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ブックマーク / diary.lylyco.com (28)

  • ネットはオタクの遊び場で終わってしまうのか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ・ 「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠 いまどき「ネットが面白い」なんて人はまったくどうかしている。 まあ、半分くらいは好い意味で、だ。なぜなら彼らは、インターネットという社会インフラを「趣味」にしてしまった人たちだからだ。いってみれば、鉄オタにとっての鉄道みたいなものだろうか。一般人にとってのネットや鉄道は、もはや面白いとか面白くないとかいう興味の対象ではない。環境に近いものになってしまった。 もちろん、「ネットがつまらないのは自己責任!」というのも正論だと思う。そして、「ネット」の部分はあらゆるものに置き換え可能だ。ぼくが鉄道を愉しめないのは、ぼくのせいに違いない。たしかにぼくは、鉄道を愉しむための努力をしてこなかった。ネットも同じなんだとすれば、それはネットが高度に訓練されたネットオタクでなければ愉しめない、ただのありふれた風景になってしまったということ

  • 偽物のポジティブを、殲滅せよ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ポジティブを装ったタチの悪い欺瞞が、ウイルスのごとく蔓延している。 ぼく自身、生来あまりポジティブな人間とはいえない。だから、なおさら目に余るのかもしれない。それにしても、だ。たとえば、ライフハックだのフリーランサーだのスタートアップだのといった界隈の胡散臭さ!これはもう、格別だ。ちょっと鼻をつまんだくらいじゃ防ぎきれないレベルの腐臭を発して、止まるところを知らない。しかもそれは、一見、ポジティブを装っている。包装紙も、熨斗も、風呂敷も何もかもがポジティブだ。もはやパソコンの前にいるだけで満願成就して生涯幸せになれるんじゃないかと思うほどである。が、そんなうまい話はない。せいぜい奇人だけが使える劇薬が少々、残りはただの欺瞞である。 ○ 欠点を誤魔化すためのポジティブ たとえば、自尊心が強すぎて他人とうまくやっていけないことを、自立心が強くて馴れ合うことが苦手などと言い換える。あるいは、どん

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    kanimaster 2013/02/04
    これは良い記事。
  • 目からウロコ!あなたの文章がツマラナイ5つの理由と処方箋|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最近、頭髪が斑になるほどツマラナイ文章が増えた。 主にはブログやそれに類する文章の話だ。暇つぶしのファイナルウエポン、心の隙間を抉じ開ける脳髄のゴミ捨て場、我らの愛するウェブ世界がこんな有様では大変に困る。誤解してはイケナイ。ツマラナイ文章が増えたといっても、面白い文章が減ったなどといっているのではない。当然、どちらも増えている。だがしかし、だ。指数関数的に増え続ける「ツマラナイ文章」に対して、増えてもせいぜい主婦のヘソクリ程度でしかない「面白い文章」はあまりに非力である。ことソーシャルがきっかけで目にする文章のツマラナサは格別だ。どうやら無粋な文章作法の氾濫がことここに至って効いてきているらしい。では、具体的にどんな文章がツマラナイのか。 1. タイトル負けが酷すぎて殺意を覚える たとえばこの記事だ。セオリー通りに飾り付けられたタイトルが実に白々しい。目からウロコ!…などと下手なコピーラ

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    kanimaster 2012/11/16
    この記事、読むと後悔するから読んじゃだめだぞ。絶対読むなよ!
  • 婚活男女が求めているものは結婚ではない何か|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    周囲でもリアルに婚活やそれに類する話を耳にするようになって久しい。 ずっと不思議に思っていた。いまこの時代、この国の一般庶民にどうして「結婚」なんてものが必要なんだろう、と。生活を伴にしたい異性が既にいるというのならまだ理解る。男女が一緒に暮らすなら制度的に結婚してしまうのがいちばん「楽」だろうと思うからだ。逆にいえば、結婚になんてその程度の意味しか見出せない。そういう人間が増えた。だから、見合いなんて結婚促進制度は廃れ、既婚率が激減しているんだと思っていた。が、思い違いをしていたらしい。切実そうな顔をして婚活に励む知人たちの話を見聞きしていると、もはや考えを改めざるを得ない。 そもそも既婚率が高かった時代の結婚の多くは強制に近いものだったはずだ。一から自分で相手を選んで自分のタイミングで結婚したなんてカップルはそう多くなかったろうと思う。つまり、既婚率低下の直接的な原因は、親族手配による

