東日本大震災から6年を迎える岩手、宮城、福島の3県をドローン(小型無人機)とヘリコプターで撮影した。かさ上げした中心部にできた商業施設、高台に立ち並ぶ新しい家々、住民の帰還が目前なのに人の姿がほとんどない市街地など、復興の度合いは地域によってまちまちだ。地上からでは分かりにくい被災地の現在の様子を追った。岩手県津波に唯一耐えた岩手県陸前高田市の「一本松」は、復元されまちのシンボルになっている。

津波によって複数の鉄筋コンクリート(RC)造ビルが横転した宮城県女川町を再訪した。日経アーキテクチュアが昨年(2011年)4月1日に現地を取材した時には、鉄骨造を含む計6棟の横転ビルが確認できた。このうち現在も残っているのは、女川交番など3棟だけだ。この3棟は女川町が昨年9月に定めた復興基本計画で、「災害遺構として保存」する建物の候補となっている。これら3棟は「津波の挙動研究、学術的な価値も高
東日本大震災の発生から7か月を経た、2011年10月18日。和歌山県にある海上保安庁の観測所から宇宙へ向け、一筋のレーザー光線が発射されました。その先にあったのは、既に機能を停止し、静かに地球を回り続ける1機の衛星でした。 定年を迎えた衛星が見たもの 地球観測衛星「だいち」は、正確には陸域観測技術衛星という名の、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の衛星です。2006年1月24日に打ち上げられて以来、その名の通り地球の陸地を撮影し続けてきました。 「だいち」には3つのセンサーが搭載されていました。分解能(地上の物を見分ける細かさ)2.5mで、立体的な白黒写真を撮影できる「プリズム」、分解能10mながらカラー撮影ができる「アブニル2」、そして電波を使って雲に関係なく撮影ができる「パルサー」。これらのセンサーを使って日常的な地図作成のほか、2006年のジャワ島地震、2008年の中国四川地震など世界
あの日を境に芝生のグラウンドは砂利の敷かれた駐車場になった。 それでも、Jヴィレッジが元に戻る日が来ることを信じて 西さんは今日も料理を作る。 大事なことを自分に教えてくれたサッカーをここへ取り戻すために。 雑誌Numberに連載中の「シリーズ 3.11を越えて」。 今回は日本代表専属シェフ、西芳照さんが故郷・福島で臨む “復興への戦い”を追ったドキュメントをNumber822号より公開します。 あの青々としたピッチは、砂利の敷かれた駐車場に変わっていた。 ボールを蹴る音は消え、砂利を踏むタイヤの音がひっきりなしに耳に入ってくる。 日本サッカーのナショナルトレーニングセンターとして利用されてきたJヴィレッジは福島県楢葉町、広野町の2つにまたがる広大な施設だが、東日本大震災を境にして役割は180度変わってしまった。福島第一原発の20km圏内に入ることから「警戒区域」(昨年8月に解除)に指定さ
今まで「あの日を忘れない」を読んで下さって有り難う御座います。 去年の8月末、今お世話になっている会社の元社長で大好きな叔父さんがガンで亡くなってその後、11月中頃、実家の父が肺炎で亡くなり、そして今回の震災で妻を含め同級生、数多くの知り合いを亡くしました。 海で見つけた2人の水死体。 人の死についてすごくすごく考えさせられました。 愛猫もそうです。 今回その死を無駄にしないように、今まで同様、事実をありのままに載せていきますので、2人目の水死体の記事で気持ちが悪くなったら他の楽しい愛猫のブログを見て下さいね。 「あの日を忘れない」(完) その後も忙しく飛び回っている内に4月12日になり青年の家から支援物資の運ぶ番が来て親友と運ぶことになりました。 午後、少し時間が空いたので沖に浮かべた船に手入れをしょうと海岸にある船外機を借りて湾を出てすぐの牡蠣イカダの固まった残骸の所に白ちゃけた物が一
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