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ブックマーク / fox-moon.hatenablog.com (155)

  • 夏よ引っ込め、うんざりだ - 書痴の廻廊

    暑い。 いつまでも暑い。 週間天気予報には心底うんざりさせられる。 「このあたりから涼しくなります」と発表されても、いざその日付が近付くと、さながら蜃気楼の如く低い気温が掻き消えて、変わらぬ夏日が顔を出す。ゴールポストを延々と動かされている気分であった。 勢い気象庁に対し、意趣を抱かずにいられない。 (Wikipediaより、気象庁庁舎) 不都合な天候への苦情、慨嘆、懐、憤懣、愚痴を彼らに対しぶつけるという風潮は、大正時代に既にこれを見出せる、百年以上連綿と続く、ある種伝統とも言える。 そういう庶民の気質に対し、 「困ったものだ」 と、露骨に顔をしかめるは、ごぞんじ武田久吉博士。 当時の彼の著述に曰く、 「科学に無理解な世人は、天気は中央気象台で日々勝手にとりきめて、それを予報として発表するものだとさへ思ってゐる。ゆゑに天気予報が当たらなかったら、それは気象台の罪になることは勿論、霖雨が

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2023/09/14
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  • ラジオを讃えよ ―黎明綺譚― - 書痴の廻廊

    ラジオが世に出たあの当時、能力の限界を測るため、それは多くの実験が執り行われたものだった。 (Wikipediaより、レトロラジオ) 何ができて、何ができないのか。 誰にも未だ知られざる、隠された効果・効能が何処ぞに潜在してないか。 そういうことを把握しようと、ありとあらゆる角度から、突っついたり撫で回したり、趣向を精いっぱい凝らし。後世から観測すれば滑稽としか言いようのない試行まで、ガンガン着手したそうな。 新奇なモノに遭遇した際、花火のように鮮やかに好奇心を弾けさせ、勁烈一途にむしゃぶりついてゆけるのは、その民族が若々しい証明だ。 ワイマール共和政ドイツでは、第一次世界大戦で心をやられた兵士の治癒に、ラジオを活用せんとした。居並ぶ病床、ひとつひとつに設置して、至近距離から鼓膜へと、なにごとかを吹き込めるよう計らった。 おそらく患者の容態次第で放送する内容を切り替えたりもしていただろう。

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2023/09/03
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  • どれほど高く昇ろうと - 書痴の廻廊

    オートパイロットの発明は早い。 第二次世界大戦以前、1930年代半ばにはもう、北米大陸合衆国にて実用認可が下りている。 従来、大型旅客機は、運航に当たって最低二名の操縦士を要したが、オートパイロットを搭載してさえいるならば、一名でも構わぬと、思い切った規則改定も敢えてした。 開拓者の末裔らしさ(・・・)というべきか。新しいものをどんどん使い、採り入れる、進取の気質は流石であろう。 が、およそ人間のやることで、いいことづくめ(・・・・・・・)は有り得ない。 一利を新たに加えれば、必ず一害、どこかから湧く。物理的必然性すら垣間見える反動現象、社会の、いわば生理であった。 この場合も、やはり出た。 昭和九年に小川太一郎が報告してくれている、ラダイト運動一歩手前の、騒然たる物情を――。 「自動操縦装置が実用化されたために、今まで大型の旅客機には二名以上の飛行士が乗ってゐなければならぬといふ政府の規

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    kaiyumaru 2023/08/31
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  • 蜜月関係 ―技術と戦争― - 書痴の廻廊

    南阿戦争の期間中、英軍は補給に一計を案じた。 真空乾燥器の活用である。 蔬菜類をこの機械にぶち込んで、水分という水分を除去、体積の大幅な縮小と長期保存に便ならしめた代物を、前線めがけてどっと送り込んだのだ。 (Wikipediaより、ボーア戦争) 今で云うフリーズドライ製法である。 技術自体は数十年前、一八五〇年代初頭(あたま)ごろ、とあるドイツ人科学者の手で既に確立されていた。 だがしかし、それをここまで大々的に、実際の場で用いた例は嘗てなく、南阿戦争の英軍を以って濫觴とする。 時代に先駆ける着眼点――「英国面」の一環と分類していいだろう。 現地での評判は上々だった。 スープを注げばたちまちのうちに瑞々しさを取り戻し、美味な具として機能する。 「こいつはいいや」 「地の涯(は)てみてえな戦場で、こんなもんが喰えるとは」 まるで採れたてを思わせるシャッキリとした歯ごたえに、兵も満足したとい

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    kaiyumaru 2023/07/31
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  • 今昔星条旗 ―増田義一の北米紀行― - 書痴の廻廊

