http://www.asahi.com/paper/editorial.html」では意味がないだろう。 歴史的な選挙となった。 1956年、結党間もない自民党

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    k45115 2016/07/11
  • 荒地派のスペクトラム: 極東ブログ

    「荒地の恋」に何気なくという感じで北村の話相手として加島祥造が出てくる。原作でもドラマでも。それは荒地派詩人であることと彼のだった最所フミを介して、鮎川信夫との物語にも接続するのだが、こうした荒地派詩人としての詩人たちの時代は、もう終わってしまい、あまり顧みられないように感じられる。そういう時代になったのだなと思う。 まったく顧みられないわけでもない。むしろ北村太郎や黒田三郎は、その詩のある普遍性から現代において小さくリバイバルしているようでもある。かく言う私もcakesに黒田三郎について書いた(参照)。黒田三郎を古典として再考したいという思いには、微妙に戦争と戦後というものの感触に関わる部分がある。 こういうとやや勇み足な言い方にはなるが、戦後という知的空間の一部を占めていた「現代詩」が現在どうなっているのか私はもうほとんど知らないのだが、概ね終わったのではないか。 そうしてみると、「

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    k45115 2016/02/15
  • 予言というわけでもないがサウジ・アラビアが不安定化するかもしれない: 極東ブログ

    ガス・スタンドで100円を割る数字を見るようになった。数年前を思うと、想像しがたいほどの原油安である。なぜこうなったかというと、とりあえずは世界規模の需要不足ということで、その先鋒が中国だが、さてそれでこの原油安に十分に説明がつくのかというと、よくわからない。それに加える要因としては、当初はシェール革命の影響とそれに対応するサウジの思惑なども言われていた。またここに来て、イランが国際社会に復帰することで原油価格がさらに下がることも予想されている。 そうした関連の話題で、最近見かけた金融商品化説は興味深かった。NHK「原油安 拡大するその影響」(参照)に話題がある。 今回の原油安の大きな原因は、原油が『金融商品』になってしまったというところがあると思っています。 具体的に、原油の値段につきましては、先物が原油の実体の値段を決めていまして、原油の先物は、実は2000年代の半ばから、株式、それか

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    k45115 2016/02/09
  • 一番大切なものが欠落していた戦後70年談話: 極東ブログ

    予定通り、昨日の14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した(参照)。私も定刻にNHKを付けてみたら、おじゃる丸がやっていていた。首相の代わりにおじゃる丸とは、ああ、日も平和になったものだな、と思った。が、気がついたが、NHKといってもいつも私が見ているそのチャネルだけではなかった。 同時刻ツイッターを覗くと他局でもCMを挟んでやっていたらしい。なかには、センター試験の論述問題よろしくキーワードのチェック項目も掲載していたところがあったようだ。ご冗談でしょう? 戦後70年談話について、安倍首相を攻撃できる部分があるかとワクテカして聞いている人たちもいたようだった。しかし、突発事態でもなければそんなネタが出るはずもないのは、すでに有識者会議「日の役割を構想するための有識者懇談会」の報告書(参照)が出ていて、首相談話もこれに逸脱することがないことからもわかるはずだ。というか、この報告書

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    k45115 2015/08/16
  • 安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかな: 極東ブログ

    これもなんとなく思っていたことだが、めんどくさいので書かなかった。しかしちょっと書いておこう。安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかなということだ。 あえて書こうかなと思ったのは、今回の安保法制を理解する上で、中国海洋侵出への対抗という文脈は違うのではないかと思うからだ。いや、それも正確な感覚ではない。政府側はそういう文脈を与えることがわかりやすい説明だと思っているだろうが、実際の法案を書いた法制局はそう考えていないのではないかというか、そんな違和感である。実際に法案の原文を読んだときからその違和感を持っている。最初に弁解を記すならごく印象にすぎないのではあるが、少し文章的に補ってみよう。 この印象が濃くなったのは、井上武史・九州大学大学院法学研究院准教授の見解を見てからだった(参照)。世の中は、安保法制は戦争法だとか違憲だとかいう観点で井上教授の意見を受け止め、その先

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    k45115 2015/07/21
  • [書評]ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡(シルヴィア・ナサー): 極東ブログ

    ゲーム理論を実質完成させた天才数学者ジョン・ナッシュの数奇な生涯を描いた「ビューティフル・マインド」といえば、ロン・ハワード監督ラッセル・クロウ主演の、美しく感動的な映画(参照)が有名で、書「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡(シルヴィア・ナサー)」(参照)はその原作とも思われがちだ。私もそのクチで映画は見たものの、書籍のほうは読もうと思って忘れていた。ナッシュの生涯については他書などで自分は知っているつもりでいたせいもある。 この夏、書名からも関連性がわかるが、トム・ジーグフリード著「もっとも美しい数学 ゲーム理論」(参照)について書く機会があり、そういえばとナッシュの評伝である書を読み始めた。読みづらいではないし、訳文もこなれているのだが、とにかく内容が濃く、しかも600ページ近い大著でもあり、読書には手間が掛かった。 いや違う。すらすらと読んではいけない書籍なのだ

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    k45115 2015/05/25
  • 不倫は市民社会にとって「悪」でもなんでもない: 極東ブログ

    昨日のエントリーを書いて、意外な反応があった。率直にいうと、私が何を書いても罵倒を投げかけてくる一群の人がいるので、それはそれとして静かな白樺の林の見える特等席に座っていただくとして、意外だったのは、「不倫」の話題を持ち出すのが「ゲス」とか「セカンドレイプ」だとの指摘だった。 びっくりした。私の誤解かもしれない。誤解でびっくりしているのかもしれないが、誰が不倫をしていても、そんなことどうでもいいことなんじゃないのか。 不倫は公の市民社会にとっては「悪」でもなんでもない。不倫が問題になり「悪」であるのは、個的な関係だけである。私を例にするなら、私と性的または愛情の関係にある一群の人との関係内の問題である。別の言い方をすれば、文学的な問題にはなると思う。でも、明らかに市民社会の問題ではない。 誰が不倫していたかというのも、まったくどうでもいいこと。ではなぜそんな話を出したのかということ、まさに

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    k45115 2014/06/22
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