タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (11)

  • 重信メイ『「アラブの春」の正体』 - heuristic ways

    チュニジアで大規模なデモやストライキが起き、政府に対する抗議運動が高揚して、ついにベン・アリー大統領の亡命を引き起こし、「ジャスミン革命」と呼ばれる事態に至ったのは2011年1月のことである(正確には前年12月後半から各地にデモが拡大していた)。その衝撃はエジプトなど周辺諸国に飛び火し、こうした一連の民衆蜂起と民主化の動きはやがて「アラブの春」と呼ばれることになる。 当時私は北村透谷や自由民権運動に関するなどを読んでいたが、「自由民権運動」が英語で“Freedom and People’s Rights movement”ということを知り、「(私も詳しい事情は知らないが、報道で知る限り)つい最近チュニジアで起こり、エジプトなどの周辺諸国へ波及しているのは、広い意味での“Freedom and People’s Rights movement”の延長ではないだろうか」と書いたりした(201

    kamayan
    kamayan 2012/11/10
  • 平家物語クロニクル - heuristic ways

    石母田正(いしもだしょう)氏は、『平家物語』の原型は来三巻から成っていたのではないかという仮説について、内容面および形式面から検討を加えている(『平家物語』岩波新書)。内容面から言えば、『平家物語』は清盛・義仲・義経の三人を中心的人物に据えて展開する物語であるかにみえる。 来平家物語は三部に分けて読むべきだとされている。第一部は巻一から巻五にいたる部分、第二部は巻六から巻八まで、第三部は巻九から巻十二にいたる部分である。内容からみてこのように三部に区分されるのは、平家物語が来三巻から成っていたことと関連しているのではないかという見解もある。この三部にはそれぞれ中心人物があって、第一部は清盛であり、第二部は義仲、第三部は義経が物語の中心にすえられている。  ただし、「平家物語の構成を…人物中心にかんがえる」ことは、実は「この物語の性質上問題がある」と石母田氏は指摘し、平家物語の叙述が「

    kamayan
    kamayan 2012/03/16
  • 『平家物語』の故事 - heuristic ways

    角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス『平家物語』は、『平家物語』の全体像をとらえることができるように、「全巻の全章段について、内容を縮約するとともに、各巻を代表する説話を選び出し」たという初心者向けのダイジェスト版なのだが、これを読み始めたところ、いきなりこういう一節があって、へーっと思った。原文も載っているが、ここでは訳文を引用する。 先例を遠い中国歴史にたずねると、秦の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁の朱异(しゅい)、唐の安禄山(あんろくざん)がいる。彼らは皆、自分の仕える主君・皇帝の政治に反逆して、権勢の限りを尽くし、周囲の忠告に耳をかさなかった。やがて世の中が乱れてしまうことに気づかず、世の人々が何に苦しみ、何に嘆いているのか、まるで反省しなかった。だから、その栄華は永続せず、間もなく滅亡した者どもである。  これに続いて、「身近な日歴史に例を求めると、承平

    kamayan
    kamayan 2012/02/25
  • 平将門をめぐって - heuristic ways

    私が平将門に興味をもつようになったのは、5年くらい前に大岡昇平の『将門記』を読んで以来のことだが、最近、将門について、二つのことが気にかかっていた。 一つは、将門が天慶二年(九三九)、坂東八カ国を制圧したとき、「巫女が神がかりし、八幡神が菅原道真を通じて将門を「新皇」とする、という託宣を下した」(網野善彦『日社会の歴史(中)』)のはなぜかという問題であり、もう一つは、高橋富雄氏が『平泉の世紀』で指摘している「平将門と藤原清衡」、「坂東と奥州」の関係はどこまで根拠があるものなのかということだった。 図書館で川尻秋生『戦争の日史4 平将門の乱』というを借りてきて読んでみると、それなりに納得の行くところがあったので、ここでポイントを整理しておきたい。  その前にまず私が驚いたのは、当時の利根川や鬼怒川は現在とは流路が異なり、「そもそも、現在からは想像しにくいかもしれないが、当時の常陸(ひた