    北米大陸を視察して、増田義一がしみじみ感じた必要性は、一刻も早く日のあらゆる店舗から、「いらっしゃいませ」と「何をお求めですか」とを分離せねばならないということだった。 アメリカでも店に入ると「いらっしゃいませ」が飛んでくる。 しかし九分九厘それきりだ。 店員側からより以上、重ねて喋ることはない。 「その沈黙がありがたかった」 と、この政治家にして出版人、『実業之日社』創業の雄は物語る。 (Wikipediaより、増田義一) おかげで実にのびのびとした、自由な気持ちで商品を選ぶことができたのだ、と。 かてて加えてこちらから、 ――すみません。 と、接触を求めにいった場合の反応たるやどうだろう。 「はい、いかがなさいましたでしょうか」 それまで二枚貝みたく口をつぐんでいた店員が、にわかに愛想の塊と化し、客(こっち)の助けになれるのが嬉しくてたまらぬという笑顔を浮かべ、懇切丁寧に応対してく

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    kaiyumaru 2023/07/13
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  • 石川県の犬の群れ - 書痴の廻廊

    そのころ官途に在る者の威勢ときたら馬鹿々々しいまでであり、鼻息だけでどんな巨漢も吹き飛びそうで、維新政府の殿堂は、一朝にして天狗の巣穴と化した観すら確かにあったといっていい。 わけても明治十六年、県令として石川県に繰り込んできた男など、そのまま『平家物語』に登場させても一向違和感のないほどに、成り上がり者の傲慢を一身に煮固めたようなやつだった。 (Wikipediaより、金沢城石川門) 逸話がある。 県令閣下、ある晩なじみの料亭に主立つ部下を差し招き、酒宴を張って紅燈緑酒のたのしみを散々味わい尽した挙句、 「みろ」 芸妓(おんな)相手に言い出したことが凄まじい。 「こいつらは皆、おれの犬だ」 (あっ) 女たちこそ蒼褪めた。 維新前ならもうこれだけで、刀を素っ破抜くに足る。 (刀の手入れをする直木三十五) たとえ膾に刻まれようと誰も不審を覚えぬまでの放言であり、如何に酒の席だとて、笑って流せ

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    kaiyumaru 2023/07/07
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  • テラインコグニタ ―合衆国の北西部― - 書痴の廻廊

    の鉄道運行が時刻表に極めて忠実なることは、戦前すでに定評があった。 一九三〇年代半ばごろ、この島国を旅行したエドワード・ウェーバー・アレンというアメリカ人が書いている、 「日の汽車は特色がある。 狭軌で、遅く、国有経営である。たまには臭いが一つだけ良い所がある。時間を厳守することだ。時計を汽車で合はすことが出来る程世界一正確である」 と。 むろん原文は英語だが、幸にして優れた日語版がある。 翻訳者の名は山口晃二、昭和十七年『北太平洋の実相』というタイトルで洛陽の紙価を高めたものだ。お蔭でざっとこのような、 「日の芸術には、人を惹きつける面白さと明朗さがある。その国の庭園は、繊細な配置の手になっている。その固有の着物は、乙女たちを美しくし、人を惹きつけるのは周知のことだ。日国民の生活に如何なる改善が為されようと、日芸術の粋を毀してはならぬ」 「日人より子供を可愛がる国民はゐ

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    kaiyumaru 2023/06/19
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  • シカゴ夜話 ―屠殺街― - 書痴の廻廊

    シカゴは屠殺場の街。 牛・豚・羊――合衆国にて飼養される家畜類の大半は、鉄道ないし水利によって一旦ここに集められ、肉に加工された後、再び散って国じゅうの卓に載せられる。それが二十世紀前半の、日人の偽らざる認識だった。 実際問題、そういう景色を一目見たくてこの地を踏んだ観光客も数多い。 (『ウィッチドッグス』より。2013年のシカゴが舞台) 彼らの残した紀行文を取り纏めると、おおよそ以下のようになる。 ――まず感じるのは、臭いであった。 屠殺場の門扉をくぐる一マイルも手前から、もう鼻奥に一種異様な、「死臭」と表現しておく以外に術のない、重い刺激が来るという。 大正末期――西暦にして一九二五年の段階で、シカゴに於いては一日平均三千六百頭の牛、八千四百五十頭の犢(こうし)、一万八百頭の豚、一万三千四百五十頭の羊を捌いていたということだから、むべなるかなであったろう。ほとばしり出る鮮血だけで

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    kaiyumaru 2023/06/09
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  • 意外録 - 書痴の廻廊

