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2016年10月10日のブックマーク (16件)

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    kahki
    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2010年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    2000年代の音楽シーンを席巻したディスコ・パンク、DFAは間違いなくその爆心地だった。2010年、DFAのオーナー、ジェームス・マーフィーのバンドLCDサウンドシステムが活動休止を発表した。彼らはディスコ・パンクと「北米インディ」という二つのムーブメントを横断していた数少ないアクトであり、時代に敗北したわけでは決してない。「潮時だった」、ジェームスは活動休止の理由について尋ねられそう答えた。ザ・フー、クラッシュ、ストーン・ローゼズ、オアシス。歴史を作った偉大なバンドが歯切れの悪い終幕を迎える姿をオーディエンスは何度も目撃してきた。数少ない有終の美を飾ったビートルズを倣うかのように、彼らはパーフェクトなラストアルバム、いや「ラストアルバムとしてパーフェクト」な『This Is Happening』を献上した。前作『Sound of Silver』に比べて、アルバムというフォーマットにより意

    スヌーザーが選んだ2010年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない
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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2009年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    2009年という1年は現在にまで続く「北米インディ」というムーブメントの、その最初の臨界点として記憶/記録されるはずだ。新たなるサイケデリアを追求してきた彼らが一旦その歩みを止め、集大成的なサウンドにビーチボーイズやビートルズのような極上のポップセンスを結実させたアニマル・コレクティブの大傑作『Merriweather Post Pavilion』がその象徴たる作品だろう。ダーティー・プロジェクターズ『Bitte Orca』も同様にシンボリックな作品だ。男女6人編成によるコーラスワークと奇天烈な曲展開を駆使したストレンジ・ポップスの強烈な印象を支えているのは、リズムの冒険であり音色に対する拘泥であり、つまりは圧倒的な編曲センスだった。(2015年現在、最も彼らの高みに近い地平にいるバンドは世界中でも日の吉田ヨウヘイgroupだろう。)ニューフェイスの顔ぶれも豪華だ。リアル・エステートやザ

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2008年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    ディスコ・パンク/ニュー・レイブ、そして「北米インディー」というムーブメントが席巻した2008年。まずはアメリカに注目してみよう。ボン・イヴェールが大ブレイクするための下地を用意したネオ・カントリー/チェンバー・ロックの雄フリート・フォクシーズや古今東西のサイケ・ロックに精通した機材マニアテーム・インパラがデビューしたのもこの年だったが、最大のニュースはやはりヴァンパイア・ウィークエンドの登場だろう。小綺麗で記号的なプレッピー・スタイルにその身を包み、現代版トーキング・ヘッズとでも言いたげにアフロ・リズムを軽やかに現代的なインディー・スタイルへと洒脱に落とし込むセンスの塊のようなバンド、それが彼らだった。そのスマートかつ鋭い感性は「北米インディ」というムーブメントを突き動かす重要な推進力となってゆく。ディアハンター『Microcastle』も2008年の音楽シーンを語る際には欠かすことので

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2007年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    2000年代というディケイドの最大のターニングポイントを選ぶとしたら、どうしても2007年になるんじゃないだろうか。ざっとこの年の出来事を箇条書きにしてみよう。 ①レディオヘッド『In Rainbows』のリリース。 ②「北米インディ」ブームの格化。 ③ブリアル『Untrue』によるダブステップのメジャー化。 ④ディスコ・パンクからニュー・レイヴへ。 ⑤OFWGKTAの結成。 ①についてだが、最高傑作であるアルバムのその素晴らしい内容についてはあえて触れない。ご存知の通り『In Rainbows』はホームページから自由価格でダウンロードできる形でリリースされた。今でこそ広く浸透した「name your price 」(彼らは「IT'S UP TO YOU」と表現していたけど)という概念も当然、当時としては非常にセンセーショナルな試みだった。紛れもなく世界のトップにいたバンドが(トップだか

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2006年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    もしロックンロール・ルネッサンスという「バンド復興」が最高潮に盛り上がったシーンに、ザ・ストリーツ譲りの優れたリリシスト兼ストーリーテリングの才能とDFA周辺のダンス・パンクを経由した跳ねまくるビートを併せ持つような、そんなバンドが登場したら。アークティック・モンキーズが英国のメディアから「オアシス以来の衝撃」と喝采を浴び、ブリット・アウォーズなどの国内賞レースを総ナメにしたのは当然の成り行きともいえる。タイミングも内容も、全てが当にパーフェクトな奇跡的なデビューアルバムだった。事実、彼らの登場が鮮烈過ぎたのかロックンロール・ルネッサンスというムーブメントは以後頭打ちとなり、音楽シーンの中心地は次第にアメリカへと移ってゆくことになる。そう「何かが終わったら何かが始まるんだ」。 そんな「北米インディ」爆発前夜のアメリカはどうなっていたか?TV・オン・ザ・レディオ、グリズリー・ベア、ジョアン

