過去に書いた記事を転載する。斜線部は、後藤昌次郎弁護士が書いた「告発状」の引用部分である。 一九九七年五月二四日午後、神戸市須磨区に住む小学六年生の男児J君(当時一一歳)が家を出たまま行方不明になっていたが、同月二七日早朝、その頭部が神戸市須磨区所在の友が丘中学校正門前で、残りの遺体が同区所在の通称タンク山ケーブルテレビアンテナ基地内で発見され、兵庫県警察において殺人・死体遺棄事件(以下本件という)として捜査が行われたが、犯人逮捕に至らないまま一か月余が徒過した。このような中、兵庫県警察は、六月二八日午前八時前ころ、A少年(当時一四歳・中学三年生)を同事件の被疑者として県警本部に「任意同行」した。 例を見ない事件の残虐性や、「酒鬼薔薇聖斗」というペンネームを用いた警察やマスコミへの犯行声明の送付といった事件の異常な経緯により、地元のみならず日本中がパニックに陥った。事件解決(=犯人逮捕)を