タグ

評論に関するkachifuのブックマーク (34)

  • 『美術評論家連盟会報』 23号 特集「美術評論の再起動」 | 美術評論家連盟 AICA JAPAN

    『美術評論家連盟会報』23号を発行しました。 号では、特集「美術評論の再起動」のほか、追悼文、2021年10月から2022年9月までの1年間に国内で開催された展覧会・個別の活動・書籍・作品・出来事などから注目すべき事柄を選ぶ「私のこの3点」、そして会員による短信などを掲載しています。 『美術評論家連盟会報』 23号[目次] 0-1 特集について 特集「美術評論の再起動」 1-1 別の仕方で、新しいヒトとモノの方へ  ——千葉雅也インタビュー 1-2 美術評論の生態系  四方幸子×アンドリュー・マークル 1-3 批評と作者-バーネット・ニューマンとロバート・マザウェルの往復書簡から-  芦田彩葵 1-4 倒錯するオブジェ――「彫刻」をめぐる〈彫刻的なもの〉をめぐる近況 緒論  勝俣凉 1-5 消えていく言葉、形を与えようとすること:ジーン・マクヒューにとってのポストインターネットアート  

  • ボリス・グロイス『アート・パワー』の書評リスト - kk392のブログ

    ボリス・グロイス『アート・パワー』の書評リストを作りました。EBSCOに結構あります。ネット上にも1/3くらいあります。Public Art Reviewだけ日では入手できません。 Blazwick, Iwona. Review of Art Power by Boris Groys. Art in America 96, no. 5 (May 2008): 142. Dillon, Brian. Review of Art Power by Boris Groys. Frieze, no. 117 (September 2008). Fiedler, Garland. Review of Art Power by Boris Groys. Art Lies, no. 60 (winter 2008). Hirtler, Kurt. “How Not to Be Romantic: Re

    ボリス・グロイス『アート・パワー』の書評リスト - kk392のブログ
  • http://www.aicajapan.com/newsletter/webnewsletter_1.pdf

    kachifu
    kachifu 2011/11/25
    「美術評論家連盟会報」ウェブ版 第1号。紙媒体から移行とのこと。
  • 月刊『美術手帖』 最新のアート&アーティスト情報・展覧会情報・評論を掲載

    bijutsu.co.jp へアクセスいただきありがとうございます。 bijutsu.co.jp ドメインは現在、株式会社 美術出版エデュケーショナルが所有しております。 かつて存在した美術出版グループの情報については以下をご覧ください。 旧・美術出版ホールディングス 株式会社 美術出版ホールディングスは、現在は活動しておりません。 旧・美術出版社 株式会社 美術出版社は現在、カルチュア・コンビニエンス・クラブ 株式会社のグループ会社として活動しております。詳しい情報は株式会社美術出版社のウェブサイトをご覧ください。 旧・美術出版ネットワークス 株式会社 美術出版ネットワークスは一部事業を株式会社 D2Cソリューションズへ譲渡し、現在は活動を休止しております。 旧・美術出版サービスセンター 2016年9月1日より株式会社 美術出版エデュケーショナルに商号を変更いたしました。旧美術出版グルー

  • 【海難記】 Wrecked on the Sea - 小説のことは小説家にしかわからないのか〜田中和生×高橋源一郎論争の行方

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    【海難記】 Wrecked on the Sea - 小説のことは小説家にしかわからないのか〜田中和生×高橋源一郎論争の行方
  • 絶対安全中間報告 | How It Is

    ↓で、「絶対安全文芸時評」の第七回で書いたボヤキ(?)がコレです。ボヤいてる割にはヤル気満々です(苦笑)。 早いもので連載も第七回。すなわちちょうど過去半年間に渡って、毎月刊行される文芸誌に掲載されている全ての小説(連載、連作を除く)をせっせと読んで、個人的な観点から十作を選んで順位を付けて短評を書いてきたわけです。もともと自分から思いついて始めたことですし、そもそも以前から割とディープな「文芸誌ファン」でもあったのですが、しかしこうして続けてきて我が心中を顧みるに、そこにいつのまにか自分でも予期していた以上の、猛烈な徒労感というか、バカバカしさにも似た虚無感のようなものがドカーンと育っていることに気付きました。 ……嘘です。そんなことは最初から分かっていたことなのだ。それは始める前からもちろん織り込み済みで、むしろ「それゆえに」こんな連載をやろうと考えたのだから。はっきり言って、こんな

