<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年02月28日 (木)おはようコラム 「道のり遠い大学入試改革」 (キャスター) 大学入試の判定に使える高校生向けの新しい学力テストをつくってはどうかという中教審・中央教育審議会のワーキンググループの提案をめぐって、高校と大学の間で意見の対立が浮かび上がっています。早川解説委員です。 Q1.どうして新しいテストをつくろうというのですか? A1.入試で学力試験を受けずに大学に入る学生が増えたからなんです。少子化なのに規制緩和で大学が増えた影響で、受験生が大学を選ばなければいずれかの大学に入れる「大学全入」の時代を迎えています。私立大学では推薦など学力試験を受けずに入学する学生が一般入試での入学者を去年初めて上回りました。受験勉強をしていないために、大学教育についていけなかったり、学習意欲に乏しかったりする学生が目立つ。これでは大
→紀伊國屋書店で購入 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。 近代教育と宗教の問題は、どこの国でも近代化論のなかで議論されてきたものと思っていた。ところが、本書を読むと、日本では本格的に取り組まれてこなかったことがわかる。著者、谷川穣は、そのこと自体がさまざまなことを示唆していると考え、「教育史、宗教史、仏教史、あるいは日本近代史といったジャンルのいずれにも分類されうる」が、「どの領域でも実は本格的に取り組まれてこなかったテーマ」を、この一連の論考によって「それらの領域に架橋」し、なにか本質的なものを見出そうとしている。 本書は2部6章からなり、第一部「教導職と教育-明治初年-」と第二部「仏教と教育-明治一〇~二〇年代-」はそれぞれ3章からなる。各章で論じられている内容は、それほどやさしいわけで
前回、福祉国家フィンランドを取り上げたが、「ゆりかごから墓場まで」という有名なスローガンは、英国の労働党が第2次大戦直後に掲げたものである。ちょうどその頃、政府が鉄道や通信をはじめとする重要基幹産業の国営化を推進していたことも相まって、財政赤字は雪だるま式に膨らみ、経済は悪化の一途をたどっていった。 これがいわゆる「英国病」の始まりである。福祉政策と国有化政策の失敗から国民の反感を買った労働党は、1979年から18年間にもわたって、表舞台から消えることになる。 代わって登場したのが「鉄の女」マーガレット・サッチャー率いる保守党である。自助努力と効率性をモットーに掲げ、「小さな政府」を目指すべく、民営化、規制緩和、金融改革などを不退転の決意で推し進めていった。 途中、大量の失業者を生むなど、荒療治な側面もあったが、結果として、外国直接投資や証券投資が急速に増え、経済は回復していった。ただ、公
ガウディアの体験説明会。教室はパステルカラーで統一され、イスや机には曲線を取り入れた。後方は説明を受ける母親たち 大手の予備校と中学進学塾が手を組んだ学習塾が誕生した。 「子供たちの読解力や考える力の低下が言われていますが、大手学習教室のパターン学習で本当の学力が身につくのか、心配する声もよく聞きます」 東京・目黒の閑静な住宅街で先月下旬、小学生向け学習教室「ガウディア」(東京)の上田博専務(43)の説明に、6人の母親が真剣に耳を傾けていた。傍らで、今春小学校に入学する幼稚園児がプリント学習に取り組んでいる。 この日の体験説明会で配られた資料には、ゆとり教育の弊害や全国学力テストの結果を報じる新聞記事とともに、「大手学習教室」の教材例も。ガウディアが意識する大手とは、公文教育研究会(本社・大阪)の公文式教室だ。 「ガウディアでは、基礎基本の定着とともに、理解力、発見力、表現力の三つがつくよ
伊勢雅臣氏の「国際派日本人の情報ファイル」を転送します。 沖縄戦「住民自決命令」神話を覆す新証言 「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」という説が崩壊しつつあることは、国際派日本人養成講座472号[a]で紹介したが、新たにそれを否定する証言が現れた。 2月23日付産経新聞は、次のように報じている。[1] 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3~6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。 そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。 これに対し、梅沢少佐は「
むかし、「広告批評」の編集長をしていたころ、日本の代表的な広告制作者の人たちに、「反戦広告をつくってみてください」とお願いしたことがあります。これは、そのときにつくってもらった十数点の中のひとつです。(広告批評1982年6月号所収) コピーは糸井重里さん、デザインは浅葉克己さん。26年後のいま見ても、ちっとも古く感じないところがすごい。それどころか、憲法(9条)改定が大きな問題になっているいまこそ、こういう広告がモノを言うんじゃないかという気がします。 それにしても、こういう広告をつくるのはむずかしい。これにくらべたら、戦争を進める広告をつくるのは簡単です。恐怖心や敵愾心を煽ればいいんですから。「戦争を売るのはやさしいが、平和を売るのはむずかしい」と、亡くなった哲学者の久野収さんも、よく言っていました。 ところで、糸井さんはこのとき、もうひとつキャッチコピーを書いてくれました。 「とにかく
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く