乳がん啓発月間の10月に入った。アメリカにおいて、ピンクリボンが乳がん啓発のシンボルとなってから25年。自分が罹患するずっと昔から、「乳がん」という言葉で思い出す女性がいる。 遺された著書を紐解く 千葉敦子さんは、新聞社に勤めたあと、フリーランスの道を選び、彼女にとって生きるには窮屈な日本を離れ、ニューヨークで活躍されたジャーナリスト。そのキャリアは、著書から読み取ることができ、1980年代当時の“自立した働く女性”として、憧れの存在だった。 乳がんが千葉さんの身体を襲ったのは、アメリカに移住する前。当時はインターネットの普及もしていない1981年の出来事である。情報も乏しく、患者に病名を告げることもタブーとされた時代だったが、医師との頻繁なコミュニケーションや医療従事者であった妹さんの助言により、冷静に標準治療を受けられた。 ご自身の乳がん治療に関する著書もいくつか出版されている。私は彼