    kamayan
    kamayan 2012/02/04
  • 城山三郎『辛酸――田中正造と足尾鉱毒事件』 - heuristic ways

    この小説は1961年(昭和36)、今からちょうど50年前に発表されている。常盤新平氏の「解説」によると、当時は田中正造の存在はほんの一部にしか知られておらず、「公害という用語さえ、なじみのあるものではなかった」(中央公論社版の作者あとがき)らしい。 辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫 緑 310-13)作者: 城山三郎出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 1979/05メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 23回この商品を含むブログ (15件) を見る  武田晴人『高度成長』によると、「深刻化する環境破壊は、五〇年代後半にはすでに熊県水俣地方の「奇病」の発生や、大気汚染、水質汚染、地盤沈下などの問題として認識されていた。しかし、これらが企業活動に伴って発生している人為的な加害に基づくものであるとの認識は薄かった」という。政府がようやく「有機水銀説を認め、水俣病

    kamayan
    kamayan 2011/12/23
    本来問題とされるべきなのは、加害側の企業の隠蔽工作や国家の不当な弾圧であるはずなのに、いつの間にかそれが反転して、被害民のぎりぎりの抵抗や抗議のほうが「不法」な「迷惑」行為として有徴化(mark)されてし
  • 石牟礼道子『苦海浄土』 - heuristic ways

    この小説には、いくつもの異なる層の言葉が撚り合わされている。バフチンの言葉を借りれば、そこには、「それぞれに独立して溶け合うことのない声と意識たち」が、ぎこちなく、あるいは暴力的に交わり、すれ違い、衝突し、離れてゆく痛々しいまでの姿が「記録」されている。いや、正確には、「声と意識たち」というより、声にならない声と、意識的に制御できない身体たちと言うべきかもしれない。たとえば昭和二十九年から三十四年にかけて生まれた「胎児性水俣病」の子どもたちは、「誕生日が来ても、二年目が来ても、…歩くことはおろか、這うことも、しゃべることも、箸を握ってべることもできなかった」という。四〜五歳になっても、この子たちは「一日の大半をひとりで寝ころがされたまま」暮らすほかなかった。「いくらか這いまわったり、なまじよろりと立つことのできる子」は、掘りゴタツに落ちて火傷したり、縁から落ちた打傷をこしらえたりしていた

    kamayan
    kamayan 2011/12/20
  • 足尾鉱毒事件と水俣病 - heuristic ways

    石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)の中に数ヵ所、足尾鉱毒事件への言及がある。 昭和三十八年、石牟礼氏は小冊子「現代の記録」を出し、「水俣はじまっていらいのチッソの長期ストライキ、その記録」を書くが、資金難のため「一冊きりで大借金をかかえる」(p 299)。その後に、「それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる」という文がある。 「あとがき」では、足尾鉱毒事件谷中村残留民の高田仙次郎のエピソード*1に触れ、「私はこの章のある「思想の科学」日民主主義の原型特集号(一九六二年九月号)を座右にひきよせ、水俣病にかかわる自己の対話のよすがとしている」と記している。「谷中村の怨念は幽暗の水俣によみがえった」と石牟礼氏は見ていたのである。 第七章「昭和四十三年」の「いのちの契約書」という節には、氏が西日新聞に書いた「まぼろしの村民権

    kamayan
    kamayan 2011/12/18
    「弱者に対する差別のあるところに公害というしわ寄せが来る」
  • 中世の当事者主義 - heuristic ways