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    kanimaster 2011/12/27
    「高望みはしないといいながら、「いままで出会えなかったレベルの相手」を探すのが婚活の本心だろう。」
  • ブックマークコメントに精神汚染されないための5つの心構え|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    はてなブックマークのコメント一覧非表示機能が変更されたらしい。 ・コメント一覧非表示機能の改善について - はてなブックマーク日記 - 機能変更、お知らせなど なんだかんだいったところで、はてブには付和雷同的な「流行」を助長する性格が抜き難くある。たとえ発火元のコメントが誤読や曲解や牽強付会に基づいたものであっても、罵倒の集中砲火が止まらないなんてことはままある。悪意の喧伝が比較的カジュアルに可能だというのは、確かに危険な面があるだろう。だから、風評被害みたいな実害まで想定するなら、それなりに有効な改変だろうとは思う。一方で、発信者が「コメントを見てしまう」ことで被る精神的ダメージに対してはまったく無力な改変だなあとも思う。そこで、その辺りのショックを和らげるための心構えで一席。 ----- 01:そもそも自分のエントリーは完璧ではない まさに見出し通りの話で、どんなに緻密な理論もどんなに

  • 「働きたくない」から「死にたい」までの距離は結構近い|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「(それ以外にやりたいことがあるから)働きたくない」というのはいい。 問題は「働きたくない(が、他にしたいこととてない)」というケースである。これは要するに「したいこと」はないが「したくないこと」だけはあるという状態を意味する。そこで「働きたくない」という希望が叶ったらどうなるんだろう。まず、最も「したくないこと」が解消されてぽっかり空いた時間に自然と幸福が満ちてきたりはしない。世界はそう都合よくできてはいない。きっと、さしてすることもない休日がそのまま引き伸ばされたような、酷く密度の薄い時間がとろとろと流れ込んでくるだけだろう。そうして、また別の「したくないこと」が浮き彫りになってくる。 いちいち断るのも面倒だけれど、「したいこと」が「日がなごろごろすること」だったり「何もしなくていい時間をぼんやり過ごすこと」だったりするのは別に構わない。それは「(それ以外にやりたいことがあるから)働き

  • コミュニケーション不全者の欲情の表明が少女を不快にする|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これはふたりの「関係性」の物語である。 ・誰がための「オシャレな女」なのか? - 倒錯委員長の活動日誌 リンク先タイトルの疑問に、普遍的な答えはない。異性を欲情させるためのオシャレもあれば、同性同士の闘いのためのオシャレもあり、自らの立ち位置を表明するためのオシャレや、趣味としてのオシャレや、商売道具としてのオシャレや、表現としてのオシャレなんかもあるだろう。これらすべてを「自己実現」のひと言で片付けることもできる。当然、大好きなあの人に愛されることこそが「自己実現」だ、という人がいてもいいし、そのためにオシャレをするというのも悪いことではない。「女の価値」を売りにするためのオシャレだけを、ことさら別立てにする理由もない。 それを「女の価値」だけが「自己実現」とは別の何かであると考えるのは、そう考える主体の問題である。要するに、リンク先のブログ主は「女の価値」に(少なくとも他の可能性を捨象

  • 文体を意識して書く愉しみを身につける方法|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    文章で何かを伝えたい。ならば、文体は重要だ…と素人が力説してみる。 文体に無頓着。それは文章の愉しみの大方を放棄しているに等しい。何をどう書くか。或いは、描くか。それは書く愉しみの大きな一面だろう。文体を意識するということは語彙を意識し、語尾を意識し、文の長短を意識し、漢字や仮名の表記を意識することだ。それはつまり、リズムを選ぶことであり、キャラクターを選ぶことであり、ターゲットを選ぶことでもある。であれば、何を伝えたいか、誰に伝えたいかによって、文体は戦略的に選ばれるべきである。何も意識せずに紡がれた文章は、自らの思考のリズムと、自分という茫洋としたキャラクターと、無意識の自分という極めて限定的なターゲットに縛られてしまう。当然、「自分のためだけの文章」にしかなり得ない。 伝えたい内容についてよく知らない人たちに、まずは興味を持ってもらいたい。広く浅くでもいいから、とにかく自分の知識を伝

