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newsと訃報に関するkachifuのブックマーク (11)

  • 彫刻家の舟越桂さん死去 72歳 半身像に大理石の目、本の表紙にも | 毎日新聞

    舟越桂さんの「ラムセスにまつわる記憶」=神戸市中央区の兵庫県立美術館で2015年6月27日、梅田麻衣子撮影 詩情の漂う人物像で知られる、現代日を代表する木彫作家、舟越桂(ふなこし・かつら)さんが29日、肺がんのため死去した。72歳。 クスノキを使った半身像に彩色を施し、さらに大理石の目をはめ込むという独自のスタイルを確立。歴史ある木彫の世界で、新しい地平を切り開いた。 盛岡市生まれ。高校時代はラグビーに熱中したが、彫刻家の道に進むことを決意。東京造形大卒業後、東京芸大大学院に進学し、1977年に修了した。 大学院在学中に北海道のトラピスト修道院から依頼を受け、初めてクスノキを素材に聖母子像を制作。以降、格的に木彫の道を歩むようになる。

    彫刻家の舟越桂さん死去 72歳 半身像に大理石の目、本の表紙にも | 毎日新聞
  • 写真家 篠山紀信さん 死去 83歳 時代を象徴する人物撮り続ける | NHK

    著名人の肖像など時代を象徴する人物を撮り続けてきた写真家の篠山紀信さんが4日、老衰のため亡くなりました。83歳でした。 篠山紀信さんは東京都出身で、日大学芸術学部の写真学科に在学中に広告制作会社に入社して広告写真を撮影し、その後、フリーのカメラマンとして活動を始めました。 歌手の山口百恵さんや、ジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんの写真、それに、1991年に発表して話題になった宮沢りえさんのヌード写真集など多くの話題作を手がけました。 「激写」ということばを生み出したほか、俳優の樋口可南子さんを撮影した作品をきっかけに生まれた「ヘアヌード」ということばは流行語にもなりました。 また、人物だけでなく建築や風景なども対象に、時代を切り取るさまざまなジャンルの写真を撮り続け、東日大震災のあとは被災地に足を運んで作品を発表したほか、2012年から7年にわたって全国で開催された巡回写真展には10

    写真家 篠山紀信さん 死去 83歳 時代を象徴する人物撮り続ける | NHK
  • 「つくらない彫刻家」を宣言、福岡道雄さん死去 87歳:朝日新聞デジタル

    彫刻家の福岡道雄さんが15日に亡くなった。87歳だった。故人の遺志で葬儀は行わない。 1936年、大阪府堺市に生まれた。大阪市立美術研究所に入所。海辺の砂に開けた穴に石膏(せっこう)を流して固めた「SAND」で注目を集めた。 1960年代、道で拾った廃材を巻き付けた棒状の彫刻群「何もすることがない」を手がけた。このフレーズなどを黒い強化プラスチックの板に繰り返し刻み込んだ作品を90年代にも発表。既存の芸術を問い続け、2005年に「つくらない彫刻家」を宣言した。 17年には大阪・中之島の国立国際美術館で「福岡道雄 つくらない彫刻家」展が開かれた。

    「つくらない彫刻家」を宣言、福岡道雄さん死去 87歳:朝日新聞デジタル
  • ジョー・プライスさん死去 米国の美術収集家 - 日本経済新聞

    江戸時代の画家、伊藤若冲の作品コレクションで知られる米国の美術収集家、ジョー・プライスさんが4月13日、老衰のためカリフォルニア州の自宅で死去した。93歳だった。葬儀は近親者で行った。伝統や系譜にとらわれない、米国人らしい明るい感性で江戸絵画を集め、若冲の再評価ブームに一役買った。1929年、オクラホマ州タルサ生まれ。父が創業した石油パイプライン敷設会社に勤務しながら日美術の江戸絵画に引かれ

    ジョー・プライスさん死去 米国の美術収集家 - 日本経済新聞
  • グラフィックデザイナーの工藤強勝氏死去

    工藤強勝氏(くどう・つよかつ=グラフィックデザイナー、桑沢デザイン研究所所長)23日死去、74歳。岩手県出身。葬儀は関係者で行う。喪主は、弘子(ひろこ)さん。 雑誌や書籍のアートディレクションや展覧会ポスターのデザインを手がけ、評論活動も行った。首都大学東京(現・東京都立大)教授、日タイポグラフィ協会理事長などを歴任。講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。著書に「文字組デザイン講座」など。

    グラフィックデザイナーの工藤強勝氏死去
  • 仏画家スーラージュ氏死去 102歳 「黒」を探求

    自身の作品の前に立つ仏画家ピエール・スーラージュ氏(2014年5月28日撮影)。(c)Pascal PAVANI / AFP 【10月26日 AFP】黒のさまざまな描き方を探求した作品で知られるフランスの画家ピエール・スーラージュ(Pierre Soulages)氏が死去した。102歳。同氏の長年の友人であるアルフレッド・パックマン(Alfred Pacquement)氏が26日、AFPに明らかにした。 南仏ロデズ(Rodez)のスーラージュ美術館館長も務めるパックマン氏は、スーラージュ氏のコレット(Colette Soulages)さんから電話で「悲しい知らせ」を受け取ったと説明した。(c)AFP