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2005年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    YouTubeに初めての動画が投稿された2005年。極めて個人的な話をすると、底抜けに楽天的なジュニア・シニアと底抜けに優しいレイ・ハラカミばかりを聴いていた2005年。アメリカではスフィアン・スティーブンス『Illinois』がメディアのクリティック・ポールを独占し、アニマル・コレクティブが前年に引き続き『Feels』という傑作を献上してメディアからの評価を磐石なものにし、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーの登場により「北米インディ」シーンが徐々に活気付いてゆく。DFAから発生したディスコ・パンクという潮流はヴィタリックやブロック・パーティーのデビューにより、さらに巨大で多岐に渡るものになっていった。イギリスでは、そんな流行りのサウンドに乗っかり、マイク・スキナーの話術にヒントを得た切り口で労働者階級の誇りや怒りをアジテートする2000年代のワーキング・クラス・ヒーロー、ハード・ファイが

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  • スヌーザーが選んだ2004年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    2004年。ナンバーガールの解散から2年。ミッシェル・ガン・エレファントの解散から1年。数少ない「98年世代」の生き残りであるくるりがリリースした『アンテナ』は現れては消えていったシーンや、同世代のバンド達に別れと感謝を告げる感動的/感傷的な一枚となった。「何かが終わったら何かが始まるんだ」。 いつかは僕達も離ればなれになるのだろう 僕達は毎日守れない約束ばかりして朝になる 海外に目を向けてみよう。ロックンロール・ルネッサンスという大波はまだまだ止まりそうにない。オーディナリー・ボーイズ、22-20s、カサビアン、ジュニア・ボーイなどがデビューしたこの年。DFAのザ・ラプチャーやワープの!!!に呼応するようなフランツ・フェルディナンド、キラーズといった「踊れる」バンドのデビューも目立つ。 そして、アニマル・コレクティブが最初の傑作『Sung Tongs』をリリースし、アーケイド・ファイアが

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ2003年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    ベックが『Sea Change』で追求した「生々しさ」は、僅か数ヶ月後にホワイト・ストライプスによって更新されてしまう。「Seven Nation Army」という衝撃。あの印象的なフレーズはベースでなくオクターブを下げたアコースティック・ギターで鳴らされているそうだ。皮の振動まで伝わってくるようなドラムの異様な迫力はなんだ。そのよれよれのビートに無理やり合わせようとするギターの無軌道なグルーヴはなんだ。あらゆる非人為的なコントロールを拝するために、全ての機材を63年より前の機材に統一したジャック・ホワイトの音に対するフェティッシュな拘泥はコーネリアスやプラスティックマンといった音響派と呼ばれるアーティストのそれすら軽く凌駕する。アラバマ・シェイクス『Sound & Colour』にアップデートされた2015年の耳で聴いてみても、この生々しいサウンドの衝撃は少しも失われてはいない。 200

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  • スヌーザーが選んだ2002年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    ストロークスに端を発したロックンロール・ルネッサンス。ランクインしてるヴァインズやコーラルだけでなく、リバティーンズ、マンドゥ・ディアオ、ザ・ミュージックなど錚々たる面子のデビューが重なった華々しい2002年。少し毛色は異なるが、フランツ・フェルディナンドやキラーズ登場の下地となったインターポールのデビューや、グランジから派生したオルタナティヴ・ロックの到達点とされるウィルコ『Yankee Hotel Foxtrot』がリリースされたのもこの年だ。その中でも最重要トピックはザ・ストリーツことマイク・スキナーの登場だろう。ヒップホップというアートフォームを借りながら、彼がラップするのはギャグスタな日常ではなく市井の人々の悲喜交々だった。そんな路上の文学性とロックンロール・ルネッサンスというムーブメントに出会いが、数年後のアークティック・モンキーズ登場という地殻変動のトリガーとなったのは間違い

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  • スヌーザーが選んだ2001年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    電子音の世界で大きな動きがあった2001年。IDMというアート・フォームを突き詰めたオウテカ『Confield』、そしてノイズミュージックに感情と余韻を持ち込んだフェネス『Endless Summer』がリリースされた。しかしそれ以上に巨大な地殻変動がニューヨークで発生する。そう、意外にも物のロックンロールバンドが登場したのはビートルズ以来、ロックンロールというお家芸をイギリスから奪われっぱなしだったアメリカからだった。ウイスキーで灼けた声、抑制されたテンポ、スッカスカな演奏、ダルでニヒルな佇まい、甘いメロディー。コスプレ一歩手前の奇跡的な美しさ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとモダン・ラヴァーズの私生児のようなこのストロークスの登場をきっかけに、数年に渡る世界的な「ロックンロール・リバイバル」(僕は「ロックンロール・ルネッサンス」って呼びたい。余談)という大きな波が発生することにな