    以前少しだけ読みかけて、そのままになっていた郷和人『天皇はなぜ生き残ったか』(新潮新書、2009年)に再挑戦しようと思って、最初から読み返してみたら、ちょっと吃驚したことがあった。 第1章「古代天皇は厳然たる王だったか」の2「権力は徹頭徹尾、受け身である」という節で、中世の当事者主義について書かれていることが、渡辺京二『日近世の起源』(原著2004年)を思わせるような内容だったのである。もちろん、これは別に「剽窃」や「盗用」を意味するのではなく、両者が参照・依拠している典拠がたまたま同じだったということのようだ。渡辺氏は、笠松宏至の『日中世法史論』『法と言葉の中世』『徳政令』などを参照・引用文献として挙げており、郷氏も「代表的な法制史家、笠松宏至」に言及している。渡辺・郷両氏がそれぞれ互いのことを知らずに、共通の参考文献を基にして同じようなことを書いたということかもしれない。*1

    kamayan
    kamayan 2011/11/21
  • 市民権と武装権 - heuristic ways

    私が最初に読んだ小熊英二氏の著書は、『市民と武装――アメリカ合衆国における戦争と銃規制』(2004年)だった。これは、「市民と武装――アメリカ合衆国における「武装権」試論」と「普遍という名のナショナリズム――アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」の二の論文を収めたもので、前者はもともと1994年に発表されている(後者は1992年に執筆したが、未発表だったとのこと)。 最初に読んだときは「アメリカの銃規制問題」の歴史的背景を考察したものというぐらいの印象しか持たなかったが、今回再読してみて、氏の問題意識はむしろ、市民権の問題を「武装権」の歴史から捉えるというところにあることがわかってきた。 一七世紀イギリスの思想家ハリントンによれば、土地が君主や貴族によって独占されていた時代は傭兵や貴族が軍の主力となるが、共和制では土地を所有して自立した市民は自らの財産を守るため武装しており、こうした人

    kamayan
    kamayan 2011/07/19
  • ウェストファリア体制について - heuristic ways

    先日、図書館でポール・ハースト『戦争と権力――国家、軍事紛争と国際システム』(2009年、原著2001年)というを見かけ、パラパラとめくったところ、第2章で「ウェストファリア体制期における国際システム」について論じられていて、興味を引かれた。*1 以前、テッサ・モーリス=スズキとセイラ・ベンハビブ両氏がともにウェストファリア条約と近代国家主権の問題に言及していたのを思い出したのである。*2  ポール・ハースト氏のを読んで初めて知ったのは、「一六四八年に三十年戦争を終結させたウェストファリア条約」とは、いわば宗教戦争の終わりを告げ、国際システムとしてヨーロッパ世界の構造化・安定化を図るものだったということ。 (ヨーロッパの)すべての大国は、一六世紀と一七世紀初期にくりかえし権威の危機に直面した。宗教紛争はイデオロギー的に社会を分断した。カトリックとプロテスタントは、その政治的枠組みを引き

    kamayan
    kamayan 2009/04/26
  • 歴史と伝承 - heuristic ways

    このところ私は近代以前の日歴史に興味があって、ぼちぼち教科書的なテキストを読み進めようと思っている。高校では一応日史も学んだが、ごく表面的な知識の断片が記憶の片隅にある程度で、自主的・主体的な問題意識に基づく内面的な理解とは程遠い。今の私の関心は、天皇制や宗教の歴史を掘り下げたいということ。新憲法の制定や教育法の改正が政治的日程に上っている今日、ろくに日歴史を知りもせずに「愛国心」がどうのこうのいうのは軽薄に思えてならないのだ。こう見えても私は愛国者なので、日の伝統や文化歴史を批判的に検証するプロセスを経て過去の過ちや可能性を探るのが真の愛国者の務めではないかと思うのである。 数日前、たまたま大岡昇平氏の『将門記』(中公文庫)を部屋の片隅で見つけ*1、最初のページを開いてみると、「将門のように、関八州を制圧して、天位を僭称したものは、それまでには無論なかったし、その後にも

    kamayan
    kamayan 2006/12/08
  • 1