    原書に触れろと、大学で教授に訓戒された。 『古事記』でも『徒然草』でも『五輪書』でもなんでもいい。教科書で名ばかり暗記して知った気になっている名著、学生の身である内に、それらを可能な限り読め。自分の瞳と感性で、独立の評価を樹(た)ててみろ、と。 正直教授の顔つきも朧と化して久しいが、この言葉だけは今でもはっきり思い出す。 なるほど、と頷かされる局面が屡々あったからだろう。 たとえば石川啄木が、 「小生は日の現状に満足せず。と同時に、浅層軽薄なる所謂非愛国者の徒にも加担する能はず候。在来の倫理思想を排する者は、更に一層深大なる倫理思想を有する者なかる可らず。而して現在の日を愛する能はざる者は、また更に一層真に日を愛する者なからざる可らず」 こんなことを言う人間だとは、実際その著を開くまで完全に想像の埒外だった。 (Wikipediaより、石川啄木) 伊藤博文の遭難を、 「新日の経営と

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    kaiyumaru 2023/05/27
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  • 大陸浪人かく語りき - 書痴の廻廊

    大陸浪人多しといえど、およそ須藤理助ほど著名な志士も稀だろう。 彼がその種の活動に手を染めだした契機(きっかけ)は、明治三十七、八年の日露戦争に見出せる。 「皇国の興廃この一戦にあり」。国運を賭したかの戦役に、陸軍軍医中尉として参加していた。出征先で須藤が見たのは、際涯もない大陸的な風景と、亡国的窮境にあえぐ支那細民の姿であった。 (揚子江の日暮れ) それらの要素が、彼の精神を不可逆的に変質させてしまったらしい。 戦争が済み、凱旋したのも束の間のこと、郷里の人に手柄話をゆっくり語ることもせず、取って返すようにして再三海を渡って征った。 以降、支那大陸にて活動すること三十余年。 士官学校の教官役に任じたり、一軍の参謀長として作戦行動を補佐したり、軍医中将の待遇で民国から招かれたりと、須藤の事績は多岐に及んで華やかで、要約の術にともすれば戸惑わされるほどである。 南京に於ける日人居留民のまと

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    kaiyumaru 2023/04/17
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  • 花咲く布袋 - 書痴の廻廊

    大正九年から十年にかけ、布袋竹の一斉開花と枯死が来た。 この「一斉」の二文字を、どうかそのまま受け取って欲しい。 現象が確認されたのは、福島、新潟、長野、山梨、神奈川、東京、栃木、茨城、群馬、千葉、愛知、岐阜、兵庫、大阪、奈良、京都、香川、徳島、愛媛、高知、鳥取、島根、佐賀、福岡、熊、大分、宮崎、そして鹿児島。四十七都道府県中過半数越え二十八、上は東北から下は九州に至るまで。ブラキストン線の向こう側、北海道を例外とする日すべての地方に於いてであったのだから――。 (Wikipediaより、布袋竹) 竹の開花、それ自体が既に立派な珍事であるのに、こうまで気息が揃うというのはなにごとだろう。どう表現したものか、語彙に惑うほどである。 「天地開闢(ひら)けてはじめてのこと」 との修飾がすこしも誇大にあたらない、極めて稀な例だろう。 それまで布袋竹の花といえば実物はおろか標すら見た者はないと

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    kaiyumaru 2023/04/16
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  • 竹、甘い竹 ― Tabaschir あるいは Tabasheer ― - 書痴の廻廊

    ある種の竹はその節に、甘味を蓄積するらしい。 多静六が書いている。 この筆まめな林学士、日に於ける「公園の父」とも渾名される人物は、人生のどこかで台湾を、――それも高雄や基隆の如き都市部に限らず草深い地方をも歩き、その生活を字面通り支えるに、竹材がどれほど寄与しているかを目の当たりにして、俄然この被子植物に興味を持った。 彼の起こした感興たるやどれほどか、 「竹の柱に竹の屋根、竹の寝台に竹の壁、椅子も机も桶も杓子も竹ならざるはなく、陸を行くにも竹の輿、海を行くにも竹筏、川には竹の橋を架し、家には竹の林を繞らし、飯を炊くにも竹を焚き、酒を買ふにも竹の筒で、竹がなければ一日も生活することは出来ないほどである」 いまにも手足を舞わせんばかりの、はずむようなこの文体に、くっきり浮き彫りになっている。 (Wikipediaより、多静六) そろそろ話頭を竹の甘味に引き戻す。 これについては竹内叔

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    kaiyumaru 2023/04/13
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  • 今昔神保町 - 書痴の廻廊

