硫黄島の名将・栗林中将のことを敗戦と同時に瞬時にして無かったことにしてしまう”積極的健忘症”の日本人は、嫌な記憶を忘れたいということではなく、昨日まで鬼畜米英と憎悪していた米軍司令部に歓迎の投書が50万通も殺到した事実に見られるように心からアメリカを歓迎してしまう。世界史上の数多い占領の歴史の中で、外来の支配者にこれほど熱烈に投書を寄せた民族はいないといわれる。 これはどう観ても単に先の大戦に特有の事象ではなく日本人の固有の文化・国民性に根ざしている。 風向きが変わればいくらでもそれに対応して恥じるも何も問題意識すら持たない。 福沢諭吉がこういう国民性を指してゴム人形と言ったことは既に書いた。 古代ギリシャのアイスキュロスやソポクレス、エリザベス朝時代のシエイクスピアはいずれも国の隆盛期に悲劇を書いた。 そこでは「外的事実」としての自国の勝利を讃えようとはしていない。 留守氏はアメリカ南部