    絶対安全中間報告 | How It Is
  • ワニ狩り連絡帳 - 『夏への扉「マイクロポップの時代」』@水戸芸術館・現代美術ギャラリー

    kachifu
    kachifu 2007/05/09
    要約すると昔は良かった、今つまんない、という方向での批判に読めてしまう。そしてそれを言ってるだけでは面白くはならない気が。
  • ART TOUCH 絵画と映画と小説と

    いま、田中功起ブームが起きている。といっても、ひそかなブームなのだが、それにしても、今年に入ってほとんど同時に五カ所で田中功起のビデオ・アートが展示されるという盛況ぶりだ。以下田中が出展した展覧会を並べてみる。 1.水戸芸術館「マイクロポップの時代」:《each and every》2/3~5/6 2.国立新美術館「20世紀美術探検(第Ⅲ部マテリアル・ワールドに生きる)」:《あたりまえのこと、あたりまえでないこと、そしてたぶんそのほかのこと》1/21~3/19 3.上野の森美術館ギャラリー「第一回田中功起ショー」:《いままでのこと、さいきんのこと、これからのこと》3/16~3/30 4.森美術館「笑い展(4.逸脱する笑い)」:《そうして森美術館にたくさんのたらいが落ちる》1/27~5/6 5.青山|目黒「田中功起展」 僕がはじめて田中功起を見たのは、art@agnesのギャラリー「青山|目

  • レビュワーの時代なのだ(…) | How It Is

    豊崎由美『どれだけ読めば、気がすむの?』。とっても面白かった。トヨサキさんて莫言好きだよね(僕も好きです)。あとがきで触れられている、「わかる」「わからない」問題、は、最近の中原昌也がしつこいほどあちこちで繰り返している提言(?)や、こないだの「LIFE」の「教養」の回で語られていたことや、僕がQJの連載「イズミズム」で考えようとして破綻し、UNKNOWNMIXをまたやりたいと思ったこととかとも完全に繋がっている。 そこで思い出したので、前に「ブルータス」のCD特集に寄せたディスク・レコメンをアプしておきます。 未知なるもの、ワケのわからないもの、頭の中がクエスチョン・マークで一杯になるようなものに対する感性が、刻々と失われつつあると思います。みんな既に知ってる/分かってることばかり、知りたい/分かりたいように見える。音楽もまた然り。そこで敢て世の趨勢に叛旗を翻して(?)、何コレ?感溢れる

    レビュワーの時代なのだ(…) | How It Is
    kachifu
    kachifu 2007/03/29
    『「書評」だってほんとうは「批評」であるわけだし』
  • 新宿西口のオブジェのどこが問題なのか? - aesthetica’s blog

    最近学生と話題にしたことで面白かったことを忘れないうちに書いておく。 それは新宿西口にある、かの奇妙な「オブジェ」についてである。 この突起物は、1996年の新宿西口地下道からホームレスを退去させる騒動のなか、突如として作られた。 武盾一郎氏の記録が正確だとするなら、それは「道の外観を良くするオブジェ」(『東京ジャーナル』)として東京都によって設置されたものだ。そして、アーチストとして西口地下道のダンボールハウスに絵を描いてきた武氏は、このオブジェに絵を描いたことで、「政治犯」として22日間の拘留を受けている。 明らかにホームレスの排除のみを目的としたこのオブジェについては、セキュリティ社会を論じる文脈のなかで、すでに度々論じられてきた。例えば五十嵐太郎氏はそれを「排除」という観点からのアーキテクチャー(「セキュリティ戦争の空間」『新現実』vol. 2)と呼び、北田暁大氏はそれを「環境管理