    無性に神田に行きたくなった。 一枚の写真が契機(きっかけ)である。 これが即ちその「一枚」だ。 いちばん手前の屋号に注目して欲しい。 右から左へ、流れるような草書の文字は、「大雲堂書店」と読める。 ある種のビブリオマニアなら、この時点でもうピンと来るに違いない。この看板を掲げた店は、令和五年現在も絶賛営業中ゆえに。 そう、この写真は今からおよそ一世紀前、「昭和」の御代が明け初めて未だ間もない時分の折の神保町を撮影したものなのだ。 否でも応でも胸が高鳴る血が騒ぐ。 そういうわけで行ってきた。 これが最近の大雲堂。 筆者が『生田春月全集』と運命的な邂逅を遂げ、古書の世界にますます深入りしていったのも、思えば明治二十六年創業の、この店に於いてこそだった。 あれに劣らぬ良き出逢いを求めつつ、しばし通りをうろつきまわる。 パチンコ店の潰れた後に古屋が入るなど、如何にも神保町に相応しい景色であったろ

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    kaiyumaru 2023/04/09
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  • 夢路紀行抄 ―第二世代― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 想定外な夢である。 『涼宮ハルヒ』シリーズの主要登場人物二名、キョンと朝比奈みくるとが、何故か結婚し、子供をこさえ、その成長した長男が鶴屋さんの娘相手にラブコメってる――まあ、大筋はこんな具合いか。 自分の無意識を問い詰めたくなったのは久々だ。 率直に意味が分からない。なんでいまさら、『涼宮ハルヒ』? そりゃあ学生時代には熟読した――友人たちと示し合わせて、図書室に要望を出してまで――ものであったが。遠い昔の沙汰である。読書趣味も、あれからずいぶん変化した。 熱中した事実からして、ほぼ忘れかけていたというのに。 鶴屋さんに至っては、目が覚めてから「そういやこんなキャラ居たなあ」と改めて懐かしさを感じるほどであったというのに。 前日味わった刺激のうちの、いったいどれ(・・)が引き金となり、かかる記憶を呼び起こしたか、さっぱり見当がつかないのである。 「想定外」と軒先にぶら下げた

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    kaiyumaru 2023/03/18
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  • 山本さんちのゴンべどん ―ある薩人の影を追う― - 書痴の廻廊

    「上方で戦(いくさ)の形勢じゃ」 兵力が要る、我はと思う者やある、居れば疾く疾く名乗り出よ――。 慶応三年、薩摩にて、こんな「お達し」のあった際。加治屋町の貧乏藩士、山家からは四兄弟中、二人までが飛び出した。 長男盛英は御小姓役を務めていたため国許に残る義務があり、末弟誠実は威勢はよくとも未だ十歳の小僧に過ぎない。 そこをいくと次男吉蔵は男盛りで、また色々と身軽な立場でもあった。 「俺(おい)が征(い)きもす」 そういうことになった。 この宣言を、内心密かに垂涎の想いで聴いていたのは三男権兵衛。 山さんちの(・・・・・・)権兵衛(・・・)である。後の内閣総理大臣、日海軍の立役者たるこの人物は、戦に赴く吉蔵が羨ましくて仕方なかった。 (Wikipediaより、山権兵衛) 何故(なにゆえ)などと、訊くだに野暮であったろう。彼が薩人だからである。三百年間、二重鎖国の内側で、戦国の野気を保

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    kaiyumaru 2023/02/01
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  • 暗殺は易し ―福澤諭吉の護身術― - 書痴の廻廊

    諜報密偵云々がらみで想起した。 福澤諭吉のことである。 彼の家には忍者屋敷みたような、特殊な仕掛けがあったのを。―― (Wikipediaより、甲賀流忍術屋敷) 順を追って話すとしよう。 彼には敵が多かった。 楠公権助論に象徴される歯に衣着せぬ物言いで、壮士どもの怨念をずいぶん萃(あつ)めてしまったらしい。手っ取り早く現代式な言い回しを用いれば、雲霞の如きアンチの群れに粘着された状態、か。 この「蟲ども」の大半は、極めて自然な感情経路に基いて、福澤諭吉が地上から消滅することを望んだ。 あの野郎死ね、ということである。 否、そればかりでは止まらない。 ネットの海に罵詈雑言を垂れ流すのが精々な昨今とは違うのである。 戊辰の役の生き残りがごろごろし、幕末の殺気も色濃く残るご時世だ。 遠くに在りて願うだけなど生ぬるい、憎ったらしいあんちきしょうを俺がこの手で直々に、地獄の釜に叩き込んでくれようず―

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    kaiyumaru 2023/01/29
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  • 露人の見た韓国の原風景 - 書痴の廻廊

