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2009年1月29日のブックマーク (7件)

  • 消えた野良犬 - 未来の蛮族

    上京してもう何年にもなる。東京では、ただの一匹も野良犬を見たことがない。おれはこのことをわりと重大に受け止めていて、さすがは大東京だ、犬畜生に生きる余地など残しはしないぜ、などと考えていたのだが、慎重に記憶を辿ってみれば、東京から遠く離れた故郷の村でさえも、ここ十年ほどは野良犬を全く見ていないのだ。 今からずっと前、おれがまだガキの時分には、村には沢山の野良犬がいた。おれの家の近所にも一匹の雌犬が暮らしていたのを覚えている。彼女はどちらかといえば醜かったが、とても大人しく、賢い犬だったので、近隣のガキどもにはわりと愛されていたように思う。 おれは彼女の足音を聴くのが好きだった。人間に比べればはるかに小さな彼女の足がアスファルトを叩き、とっとったっ、とリズミカルに音をたてるのを聴くと、何とも言えないような気分になったものだ。当時のおれは、どういうわけだか、足音をたてる動物は人間だけだと思い込

    消えた野良犬 - 未来の蛮族
  • https://www.deadlycreaturesgame.com/

  • 酸入りタンクで死体300人分を遺棄、メキシコの殺し屋

    300人の死体を遺棄したとして逮捕され、連邦警察官に付き添われてメキシコ市(Mexico City)で報道陣の前に姿を現した、自称「スープメーカー」、サンティアゴ・メサ・ロペス(Santiago Meza Lopez)容疑者(2009年1月25日撮影)。(c)AFP/Alfredo ESTRELLA 【1月26日 AFP】メキシコで自称「スープメーカー」を名乗る殺し屋が、麻薬カルテルの依頼で過去10年の間に、殺害された犠牲者の遺体約300人分を酸を満たしたタンクに遺棄していたことが発覚した。 軍に拘束されたサンティアゴ・メサ・ロペス(Santiago Meza Lopez)容疑者(45)人が23日、報道陣を前に「過去9年から10年の間に彼ら(カルテル)は、約300人の死体を持ち込んだ」と語った。 ロペス容疑者はこの「仕事」の見返りとして、麻薬カルテルのボス、エドゥアルド・ガルシア・シメン

    酸入りタンクで死体300人分を遺棄、メキシコの殺し屋
  • 楳図かずお、東京地裁で勝訴のグワシ!

    楳図かずおが東京都武蔵野市吉祥寺に建築した自宅をめぐり、近隣住民2人が「周囲の景観を破壊する」として外壁の撤去などを求め訴えていた裁判が、日1月28日午後1時、東京地裁708号法廷(畠山稔裁判長)にて行われた。 問題となった楳図の自宅は、外壁が楳図のトレードマークである赤白ボーダーに彩色され、屋根に自身のキャラクター「マッチョメマン」をあしらった円柱型の塔が付く。建設された場所は井の頭公園に近い閑静な住宅街で、通称まことちゃんハウスと呼ばれていた。 畠山裁判長は「周囲には青や薄紫色の建物もある」「周囲の目を引くものではあるが、景観の調和を乱すものとまでは認めがたい」と述べたうえで、「建築基準法に違反もしておらず、法的規制はない」とし、住民の訴えを退けた。 また「円塔の窓から近隣宅を覗く恐れがある」として周辺住民のプライバシー侵害を危惧した訴えに対しても、「近隣宅を覗き見ることは窓の構造上

    楳図かずお、東京地裁で勝訴のグワシ!
  • asahi.com(朝日新聞社):姿は違うが…親子と判明 3科の深海魚、DNAほぼ一致 - サイエンス

    ソコクジラウオ科は雄とわかった。長さ約6センチクジラウオ科は雌とわかった。長さ約10センチリボンイワシ科は子どもとわかった。全長80センチになるのもいる=いずれも国際研究チーム提供  これまで別ものとされてきた深海魚の三つの科が、ひとつにまとめられそうだ。日米豪の国際研究チームが、3科が成長とともに姿を大きく変える魚の子ども、雄、雌にあたることを明らかにした。英専門誌バイオロジー・レターズ(電子版)に発表した。  キンメダイに近い仲間のリボンイワシ科、ソコクジラウオ科、クジラウオ科の3科で、それぞれ体長の5倍以上もある長いリボン状の尾、肥大した嗅覚(きゅうかく)器官、クジラのような顔つきといった特徴をもつ。  見直しのきっかけは、チームに加わる千葉県立中央博物館と東京大海洋研究所などが03年に発表した論文。魚類100種のミトコンドリアDNAの塩基配列を比べたら、リボンイワシ科とクジラウオ科

  • http://d.hatena.ne.jp/nanagatsu/20090128

  • G SPIRITS

    【前編】ではヤンキー時代の過激な青春時代を語ってくれた宮裕向。後半ではプロレスに対する己の持論を展開してくれた。広島で暴れていた宮に衝撃を与えたプロレスとは? そこからなぜプロレス界へと足を踏み入れるに至ったのか? そして見据える将来とは? 今やインディーマット界に欠かせなくなった宮の、知られざる素顔に迫る。(聞き手=村上謙三久) 改めてこの業界に入ったキッカケを教えてください。 「高校生の時、正月に家で寝てて、パッと目が覚めたら、プロレスが流れてたんですよ。それが1・4東京ドームで、武藤敬司vsスコット・ノートン、大仁田厚vs佐々木健介、あとは橋真也vs小川直也だったかな」 小川さんが暴走してノーコンテストになった1999年の試合ですね。 「そうです。プロレスは小っちゃい頃に観たことはあったんですけど、全然覚えてないんで、それが事実上、初めて観たプロレスだったんですよ。そしたら“