    新宿西口のオブジェのどこが問題なのか? - aesthetica’s blog
  • ■ - paint/note

    国立新美術館についての先日のエントリ(参考:id:eyck:20070305)に関して、メールにて「国立新美術館は英語表記ではアートミュージアムではなくアートセンターであり、その差を考慮すべきではないか」との指摘を受けた。まず僕は先のエントリでは、国立新美術館がアートミュージアムではなく(コレクションを持たない)アートセンターである点については批判していない(個々の美術館にある既存のコレクションが有機的な連動の結果、意義ある展覧会に結実するなら、それは良いことだと記述もした)。僕が批判したのはまず第一に「20世紀美術探検」展における美術作品の扱い(簡単に言えば展示が雑なのだ)についてであり、そこから感じ取れる、国立新美術館の美術というものに対する姿勢、およびそのような姿勢を招来している、この「美術館」の背景あるいは構造だ。そしてそのような背景が漠然と隠されていることと連動しているかのような

    ■ - paint/note
  • 楽しい計算音楽の日(日誌) | How It Is

    ・何と朝10時からの「東京芸術見市」の木村覚×大谷能生コラボ・レクチャー「映像ショウケースー「映された」身体表現にみる戦後から現在までのアートの諸相とこれから」を聴講。こんな早い時間であるにもかかわらず、席が3分の2は埋まっている。大谷君はフリートークでない今回のような講義形式だと途端に普段の淀みない喋りから訥々とした語り口になる傾向があるのだが、今日はそれ以上に時折ナゾの間が開いて、聞いてる内に気付いたのだがコレはまるで『AA』の僕のようではないか笑。あの映画の撮影の際、僕は実は風邪で高熱を発していて、あらためて映像で観ると普段の自分とはかなり違った、やけに沈思黙考しまくりキャラに映っているのだけれど、あれは熱で頭がボーッとしていたせいで、まあそのおかげで何だか考え深い感じに見えてよかったのかもしれないが(ちなみに『AA』の他ならぬ大谷君による青山監督インタビューで青山君が「佐々木君

    楽しい計算音楽の日(日誌) | How It Is
    kachifu
    kachifu 2007/03/07
    佐々木敦氏による「東京芸術見本市」の木村覚×大谷能生レクチャー「映像ショウケース「映された」身体表現にみる戦後から現在までのアートの諸相とこれから」の聴講メモ
  • Christopher Wool: Painting about Painting

  • paint/note - ずいぶん前の話しだが、ギャラリーが集まって開いたアートマーケット「art@agnes」に行っていた。

    ずいぶん前の話しだが、ギャラリーが集まって開いたアートマーケット「art@agnes」に行っていた。画商や一部インデペンデントな団体も混ざっていたらしいが、ホテルを借り切って各客室に作品を置きホワイトキューブではないリビング的空間でアート作品を見てもらい、その場で即売しようという企画だったようだ。ここに出ていた作品のほとんどが、幼児退行的なゴミのような作品だったということを指摘して批難することに意味はない。ビジネスマン達はゴミをアートだと勘違いしているのではなく、今日のアート市場ではゴミの方が売りやすいと思っているから懸命にゴミを売り立てているのであって、ごく一部に相応の水準の作品があったことも、要は作品というのはほとんどがつまらず、一部が面白いという、美大の学園祭から国際的アートイベントでも共通の構図を反復しているだけだ。 日に従来型ではないアートマーケットを作ろうという動き自体は悪

    paint/note - ずいぶん前の話しだが、ギャラリーが集まって開いたアートマーケット「art@agnes」に行っていた。
  • Information: 『わかりやすい』先端芸術