    戦争も商売も、成否は「諜報」の一点に在る。 「密偵に費やす金は最も巧みに運用されたる金である。政府がこれを支出するに吝かなるは、怠慢の極致と評すべし」――不朽の名著『外交談判法』中で、フランソワ・ド・カリエールは斯く述べた。 「復讐は武士の大事である、ひとたび討ち損なえば一生の恨みを遺すのである。なればこそ敵を討つにはあらゆる手段を行使して、敵に関するあらゆる事情を精密に知り、愈々敵を討つ段にあたっては、一挙して必ず仕留めるの決心がなければならぬ」――わがくに軍学の泰斗たる山鹿素行もこういう意味の沙汰事を、その弟子達に伝えたものだ。 (Wikipediaより、山鹿素行) 諜報を盛んにする国は興り、疎かにする国は亡ぶのである。 これはほとんど、公理に近い。 ――ざっとそんな塩梅で。 帝政ロシア能的な南下衝動に従って朝鮮半島を窺っていた頃のこと。 これから手中に収めるであろう土地の実態を確

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    kaiyumaru 2023/01/27
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  • ドイツとエビオス ―代用食を振り返る― - 書痴の廻廊

    人類最初の世界大戦、酣なる時分のはなし。 英国下層の労働者らが雑穀入りの黒パンに、まずいまずいと不平不満をこぼしている一方で。 帝政ドイツは鮮血を代用パンの生地に練り込み、まずいどころの騒ぎではない、ある種ゲテモノを開発し、心ならずも人の舌(みかく)の限界を試すような真似をしていた。 前回に引き続き、右田正男の伝えるところだ。 (ドイツ国会議事堂) 山科礼蔵と同じく、糧の価値を「戦略物資」と位置付けていた彼である。 その観点の形成に、第一次世界大戦当時のドイツ銃後の惨状が寄与したことは疑いがない。実際右田が世に著した『水産と化学』を開いてみると、 …前欧州大戦に於てドイツの敗れたのは、糧の窮乏につけこまれた謀略のためであったことはあまりにも有名な話である。一九一五年から一九一七年に亙るドイツ糧事情は実に暗澹たるものであった。 こういう一文が発見できる。 更に続いて右田正男は「暗澹た

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    kaiyumaru 2023/01/23
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  • 五六〇万トンの行方 ―昭和十年、漁獲量― - 書痴の廻廊

    興味深いデータを見つけた。 戦前、すなわち大日帝国時代の水産業に纏(まつ)わるものだ。 昭和十年、全国的な漁獲量の総計は、ざっと五六〇万トンに達したという。 ちなみに最近、平成三十年度に於いては四四二万トン。技術の進歩、養殖の拡大、多くの規制、人手不足に高齢化、台湾・朝鮮・北方領土を失ったこと――諸余の事情を考慮して、おおむね妥当な推移なのではなかろうか。 (戦前、北海道、鰊の豊漁) しかし、さりとて、むかし(・・・)といま(・・)とで決定的に異なる点がひとつある。 用・非用の割合だ。 昭和十年段階で用に供せられたのは総漁獲量のおよそ六割。残すところの四割は、主に魚粉や〆粕として畑の肥やしに使われた。ことイワシに至っては、二七〇万トンの漁獲量中、卓に上せられたのはたったの二割。八割方が圧搾機に直行という、凄まじい偏りを呈したものだ。 「俺たちだって、べつにしたくてこんな風にしてい

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2023/01/21
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  • 気負い立つ明治 - 書痴の廻廊

    気宇壮大は明治人の特徴である。 新興国のらしさ(・・・)とでも観るべきか。 乃公出でずんば蒼生を如何せん、俺こそこの先、日を担う漢なりとの熱血が、国土に遍く漲っていた。 こういう例がある。 二十年代半ばごろ、さる地方都市の一学校を特に選んで、 ――将来の夢はなんですか。 そういう趣旨のアンケートが執り行われた。 現代に於いても入学式にかこつけて、よくやっているアレである。 結果は実に六割方が、 「政府の大臣になりたし」 との答えを返したそうだ。 これを受け、福澤諭吉先生などは芟除すべき「封建の遺風」がまだこんなにも残っていたかと瞠目し、「人生の功名富貴は至る処に求むべし、政府の地位羨むに足らず」――もっと民間事業に目を向けろとの言説を逞しくしたものだった。 第二の岩崎、渋沢、大倉――「大商人」を志向する青少年よ、更に増えよ、どんどん増えよ、増えて増えて比率に於いて大臣派を圧倒せよというこ

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    kaiyumaru 2023/01/18
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