ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日 - )は、日本の大道芸人、舞踊家。本名は尼ヶ崎 勝見(あまがさき かつみ)。芸名の由来は自身の風貌がロシアサハリンの先住民族であるギリヤーク[注釈 1]に似ていることから。 北海道函館市出身。現在の戸籍上の生年月日は1930年8月19日[1][注釈 2]。 来歴[編集] 大須大道町人祭にて(2006年)。 北海道の和菓子屋の次男として生まれ、幼少時より門附芸人や角兵衛獅子などの大道芸に親しむ。また器械体操を行っており、1946年の国民体育大会では体操競技の北海道代表となった[3]。市立函館中学卒業。当初は映画俳優を志し、21歳で上京[4]して各映画会社のオーディションを受けるものの、「なまりが強い」としてすべて落選する。青年時代は邦正美に師事して創作舞踊を学び、全国合同公演に参加するなど舞踊家として活動した。しかしなかなか芽が出