前回エントリを補足。 自由の敵としての差別 自由の敵はなにも公権力ばかりではにゃーよな。 喩えるのなら、公権力による自由の抑圧がまるでハンマーのように自由を外側から破壊するものといえるのなら、酸が機械をおかすように毒が生体をむしばむように自由を侵食し腐敗させるものがあるのですにゃ。 それを差別という。 BE FREE! - 地を這う難破船においては、上記のような認識が語られていましたにゃ。何箇所か抜粋すると 「自由」とは差別の撤廃と同時に達成されることであり、また達成されてきたことです。そして、当然のことながら、この社会では達成されていないどころか「遠い夜明け」でしかない。 すなわち、このような性差別ある限り、女性にとって「自由」などない。 そして、男性にとっても「自由」などないことに気が付いた多くの男性がいる。 「自由」は、自他の政治的/社会的身体における決定的な非対称性を「私の勝手」「