「家族ですか? サカエにいます」と言われてどこか分からなかった。「どうぞうちに来てください。避難先を見てください」。そう促されて車に乗った。栄町かな。市の中心によくある名前だから、米沢の中心部だろうか。そんなことを考えた。 前回に続いて、福島県南相馬市から山形県へ避難生活を続けている人を訪ねる。渡辺理明さん(40歳)とは、前回に訪問した南相馬市市民の避難先である米沢のホテルで知り合った。私が取材に来ていると聞いて、興味を持ってくれたのだ。自分の話も聞いてくれ、うちに来てくれ、と誘ってくれた。 もう日が暮れていた。夕食の時間でもある。こんなに遅くから、ご家族にご迷惑じゃないですか。私はためらった。 「いやいや! ウチの家族は夜の来客には慣れてますから! どうぞ寄ってください! どうぞどうぞ!」 でっかい声だ。そしてコロコロした人懐こい笑顔。いい人そうだなあ、と思う。言葉は社交辞令ではなさそう
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