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ブックマーク / call-of-history.com (6)

  • 『ハンザ「同盟」の歴史ー中世ヨーロッパの都市と商業』高橋理 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十二世紀から十七世紀にかけて、北海・バルト海交易の主要プレイヤーとして中世ヨーロッパ経済で存在感を発揮した都市連合体「ハンザ」とは何だったのか?誕生から消滅、その後の影響までを描いた、日語文献としては随一と言っていい概説書である。 著者の『ハンザ同盟−中世の都市と商人たち(教育歴史新書)』(1980年)を近年の研究動向を反映させて大幅に増補改訂したもので、特に「第七章 ハンザ諸都市の群像」「終章 ハンザの文化遺産」が今回新たに加えられたとのこと。 日では「ハンザ同盟」の名前で良く知られているが、書のタイトルが括弧書きで「同盟」となっていることからもわかるように実は少しおかしい表現である。書の序章でまずこのハンザの語義について詳述されている。 「ハンザ” Hanse”」は普通名詞で「団体」「組合」を意味し、中世の同職組合であるギルドの中でも商人の組合を指して使われたから、「ハンザ同

    『ハンザ「同盟」の歴史ー中世ヨーロッパの都市と商業』高橋理 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kananote
    kananote 2020/05/27
  • セミラミス伝説の誕生と変容の歴史~メソポタミアから中世ヨーロッパへ

    セミラミス(” Semiramis ”)は伝説上のアッシリアの女王。ヘロドトスが「歴史」でバビロンの堤防を築いた女王としてその名を挙げて以降、古代ギリシアで様々な著者によってエピソードが創作され、伝説上の人物となった。 アッシリアの王妃サムラマトとその時代モデルと考えられているのは紀元前800年ごろ、アッシリアに実在した王妃サムラマト(” Shammuramat ” or ” Sammuramat ”、シャムラマット、サンムラマートなどとも表記される)。サムラマトはアッシリア王シャムシ・アダド5世(在位:前823~811)の王妃で、同王の死後、子のアダド・ニラリ3世(在位:前810~783)の摂政となった。(注1) アッシリア帝国の主要都市カルフ(現在のニムルド)のナブー神を祀った神殿エズィダにあるカルフの代官ベール・タルツィ・イルマが奉納した神像に『神ナブーに(中略)、アッシリア王アダド

    セミラミス伝説の誕生と変容の歴史~メソポタミアから中世ヨーロッパへ
    kananote
    kananote 2019/04/16
  • 「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」桜井 英治 著

    社会に贈与の慣行が深く根付き、一気に浸透したのが中世であるという。その日の贈与はどのようなものだったのか。市場経済の拡大と結びついた贈与経済の姿を、史料を丁寧に読み込むことで明らかにしていく一冊。 マルセル・モースと彼の「贈与論」を研究したモーリス・ゴドリエによると「贈与」をめぐっては次の四つの義務が発生するという。 1) 贈り物を与える義務(提供の義務) 2) それを受ける義務(受容の義務) 3) お返しの義務(返礼の義務) 4) 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神にたいする贈与の義務) 贈与慣行は古代から現代に到るまであらゆる社会に見られるが、大なり小なり上記の四つの義務が存在している。贈り物を受けたらそのお返しをせねばならないという意識が芽生えるし、贈り物を贈られた際に受け取らないようにするのは若干の後ろめたさを覚えるものでもある。例えば上司や同僚、取引先など仕事上の関

    「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」桜井 英治 著
  • 「革命前夜の地下出版」ロバート・ダーントン 著

    フランス革命前夜、十八世紀のフランスにおいて禁書、海賊版を流通させる地下出版の国際的なネットワークがあった。誹謗中傷、反権力、ゴシップ、性的・政治的ポルノ・・・およそ低俗とされる様々な出版物が、スイスなどフランス国外で印刷され、密輸業者によってフランスに運び込まれ広く行き渡る。その著者となったのが啓蒙思想家に憧れながら、啓蒙思想家になれず、階級社会の底辺でうごめく三文文士たち、いわゆる「どぶ川のルソー」たちで、い詰めた彼らの活動が、やがて革命を準備していく。 書は「の大虐殺」で名高い歴史家ロバート・ダーントンが幅広く史料を渉猟して1982年に書き上げたフランス革命研究の基書の一つで、後にアナール学派を代表する歴史家ロジェ・シャルチエとの論争でも話題になった。しかし残念ながら絶版。 (2015年10月に岩波人文書セレクションから再販されました) ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、

    「革命前夜の地下出版」ロバート・ダーントン 著
  • イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー

    伊藤大一(2003)「ブレア政権による若年雇用政策の展開 若年失業者をめぐる国際的な議論との関連で」、同じく伊藤大一(2003)「イギリスにおける「アンダークラス」の形成 ブレア政権における雇用政策の背景」において、英国のアンダークラスとは何か、についてMacDonald.R.(1997)の説を以下の通り紹介している。 『「アンダークラス」とは、「社会的、経済的変化――特に脱工業化(de-industrialisation)――や、文化的行動諸パターンを通して、一般に正規に雇用された労働者階級や社会から、構造的に分化され、文化的に区別されるようになった階級構造の底辺に位置付く人々の社会グループないしは階級であり、かつ現在では、固定的に福祉給付に頼り、ほぼ永続的によち貧しい諸条件や地域の中で、生活するように限定された社会グループないしは階級のことである」』 統計上の失業者であると同時に、就業

    イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十六世紀から十七世紀、戦国時代中期から江戸時代初期にかけて、多くの日人が海を渡り、東南アジアから東シナ海にかけて様々な活動を行った。海を渡った日人はどのような人々だったか、大きく(1)倭寇(2)武士・雑兵(傭兵・奴隷)(3) 商人・労働者(4) キリシタンの四つに分けられる。もちろん、分けられると言ってもその境目は厳密ではない。むしろ、その重なり合っている様がまた時代性を表してもいる。 (1)倭寇倭寇とは何か倭寇の活動は大きく二期に分けられる。前期は高麗で史料上倭寇という言葉が頻出しはじめる1350年ごろから十五世紀末にかけての時期で、1375年ごろから活動が頂点に達し、朝鮮半島沿岸を襲い、略奪・殺戮を繰り返した。最盛期には300~500艘の船団を形成し、千数百の騎馬隊と数千人の歩兵を乗せ女性や子どもを伴っていたという。1419年、倭寇の根拠地となっていた対馬に李氏朝鮮が大規模な討伐軍

    十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー
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