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ブックマーク / cpplover.blogspot.com (6)

  • 濫用に当たる職務質問を受けたと考えたので弁護士に相談して訴訟を起こすことになった話

    去る7月3日の午後の通勤途中に、私は職務質問を受けた。その次第は以下のブログ記事に職務質問を受けた当日書いて投稿した。ただし、投稿時に日付を超えてしまったので投稿日時は7月4日になっている。 の虫: 警察官に職務質問をされた話 さて、振り返って見るに、私は先日の職務質問が警察官職務執行法第一条に規定された、「目的のため必要な最小の限度」を超えていて、「濫用」にあたるのではないかと考える。というのも、 「下を向いて歩いていた」、「帽子を目深にかぶっていた」という理由は、同法二条にある「合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由」にはならない。 仮に「疑うに足りる相当な理由」であったとしても、職務質問を開始してかなり早い段階で、その疑いに対して「重い荷物を背負って長距離を歩いたので疲れたのではないか」、「人間は下ぐらい向くものだ」、「日差しが強く帽子

    kangiren
    kangiren 2017/07/14
    "男で、スーツを着ておらず、大きなリュックを背負っている人間"オタクじゃん!!我々は怒るべきだ!!
  • そろそろマストドンについて語っておくか

    世間ではマストドンが流行っている。結論から言うとマストドンは思想的にも設計的にも失敗しているのでお祭りのように一時の話題になった後、急速に忘れ去られる運命にある。 マストドンを語るには、まずマストドンが実装しているプロトコルであるOStatusについて説明する必要がある。これはもともと、StatusNetというソフトウェアが提唱したプロトコルで、Twitterようなマイクロブログの更新通知のためのプロトコルだ。StatusNetは今は名前を変えてGNU Socialとして自由ソフトウェア財団の傘下になっている。 マストドンはいうなればGNU Socialの互換実装だ。その基的な思想や設計はGNU Socialと同じだ。どちらも現在の大手ソーシャルネットワークサービスに共通の問題に対処しようとしている。 問題とは何か。権力の一極集中である。TwitterにしろFacebookにしろGoog

    そろそろマストドンについて語っておくか
  • 本の虫: 最も日本人を多く殺す職について考察した結果、反医療主義という結論に至った

    概要:この記事は最も多くの日人を殺す職業について考察したうえで、最終的に意外だが確実に多くの日人を殺している職業を特定したので書いた。結論を書くと反医療主義なのだが、考察の過程をたどっていこう。 今週の土日は何も予定がなく、かつ面白いPCゲームも見当たらないため、非常に暇である。そこで、最近執筆が滞っているブログのリハビリを兼ねて、何の意味もない文章を書いてみようと思う。お題はこれだ。 人を殺せる職につきたい 間接的に多くの日人を殺せる職につきたい 絶望的に人望がないので政治家や起業家は難しい スキルはITエンジニアの経験のみ このクソみたいな人生憤を晴らすためだけに間接的に日人を大量にぶち殺したい どうすればいいのだろうか なるほど、まず考察する内容を整理しよう。 この匿名ダイアリーの筆者を仮に増田とする 増田は人を殺せる職につきたい 人とは日人である 政治家と起業家以

  • なぜいまだにコミケを開くのか

    この日には、「コミケ」という慣習的な催しがある。私は行ったことがないし、よく知らないのだが、何でも年二回ほど、東京のビッグサイトとかいう施設を貸しきって行われているそうだ。 聞くところによると、この「コミケ」では、「同人」と呼ばれる、手作りの作品(多くはマンガであるが、小説やソフトウェア、彫刻、あるいは独自のプリントがされたシャツやキーホルダーなどといった作品もあるそうだ)を展示し、また販売しているそうだ。この作品の質は玉石混合で、中にはプロの印刷屋に依頼して美しい印刷製の作品もあれば、普通のプリント用紙に個人用の簡易なプリンターで印刷して、ステイプラーで止めただけといった作品もあるそうだ。 大多数の作品は、後者のような簡易的な個人製作のもので、その価格も、原価程度だそうだ。 聞くところによると、この「コミケ」は、大変有名な催しで、全国から人間が一斉に一箇所に集まり、開催地はさながら芋

  • 続・なぜいまだにコミケを開くのか

    前回の記事、の虫: なぜいまだにコミケを開くのかは、閲覧数こそ大したことがないものの、異様に多くの批評がついた。これは興味深いことだ。思うに、コミケ信者は相当に多く、また神聖なコミケの存在意義にわずかでも疑問が挟まれたとあっては、どうしても守らずにはいられないのだろう。 とはいえ、コミケには様々な問題がある。 まず、コミケでは、大勢の人間が密集するということだ。これは甚だしく危険である。 危険、というのは、何も団結すると暴動や革命を引き起こしてしまうから危険などといった独裁者の恐れる危険性ではない。むしろ私は、一度ぐらい団結して、国会議事堂を取り囲み、日国憲法第21条が、公共の福祉を始めとした何ものによっても制限されてはならないよう、憲法改正を要求するべきだと思う。もし、改憲できないのであれば、日の現政府は国民に表現の自由を保証しない暴君であるので、革命を考えるべきだろう。自由のない

    kangiren
    kangiren 2013/09/08
    デジタルデータに夢見すぎ
  • いまさら児童ポルノ法の改正という枝葉に反対しているのでは遅すぎる

    児童ポルノ法、その正式名称を、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」というそうだが、今、検閲主義の自民党によってこれが改正され、単純所持の禁止、そしてあるいは、被害者の実在しない架空の存在、つまり人間による創作物にまで児童ポルノの定義が及ぶであろうことを危惧して、様々な団体や、一部の政治家が反対の声を挙げている。 これに対して思うことがある。なぜ今頃、枝葉に反対するのだ? 日には表現の自由がない国である。なぜかというと、日には刑法175条があり、わいせつ物の頒布を禁じているからだ。 すでに、チャタレー夫人の恋人や、悪徳の栄えといった、名だたる文学作品が検閲されている。 児童ポルノ法のごときは枝葉である。たとえ児童ポルノ法の改正を阻止、あるいは廃止したとしても。刑法175条が存在する以上、問題は何も解決しない。 刑法175条は日で表現の自由を制限する法で

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