  • 【海難記】 Wrecked on the Sea - 「ロスト・ジェネレーション」について

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

    【海難記】 Wrecked on the Sea - 「ロスト・ジェネレーション」について
  • ART TOUCH 絵画と映画と小説と

    山内崇嗣展(東京オペラシティ)★★★☆ 東京オペラシティの展覧会にはいつも新しい発見がある。といっても、私が無知なだけなのだが、たとえば、『シュテファン・バルケンホール展』を見るために、初めて此処に来たとき、収蔵品展で相笠昌義を知った。アーティストではないまっとうな絵描きに久しぶりに出会ったような気がした。 収蔵品展と一緒に、新人を紹介する展示〈project N〉が、毎回、四階のコリドールで開かれている。山内崇嗣で27人目だというのだから、随分と息のながい企画であるが、見ている人はあまりいない。そのことをギャラリー側は知っているのだろう、切符売り場でも、3階の企画展の入り口でも、特に4階の収蔵品展の入り口では、〈project N〉もご覧下さいと念を押すのだが、なにしろ廊下(コリドール)だから誰もがすたすた通り過ぎていく。そう言うわたしも実は見なかったのだが、前回の『インゴ・マウラー展』

    kachifu
    kachifu 2007/01/07
    山内くんのオペラシティの
  • 「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波

    (美少女ゲーム年代記 - 魔王14歳の抱き枕に書いたのと同じ内容です) 批評者の言葉が創作者から見て的外れになりがちなのは、ひとつには、その仮説を実証する機会がほとんどないからという理由が挙げられると思います。実際の人間を相手にしている創作という活動は"例外が多い"ということにかけてほとんどスポーツみたいなものです。よりよい創作を行うためには、実験によって常に理論を修正し、それが追いつかない複雑な部分は身体感覚でカバーするしかないわけです。 自分でものを作るという作業に携わらない以上、批評者は「作品を作る際の自分の感覚」と「作品を鑑賞した者の反応」を照らし合わせるということができません。批評者には、後者の"外から観察できる反応"しか知ることができないのです。言葉選びのセンスとか、テーマの有効な伝え方とか、もっとも鑑賞者の心を揺さぶる演出挿入のタイミングとか、そういったことを創作者はいちいち

    「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波
  • 蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.2

    5.批評家の才能 6.フィクションについて 5.批評家の才能 ──今後も新作映画について発言しようという意志を先生はまだお持ちであるとお見受けしたのですが。 蓮實:1の作品をそれにふさわしく評価し、最低2400字でレヴューを書くとなると少なくとも2度は見なければならないし、ときには1回しか見られず、その数日後に文章を渡さねばならないときもある。それやってると疲れます。次々に新しいものを見てそれについてけなしたりほめたりするのは年齢的に苦しく、もう次の世代の役割だと思っているんですが、なかなかこれというひとがいませんね。香港映画にとどまらず、他の地域の作品についても語る宇田川幸洋氏のレヴューは、ごく短いものでも作品評価の上で信頼していますし、文献を充分に読みこんだ上でそれを自分の言葉にして語る芝山幹郎氏のエッセイの含蓄の深さを好んでいますし、また小説家である阿部和重氏と中原昌也氏の対談時評

  • 『ウチくる?』と昇太と「落語とは何か?」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    今日の『ウチくる?』に春風亭昇太が出てた。 この番組も好きなんだけど、今日は面白かったな。見てて何も考えないですんで楽しくなる。昇太は、ホントにフラのあるヒトだと思う。ただ何かしゃべってるだけでおかしい。飯島愛が、多分いちばんその部分に反応してた。 別に格的に昇太の落語を見たわけじゃない。もともとこういう新作系、破格系の落語にはあまり興味がない。だったら落語家じゃなくてトークでいくらでも面白いヒトいるし、という感じだったし。でも、昇太の落語は「面白い」んだよね。不思議な感じだった。あきらかに「落語じゃなさそうな」話なのに、ナゼかそのオカシさに「落語」も感じられた気がするんだよね。まぁ、あんまりちゃんと聞いてないので、無責任な印象ですけども。 ずいぶん前、 談志の立川流門下・立川藤志楼(たてかわとうしろう)こと高田文夫さんの真打昇進記念(だった気がする・・・・とすれば88年)の公演を見に行

    『ウチくる?』と昇太と「落語とは何か?」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