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    kanimaster 2009/07/21
    文体とは文末の違いではないのだ、という好例。/でも、文体で無理にキャラを作るのは止めたほうが。
  • 児童の写真も映像もステージもすべて禁止にすればいい|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    何が「性欲を興奮させ、刺激する」かなんて真面目に話し合うことじゃない。 ・痛いニュース(ノ∀`):【児ポ法】 自民党・葉梨氏「ジャニーズ上半身裸は『1つの思い出』だからOKと考えている。ジャニーズがアウトになるのは民主党案」 それが性欲を興奮させることが目的で存在するものかどうかに関係なく、人は性的に興奮するのだし、しないときはしないに決まっている。まったく性的要素のないドラマの美少女子役を見て抜ける。そんなロリコンはたぶん少なくない。そりゃあ、入浴シーンでもあれば狂喜乱舞するかもしれないけれど、裸ばかりが興奮のポイントではないし意図的な扇情だけが発情を促すわけでもない。まあ、そんなことはきっとみんな分かっている。その意味で、表現規制の議論なんて適当な線引きをしてなんとなく格好を付けるためだけの茶番である。実にコメディタッチで愉しくさえある。 およそ主観でしかあり得ない「性欲を興奮させ、刺

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    kanimaster 2009/07/03
    着衣フェチの僕としてはおおいにうなずける。
  • 他人の本の読み方にケチをつける人は共感されたいだけ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    彼らは実は「共感されたいだけ」…という指摘自体は面白い。 ・36. 「共感できない」を読めないあなたは、共感されたいだけ。:日経ビジネスオンライン 確かに、共感だけを基準にコンテンツのできを判断するのはもったいないかもしれない。けれども、「これは共感できないからツマラナイだ」という感想を目にして、「なるほど、あれはツマラナイなのか」と判断する人がいるのだとしたら、それはそう判断する方にも責任があろう。その書評が「比較的広範な文学的知識や比較的公平な主観に基づくもの」か「極めて狭い見識と極めて個人的な感情のみに立脚したもの」かを見分けるのも、また、受け取り手の問題だろうからだ。そして、どんな評をどう参考にしどう受け流すかも、すべては受け手の自由であり、裁量である。 もちろん、ある程度以上の影響力を持つ人が共感だけを理由にある作品をこき下ろし、しかも、それを巧妙に客観的かつ一般的評価たり

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    kanimaster 2009/07/01
    思つていたことを先に書かれてしまつた。
  • 消えたベルキューブの行方を伊藤ハムに問い合わせてみた|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    いつの間にか、ベルキューブの「ビストロ」が市場から消えている。 そう思って行く店行く店で気を付けて見ていた。「ビストロ」だけではない。プレーン以外、すべてなくなっている。ベルキューブというのは、ぼくが気に入っているチーズの名前だ。比較的手軽に普通のスーパーで買えるチーズの中では一番のお気に入りである。スーパーの棚によくあるパッケージ商品のチーズとしては確かに少し高い。だから、ぼくにとってはちょっとした贅沢品でもある。中でも、家呑みのお供として愛していたのが「ビストロ」というアソート商品だった。ハム、オニオン、トマトの3種がセットになっていて、適度にスパイシーな味がとてもお酒に合う。 それが、プレーンしか見かけない。プレーンも美味い。けれども、お酒のお供としては少し物足りない。甘く感じてしまう。やはり「ビストロ」が恋しい。もう生産されていないのかと諦めかけていた。それでもスーパーに行くとつ