    仏画家スーラージュ氏死去 102歳 「黒」を探求
  • ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳…「イッセイミヤケ」世界で評価(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

    世界的に活躍したファッションデザイナーで文化勲章受章者の三宅一生(みやけ・いっせい、名かずなる)さんが5日に肝細胞がんで亡くなっていたことが分かった。84歳だった。 【写真特集】追悼、三宅一生さん…生涯に渡り衣服デザインの研究をつづけた軌跡を振り返る 広島県生まれ。多摩美術大学を卒業後、渡仏し、伝統的なオートクチュール(高級注文服)の技術やデザインを学んだ。その後、ニューヨークでも修業を積んだ。1970年に三宅デザイン事務所を設立し、翌年にブランド「イッセイミヤケ」をスタート。73年にパリコレクションに初めて参加した。 「1枚の布」という和服などの伝統から発想した服作りで注目を集めた。代表作の「プリーツプリーズ」は、細かいひだ飾りが全面に施されている洗練されたデザイン。現在も世界中で支持されている。洋服の既成概念を打ち破る斬新な作品は高く評価され、世界各地の美術館に収蔵されているほか、展

    ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳…「イッセイミヤケ」世界で評価(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
  • デザイン評論家の柏木博さん死去 武蔵野美大名誉教授 | 共同通信

    Published 2021/12/15 20:47 (JST) Updated 2021/12/15 20:57 (JST) デザイン評論の第一人者で、武蔵野美術大名誉教授の柏木博(かしわぎ・ひろし)さんが13日午前8時9分、敗血症のため東京都文京区の病院で死去した。75歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は美紀子(みきこ)さん。 武蔵野美術大を卒業。近代デザイン史や広告論、都市論を中心とした研究活動を行った。家具や電気製品など日用品から映画テレビといったメディアまで具体的なものを通して、人々の生活の意識や感覚の変容を考える「デザイン批評」のジャンルを開拓。近代の文化様式を捉え直した。 主な著書に「近代日の産業デザイン思想」「日用品の文化誌」など。

    デザイン評論家の柏木博さん死去 武蔵野美大名誉教授 | 共同通信
  • 美術家の篠田桃紅さん死去 | 共同通信

    水墨による抽象表現で国際的に活躍した美術家の篠田桃紅(しのだ・とうこう、名満洲子=ますこ)さんが1日午前6時10分、老衰のため東京都青梅市の病院で死去した。107歳。旧満州(中国東北部)大連生まれ。葬儀は近親者で行った。喪主はめいの爽子(そうこ)さん。 伝統的な書で出発したが、戦後に水墨の抽象絵画へ移行。1956年に渡米し、抽象表現主義が席巻するニューヨークで墨などによる独特の抽象作品が注目された。欧米各地で個展を開催し58年に帰国すると一躍、前衛書家の名声を確立した。 61年サンパウロ・ビエンナーレに出品。100歳を超えても意欲的に制作を続けた。

    美術家の篠田桃紅さん死去 | 共同通信
  • 美術史家の木村重信さん死去 元国立国際美術館長:朝日新聞デジタル

    原始時代から現代までの美術を幅広く研究し、国立国際美術館や兵庫県立美術館の館長を務めるなど美術行政にも尽力した美術史家、木村重信(きむら・しげのぶ)さんが1月30日、肺炎で死去した。91歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は嘉子(よしこ)さん。 京都大卒。京都市立芸術大学、大阪大教授を歴任。世界各地でのフィールドワークに基づくユニークな視点から美術史を研究し民族芸術学会長を務めた。一方で、具体美術協会(具体)など現代美術に関心を示し、新聞や雑誌の美術評を手がけたほか、著作を多数出版。学界とジャーナリズムの両面で活躍した。 「人々を楽しませる美術館」の目標を掲げて美術行政にも積極的にかかわった。92年に大阪府吹田市の万博記念公園内にあった国立国際美術館の館長に就任、現在地の大阪・中之島への新築移転に尽力した。98年には兵庫県立近代美術館の館長に就き、02年に新築移転した兵庫県立美術館の初代館

    美術史家の木村重信さん死去 元国立国際美術館長:朝日新聞デジタル
  • 神戸新聞NEXT|社会|現代美術家、嶋本昭三氏が死去 「具体」に参加

    元「具体美術協会」メンバーの現代美術家で、西宮市を拠点に国内外で実験精神旺盛な創作を続けた嶋昭三(しまもと・しょうぞう)氏が25日午後5時17分、急性心不全のため西宮市の病院で死去した。85歳。大阪市出身。自宅は西宮市甲子園口1の1の10。通夜、葬儀・告別式は親族で執り行った。喪主は長男でトランペット奏者の高之(たかし)氏。3月上旬にお別れの会を開催する予定。 関西学院大卒業後、画家吉原治良氏に師事。1954~72年、阪神間で活動した前衛美術家集団「具体」に参加。瓶詰めした絵の具を画面に投げつける手法で知られ、各地で制作を続けてきた。 「誰もしていないことをする」という同協会のモットーを継承し、75年には芸術集団「AU」の結成に参加。多くの芸術家らとともに、印刷物を西宮から世界約60カ国の芸術家らに送る「メール・アート」など、幅広い活動を精力的に繰り広げた。 宝塚造形芸術大(現・宝塚大)

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