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  • スヌーザーが選んだ2000年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    当時の「ロックの覇者」であるレディオヘッドがオウテカやエイフェックス・ツインなどに接近した「アンチ・ロック」の傑作『Kid A』をリリースしたことを、2000年の音楽シーン最大のトピックとして挙げることに異論がある人はいないだろう。絶対零度の電子音はビック・ビートの狂乱に冷水を浴びせ、アンダーワールドは集大成的なライブ盤『Everything, Everything』を発表しダレン・エマーソンが脱退する。終わりと始まりは同時に起きるものだ。『何かが終わったら何かが始まるんだ』。前年(1999年)のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン『Battle of Los Angeles』を皮切りに、多くのポリティカルで攻撃的な作品がリリースされた。グリーンデイは暴力に抵抗するかのようにしなやかにバウンスする『Warning』を、プライマル・スクリームは暴力に呼応するかのように破壊衝動とノイズまみれの『

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ1999年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    世界が終わるはずだった1999年。90年代最後の年に最も「90年代的」なバンドだったフィッシュマンズのフロントマンである佐藤伸治が急逝する。長い長い夏休みの終わり。国内外問わずに終わりゆく余暇を惜しむようなフィーリングをもった作品がリリースされているのは、決して単なる偶然ではないだろう。「何かが終わったら何かが始まるんだ」。未曾有のビッグ・ビート・ブームは少しだけ落ち着いて、ベックやベースメント・ジャックスは強張ったファンク・フィーリングをもったダンスレコードを、アンダーワールドはアンビエント~ディープハウス色の強い「Beacoup Fish」をリリースした。少しづつタフに、少しづつダークに。スーパー・ファーリー・アニマルズ「The Turning Tide」のリリックがそんな時代の空気を代弁してくれる。 Need recuperation Time to hitch a ride On

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ1998年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    ナンバーガール、スーパーカー、くるり、といった洋楽を完全に血肉化した(参照先はそれぞれ、ピクシーズ、ジザメリ、ダイナソー.Jr)所謂「98年の世代」がデビューした1998年。急速に洋楽と方角の垣根が取り払われていった時代、ポストロックなバッファロー・ドーター『New Rock』やスウェードのギタリストであるバーナード・バトラーのソロ作をサウンドの参照にした中村一義『太陽』などはその好例だろう。イギリスではプロディジーを筆頭にケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムの大ブレイクでビッグ・ビーツという巨大なムーブメントが最盛期に突入した。そんな焼けクソ気味なお祭り騒ぎの英国を尻目に、アメリカではR.E.M 『UP』、エリオット・スミス 『XO』、ローリン・ヒル『Miseducation』といった優しげな眼差しをたたえた清廉な名盤が数多くリリースされている。セミソニック『Feeling St

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    kahki 2016/10/10
  • スヌーザーが選んだ1997年度ベスト・アルバム10 - いまここでどこでもない

    小室サウンドが今だにその勢力を保ち続けた1997年の日。すっかり文化的鎖国状態であった音楽シーンに風穴を開けるようにドラゴンアッシュと中村一義という2組のミュージシャンがデビューした。かたやミクスチャーロック、かたや宅録ローファイサウンド。唯一の共通項はどちらも海外のポップミュージックにその歩調を合わせ、貪欲に同時代の音楽を吸収していたという点だ。中村一義が守護神として崇めたビートルズを同じく信仰するオアシスは『Be Here Now』をきっかけに長い低迷期に突入することになる。ブリットポップという国粋主義的なムーブメントがその象徴たるバンドの失速と共に終焉を迎え、ヴァーヴは『Urban Hyms』というレクイエムを英国に捧げた。 そして空席となった王座には、誰もが「Creep」だけの一発屋と侮っていたレディオヘッドが人たちが望まない形で座ることになる。同時代のDJシャドウに代表される

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    kahki 2016/10/10
  • 音楽雑誌スヌーザーが僕らに残してくれたもの (Random Access Memories) - いまここでどこでもない

    かつてスヌーザーという音楽雑誌がこの国にはありました。元ロッキングオンの副編集長、現在はthe sign magazineのクリエイティブ・ディレクターを務める田中宗一郎という人が責任編集する形で1997年にスタートし、2011年に終刊となるまで足掛け14年間全国の書店で普通に買うことができました。「ゼロ年代」という時代に音楽を熱心に聴いていた人なら、その存在を知らない人はまずいないかと思います。とても素敵で、とても因果な雑誌でした。タナソウという愛称で知られる名物編集長をはじめ、個性的なライター陣による愛憎が入り混じりすぎた文章の数々は、読者を戸惑わせるだけでなく、時にアーティストとの舌戦にまで発展しました(最も有名なのは中村一義との一件でしょうか)。 音楽雑誌のライターでありながら、彼らの音楽に関する文章には一見音楽とは全く関係がなさそうな政治や文学や身の上話や講釈が混じり、例えば「グ

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    kahki 2016/10/10