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    kanimaster 2009/06/15
    輸入チーズの話。
  • さっそくどうでもあたかもなんかすごいメソッドで書いてみた|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    こちらの記事が楽しかったのでさっそく書いてみることにした。 ・2009-06-02 - きしだのはてな ----- 01:どうでもいいこと=「ウォシュレットは最強にすると気持ち好いけど水が飛び散る」 1980年の発売以来、破竹の勢いでシェアを拡大し、いまや日人のご不浄生活に欠かせない存在となったウォシュレット。来TOTOの登録商標であるその呼び名は、INAXのシャワートイレといった他社名称など端からないものの如く広く強固に定着している。お陰で我が国のご不浄の不浄感はますます希薄化の一途を辿り、当節、並み居る先進諸国のご不浄を差し置いてほとんど清浄の域に達しているといっても過言ではないだろう。が、ここでひとつ注意を促さねばならない。あれは水勢を強めるほど清浄感、或いは、快感が増す。つい、最強にしたくなる。ここに落とし穴がある。 勢いのついた水の飛沫はほとんど予測不能な範囲に及んで飛び散る

  • 嫌なことを後回しどころかやらずに生きる方法|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    当に嫌なことならやらなくていい。 そうはいっても、人生は嫌なことに満ち満ちているではないか。その通りだともいえるけれど、そうでない見方もできなくはない。ものごとを短期的に見るからいけないのである。視野狭窄は不幸の元と相場は決まっている。ここはとりあえず、中期的に考える。大抵の面倒事は「何かの一部」である。一歩引いて「もう少し大きな部分」を見る。それは果たして重要なことか。たとえば、業務日報を書く。これは大層面倒だ。放り出す前に一歩引いてみる。これを正しく書くことで正しく業績が評価され、社内で適切な立場や待遇を得られる。それは自分にとって重要なことか否か。 これは将来のために今を我慢しろという話ではない。もしも、業績をより良く評価され、それなりの待遇を得ることが自分にとって有意義なら、その手段としての業務日報はむしろ書き甲斐のある書類のはずだ。部分を取り出してみただけでは面倒なことも目的如

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    kanimaster 2009/05/29
    目的意識が重要、という話。
  • 紙の本を捨ててもいいと思える3つの条件|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    当然、紙のは100%亡くなる。いつかは。そして、人類だっていつかは滅ぶだろう。 ・紙のが100%亡くなると断言できる、たった一つの理由 - 今週の天牌 もちろん、リンク先の人はそんな話をしているのではないだろう。技術革新によって旧来メディアが駆逐されるというのは、ありそうな話だ。けれども、こと「紙」に関してはまだまだだと思わざるを得ない。それは「ページをパラパラとめくる楽しみや印刷された紙の味わい」というような問題では、たぶん、ない。もっと実利的な意味で、今のデジタルメディアは紙の利便性に遠く及ばない。ただし、技術革新によって紙に代わるデジタルメディアが将来に亘って出てこないといい切ることも、また、できない。SF的になりすぎない程度に、それはどんなものか、と想像してみる。 ----- 01:とりあえず300dpi以上の解像度 何よりもまずこれである。せいぜい100dpi前後しかない現状

  • 下手な文章というのはあるが、上手い文章というのはない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    一般的な意味で上手い文章というのは、たぶん、ない。 ・俺なりの「文章うまくなる方法」 - G.A.W. ・「いいなぁ」という文章に近づくために必要なこと - GoTheDistance あるのはただ誰かや何かに合った文章である。似たようなことを少し前にも書いたなと思ったら、偉そうに文章術のようなものを書いていた。若気の至りである。先月のぼくはあまりに若かった。後悔は、それほどしていない。文章を公に晒すというのは、そういうことだと思っている。それはまあいい。上手い文章の話である。タイトルにも書いたけれど、下手な文章というのはあると思う。誤字脱字が酷いとか、誤謬に塗れているとか、人以外には何が書いてあるのか解らないとか、そういったものである。要するに、文章の体をなしていない。それは下手といっていいと思う。 文章として特段の瑕疵がない。言葉遣いは正しく文意も通っている。そういう文章なら、言葉を

