毎週日曜日更新のウェブマガジン。 俳句にまつわる諸々の事柄。 photo by Tenki SAIBARA 少し氣になる事があるので、書き留めておくことにする。 九月十九日は近代に俳句の扉を開いた正岡子規の命日だつた。子規の死に際しては、高濱虚子が、 子規逝くや十七日の月明に と詠んでゐることは、多く知られてゐるだらう。子規が亡くなつた直後に詠まれてゐる。虚子の句は子規が月齡十七日の月明かりの中に逝つたことを傳へてゐる。立待である。 この年は九月十六日が陰暦八月十五日、十五夜に当たつてゐた。陰暦八月十七日の立待は九月十八日だったのだけれど、子規の死亡は十九日未明の一時、即ち空には十八日の夕方に東に昇った立待月があり、南南西へと傾き始める頃だったのだ。 少し調べてみたのだが、九月十九日は陰暦八月十七日だつたと記してゐるものが多いやうだ。どうもこれは間達ひで、九月十九日は陰暦八月十八日であった