皇民化教育後悔 戦前、日本の植民地時代の朝鮮で小学校の教壇に立ち、皇民化教育を続けたことを反省し、戦後は反戦平和に力を尽くした富山市の杉山とみさんが22日、亡くなった。102歳だった。葬儀は近親者で営んだ。 杉山さんは1921年、両親が移住した先の大邱(テグ)で生まれた。現地の女子師範学校を卒業後、太平洋戦争が始まった41年、今の小学校にあたる達城国民学校で初めて教壇に立った。当時、現地では朝鮮語教育が禁じられ、子供たちは日本名に改名させられた。杉山さんも軍歌を教え、神社に参拝させるなど皇民化教育に協力した。「戦争中とはいえ純真な韓国の子どもたちに日本語を強要した」と生涯、自分の傲慢さを後悔した。