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    kanimaster 2009/04/27
     「若気の至りである。先月のぼくはあまりに若かった。」
  • 少し長めの前フリと痴漢を減らす大味な方法論|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    痴漢はこれといって特別な犯罪ではない。 人を殴っちゃダメだというのとなんら変わらない。ただ、特別視する社会があるだけだ。それは、加害者にも被害者にもあまりいい影響を与えていないように思う。たとえば、ムシャクシャして人を殴る。たまたま同じ電車に乗り合わせた相手で、イヤフォンから漏れる音にイラっとしてやってしまった。その後喧嘩になるか、周囲の人を交えてひと悶着あるか、警察に引き渡されるか、殴られた方が泣き寝入りするかは分からない。いずれ示談になるかどうかして終わるケースが大半だろう。殴った方が社会的に干されるとか殴られた方がキズモノ扱いされるなんてことはまずない。 これが、殴り殺した、となると話は大きくなる。当たり前だ。裁判に量刑というものがあるように、社会的な風当たりにも程度問題というのはある。これが痴漢になるとどうも様相が変わってくる。まあ、性犯罪全般にいえることかもしれないけれど、酷くナ

  • 狭義の「リア充」幻想から自由になるために|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ぼくは「リア充」を、幸福な、目指すべきものだとは少しも考えていない。 ・ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない それはぼくが「リア充」という言葉をかなり限定的に捉えているせいでもある。たとえば、ぼく自身はネットはリアルだと思っている。が、「リア充」という言葉が想定するリアルは、たぶんネットを含まない。同様に、バイト先の同僚への好意はリアルでも、二次元少女へのそれは違うのだろうし、仕事で認められて自己実現することはリアルでも、ニコニコ動画でちやほやされることはリアルではないのだろう。要するに、ネットジャンキーたちが(自虐的な意味で)妬みの対象とするような「コミュ力を前提とした恋愛仕事の充実」が「リア充」の質だとぼくは思っている。 もちろん、こうしたメジャーな「幸福観」に染まれる人は染まればいい。実際に「リア充」に憧れて脱オタし、合コン恋愛セックス三昧の幸せな日々を送れる

  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

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    kanimaster 2009/04/15
    ここまで「真のリア充とは」コメントなし。
  • 「よろしかったでしょうか?」の違和感の正体|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    別に「日語の乱れ」なんて話をしようというのではない。 「よろしかったでしょうか?」は日語として正しいのか、みたいな話題はもう飽きるほどされてるんだろうと思う。ぼくは歴史的に正しい日語みたいなものにそれほど強い関心はないし、そもそもこれまで慣用的に使われてこなかった語法なり用法が、新しい表現として定着することにさして抵抗はない。あるのは一時の小さな違和感くらいだ。ただ、先のような過去疑問には、いまだ違和感が薄れていかない。理由ははっきりしている。これは来、「答えが用意された質問」だという思いがあるせいだ。だから、相手の意図を問うべき場面で使われると違和感を覚えてしまう。 たとえば、前以て喫煙ルームを予約したホテルのフロントで「喫煙ルームでよろしかったでしょうか?」と訊かれる。まったく違和感はない。これは「ぼくの意思の再確認」だからだ。或いは、久々に会った友人がスーパーの寿司コーナーで

  • 「なりたい自分」とあなたの価値|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「目標を持って生きよ」 この手の言葉には言外の圧力がある。補うなら「(立派な)目標を持って生きよ」…そんな圧力である。なりたい自分なんかあるものか。そういう人は、たぶん、(立派な)を勝手に補っている。当は、目標はある。きっとある。ただ、分不相応な夢物語だと思ったり、社会的価値がなかったり、漠然としすぎて具体性がなかったりする。だから、「なりたい自分なんてあるものか」ということになる。ならば、(立派な)を補完しなければいいのである。「なりたい自分」はある。もっとも漠然としたそれは「幸せな自分」である。定義はしない。自分にとっての「幸せ」でいい。 「なりたい自分」はあるとき具体的な像を結ぶかもしれないし、そうはならないかもしれない。ときとともに変化もするだろう。だから、終わりはない。そして、「社会的に価値ある自分」だけが「なりたい自分」だとは限らないし、そうである必要もない。運悪く反社会的な