フェリーから海猫 水平線(右)に佐渡 佐渡島 Wikiより 「佐渡は古代のタイムカプセル」というテーマで書いてきたが、今回が一応、最終回。 縄文からの玉作(玉造)の伝統を繋ぎ、高度化し、そのオンリーワン(特に管玉製作技術)が、弥生・古墳時代に全国の需要を集めた(地場産業化)というシナリオで古代の佐渡を眺めている。 実は勾玉・管玉づくりは、古墳時代の終焉とともに一瞬で廃れる。間違いなく、前方後円墳の終焉(薄葬化)とリンクしている。 今でこそ国石のヒスイ(2016年に選定)、長い時代(1000年以上)、漬物石ぐらいにしかならなかった時代があるのだ。 何度か書いてきたが、それは物部氏の滅亡(丁未の乱、587)と密接に関連していると考えている。しかしそのことを考察する回ではないので、そのあたりはまたいずれ。 匠・名工のムラ 勾玉・管玉づくりが廃れてから、金山(きんざん)の時代が始まるまで、佐渡は文