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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (6)

  • なぜ「男は獣」といいたがる人がいるのか - hokusyu’s blog

    ■「獣」のアウトソーシング http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20091204/1259906283 sk-44さんは、性犯罪者に「獣」をアウトソーシングすることで、自らの悪意に対して欺瞞的に振舞うことが可能になっていると主張する。だが、アウトソーシングしているのは当に性犯罪者に対してだけなのだろうか。むしろ、アウトソーシングをするために、自らの中に「獣」を飼っているひとが多いのではないか。 渡辺淳一というひとの書いたものはまったく読んだことがないのだけれど、例のコラムを参照する限り、「先生も獣ですか」と問われたら「そうだね、獣かもしれないよ」と返事をするのではないだろうか。「私はまだ獣ではないが、獣になりうる」という可能性の中にこそ、自らの悪意にたいする欺瞞がある。 「獣」というのは、「私の中にあって、私のコントロールが効かないもの」の象徴にほかならない。われわれ

    なぜ「男は獣」といいたがる人がいるのか - hokusyu’s blog
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/12/06
    「獣」なのは曽野綾子。心のち○こでミニスカ女という別種のマッチョを犯してかかるマッチョ売りの少女。それで抑圧されるのは実際の被害に遭う「大人しい」女であり「自分の中にも獣が居るかも」と自己批判する男。
  • 「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「男はケモノ」という論法は確かに問題かもしれませんが、それ以上に「男はケモノ」ということで何を言おうとしているのかがもっと問題です。 ■強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069 「強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任」は、単なる極論に極論をぶつけているわけではありません。「強姦するのが男の性」いわゆる「男はケモノ」という前提を、「だから」女性は自衛しなければならない、という結論に接続させること自体が女性蔑視的である、ということを暴露しているのです。 「男はケモノ」であるとしましょう。世の中に、人間を手当たりしだい襲うような「ケモノ」がうろうろしている場合、まっさきに対策されるべきは「ケモノ」の排除です。たとえば野犬が増えて人々の身が危険になった場合、ふつうは野犬を捕まえて

    「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしない過去
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/12/03
    いやそれを差別と言ってしまうこと自体が差別だって。自衛するのも自由。しないのも自由。男が獣だろうがなんだろうが無関係。「虐められる君にも問題があるんだそ」とかぬかすやつこそが「下衆」というだけの話。
  • 正しい暴力なんてない、ということに意味は無い - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091008/p1 「正しい暴力」なんて無い。すばらしい主張だ。 ところで今、日で一番の暴力組織はどこだろう。 自衛隊だ。二番目は警察だ。 左翼や在特会やヤクザや・・・そんなの目じゃないぐらい暴力的な組織だ。 国家が所有する軍隊と警察力は、左翼の革命なんかよりもずっと、多くの人を殺してきた。 自衛隊と警察を日から廃絶しよう。 それはそれとして、あらゆる暴力に反対、といいながら、自衛隊と警察は守りたい人にロジックを提供しよう。 1:正しい暴力などないが、「やむをえない」暴力はある 2:暴力ではない、何か別の力の行使にしてしまう。 「いっさいの暴力は悪だ。しかし、イラクへの攻撃は暴力を行使した国家にたいする警察力行使にすぎない/やむをえない暴力である」 「いっさいの暴力は悪だ。しかし、体罰は暴力じゃなくて教育だ/

    正しい暴力なんてない、ということに意味は無い - hokusyu’s blog
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/10/09
    『国家が所有する軍隊と警察力は、左翼の革命なんかよりもずっと、多くの人を殺してきた』そりゃ赤軍だって天下取れば国家の軍隊だしね。/問題は暴力そのものの正邪でなく「法治」かと。「正しい」と「正当」の違い
  • ハンパな自由民主主義について - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091006/p1#c1254844558 id:y_arim それならたとえば、「この世にはハンパな自由民主主義国家しか存在しない」という言い方はとらないのか。とらないのならその理由は何か。 たとえば、5という数は2+3や1+4から導き出されるが、2+3や1+4は必ず5になることにかわりはない*1。ここで、2+3のほうが1+4に比べて「より5らしい」ということはできない。また、2+4は6になるのであって、けして5になることはない。2+4は5ではないが「ハンパな5」であるという言い方はせいぜいレトリックとして意味を持ちうるにすぎない。 もし、自由民主主義の理念とヘイトスピーチ規制反対規制が、純粋に法技術的・機械的な関係を持っているとする。だとすれば、自由民主主義ならば必然的にヘイトスピーチが規制されないはずなのだから、逆にいえ

    ハンパな自由民主主義について - hokusyu’s blog
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/10/08
    2+2=5。二重思考だな。
  • 警察に守られる左翼と「暴力」について-過ぎ去ろうとしない過去

    15日、他のはてサの人たちといっしょにデモに行って来ました。詳細は以下のリンクからどうぞ。 http://www.labornetjp.org/news/2009/0815shasin デモについて考えたことを書いてみたのですが、この文章、長いうえに基的にサヨクの人しか読者を想定してないので、読む際にはそれに留意してください。 さて、このデモ、自分としてはいろいろな意味で考えさせられるデモでした。警察がさまざまな方法でデモを管理し、ある面では妨害しようとしていたのは事実です。じっさい、デモの前半はいかに警察を出し抜くかにおいて行動していた面がありました。id:Romanceさんが華麗に踊りながら警察の監視をすり抜けていたのにならって*1、ぼくも消極的に隊列を横に伸ばしたり、遅らせたりしようと、ふらふら動き回っていました。しかし、デモの後半になると事情は一変します。水道橋から九段下の駅付近

    警察に守られる左翼と「暴力」について-過ぎ去ろうとしない過去
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/08/19
    単純に、鉛弾撃ち込まれれば人は死ぬ、という事実があるだけ。胸に着けてるバッチの色に捕らわれすぎると自分で自分の頭撃ち抜く羽目になる。バッチは忘れてまず、自分の暴力&他人の暴力を認識すべし
  • 児童ポルノ法(改正案)はとりあえず廃案になったけど・・・ - 過ぎ去ろうとしない過去

    単純に喜んでいる人が多いのに驚く。 「理性的に」法律の問題を指摘していけばいい派(+「表現の自由に紐をつけるな」派)の人は、今回のお流れが「政局」の助けなしにはありえなかったという現実をもっと重く受け止める必要があるのではないか。 もちろん、反規制派の中にも、奥村弁護士などを含めて自ら児童ポルノによる人権侵害の救済について議論していこうとする人びとがいるし、そうすべきであると思う。 ただ、一部かもしれないけど、従軍慰安婦と規制派を絡めて「プロ市民」罵倒に走ったり、あるいはレイシズムやミソジニー丸出しの反規制論をとなえている人びとは、確かに今回の警察権力の強化と性道徳的締め付けに走った改正案は何とかなるかもしれないけど、もっとソフィスティケートされた「リベラルな」規制論が出てきたときに、今は味方になってくれている市民派の議員さんたちがどう考えるか*1、「戦略的に」考えたことはあるの?と思う。

    児童ポルノ法(改正案)はとりあえず廃案になったけど・・・ - 過ぎ去ろうとしない過去
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/16
    なんでこうやって「人権」と紐付けしようとする人がいるんだろうか。「人権」を口実にした表現規制を肯定させてしまっているのは、実はこういう人達のせいなんだよね。
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