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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (7)

  • 『ケータイ小説的。』 速水健朗 (原書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 ケータイ小説のブームは2006年の『恋空』をピークに鎮静したが、現在でも固定ファンに支えられて結構な部数が出るという。落ちつくべきところに落ちついたということか。 わたしはケータイ小説には興味はなかったが、佐々木俊尚氏の『電子書籍の衝撃』に活字に縁のなかった地方のヤンキー層が活字の面白さに目ざめたのがあのブームだったと指摘してあるのを読んで、なるほどそういうことだったのかと思った。 ただ、あまりにも腑に落ちすぎる指摘だったので、当にそうなのか確認したくて関連を読んでみることにした。 まず手にとったのは同じ佐々木氏の『ケータイ小説家』(小学館)だが途中で放りだした。 『恋空』の美嘉氏をはじめとする十人のケータイ作家のルポルタージュ集だが、ケータイ小説そのままの文体で書いてあるのである。対象となる作品のさわりが引用されているが、引用と地の文の区別がわからなくなるくらい

    『ケータイ小説的。』 速水健朗 (原書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 書評空間 : 紀伊國屋書店ピクウィック・クラブのブログ

    文学博覧会。それは我々人類の、言葉の軌跡と滾々と湧き出る想像力の可能性とを一堂に集結させた、果てない空間である。言葉を獲得した人類は、言葉によって歓び、怒り、悲しみ、闘い、慰められてきた。しかし一方では、言葉にすることさえできぬほどの圧倒的な自然や現実の前に屈することもあったであろう。それでも我々には想像力があった。たとえ黙することしかできない世界の前にあっても、我々の中にある想像力だけは永久に失われることはない。 不可侵の想像力をたずさえ、それを言葉へと昇華させた古今東西の文学作品約600点すべてに担当者がそれぞれ精読した上でのコメントとキーワードをつけ、それを40のパビリオンに振り分けた。ひとつひとつの文学作品を、言葉と想像力の大見市として構成したのがこの文学博覧会、「ぶんぱく'11」である。 文学史上類をみない熱い祭典が、ここにはじまる。 2011年4月1日〜5月31日 紀伊國屋書

  • 『三四郎』夏目漱石(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    kanimaster
    kanimaster 2009/07/10
     「完璧な小説」
  • 『三四郎』夏目漱石(岩波文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 ―未罪への遡及― 診察室で出会う人たちが読書家と知ると、「今、何を読んでいるの?」と尋ねないではいられない。先日、ある青年に恒例の質問をしたら、「『国富論』と『論語』を読んでいます」という返事が返ってきた。彼は、古今東西の名作とされる思想・哲学書を片端から読んでいくのを習慣とする。「話題になった時、知らなかったら格好悪いじゃないですか。『ああ、あれね』って言っておきたいわけですよ」と正直な青年は上目遣いに語る。 この対話に遡ること半年余、彼は夏目漱石の『文学論』を読んでいる。青年は、「僕は夏目漱石の小説は読んでいませんし、どんな人生を送ったのかも知りませんが、あの文学論を読む限り、あれじゃあ病気になります。精神が持ちません」と言う。そこまで言われたら、職業的意地が働いて、わたしも読まずにはいられない。 思い起こせば、それが漱石の水脈への第一歩だった。しばらくして、知人

    『三四郎』夏目漱石(岩波文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    kanimaster
    kanimaster 2009/07/10
    「話題になった時、知らなかったら格好悪いじゃないですか。『ああ、あれね』って言っておきたいわけですよ」
  • 『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「帰国」を説明する」 依然として書店の平積みコーナーを占拠し続ける書。つい最近も「ユリイカ」で水村特集が組まれたりして、日文学と英語のかかわりにこんなみんなが関心を持つのは良いことであるなあ、と筆者などは職業柄つい軽薄に喜んでしまうのだが、実際に読んでみると、けっこう変なである。そして、たぶん、そこがこのの持ち味。 出だしは明らかに私小説である。 「ユリイカ」のインタビューでも話題になっているが、日での自律神経失調症に悩む生活から、アイオワ大ワークショップでのややすさんだ滞在生活へと話が展開するあたり、日語論や英語教育論とは無縁、むしろいつもの水村節を、さらにきわどく押し進めたような自虐の語りで、病の匂いが強く漂う。 ところがふつうに読んでいくと、それが一見冷静な現状分析に引き継がれ、日近代文学の誕生の過程、「国語」概念の発生、「普遍語」の支配といった

    『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    kanimaster
    kanimaster 2009/02/12
    “この本は「論」ではない。水村美苗そのものなのである。” 深く切り込んだ書評。
  • 『夫婦善哉』織田作之助(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 人なみにあらたまった気持ちで新年を祝い、さて今年の行く末はと我にかえるが、自分のことはひとまず向こうへ押しやって、そわそわとオダサクで明け暮れるこの正月であった。 も子もある惣領の身で若い芸者の蝶子と駆け落ちし、勘当された柳吉は、それでもしばしば実家を訪れる。そんなときの蝶子は「水を浴びた気持が」し、いてもたってもいられない。なんとしてでも自分の手で柳吉を一人前の男にしようと苦労を決めこみ、ヤトナ(臨時雇いの女中兼芸者)稼業に精を出し、柳吉に小遣いを与えながら、自分は着物ひとつ新調せず切り詰めた暮らしの蝶子である。 まとまった金ができると、剃刀屋、関東煮屋、果物屋と店を構えてはたたむのくりかえし。はじめはやる気をみせる柳吉だが、そのうち飽き、放蕩の気が疼けば、蝶子がやっとの思いで貯めた金を一晩で使い果たす。 すると蝶子は気のすむまで殴る打つの折檻。朝のみそ汁の鰹節を

    『夫婦善哉』織田作之助(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    kanimaster
    kanimaster 2009/01/30
    丙午は明治39年。大正生まれの作者より年上のキャラ。
  • 『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村 美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「翻訳を切り口に国語の成立をたどる」 東京育ちで、両親も、その親も東京の人で田舎というものを持ったことのない私には、方言で育った人が標準語をしゃべるときの違和感は実感としてわからない。でも英語を話しているときは、それに似たものを思いっきり味わう。 英語は何事もはっきり言い切ることを求める言語で、曖昧さをゆるさない。そう思わない部分が少しあったとしても、「そう思います」と答えることで相手とのコミュニケーションがころがっていく。言い切った直後は日語で思い惑っていた自分を裏切ったような後ろめたさを感じるが、何度かそういう場面を繰り返すうちに、英語で話している人格が調子づいてきて、しれっと言い切れるようになる。ある言語を使うことは、その言葉がもっている論理や感情や感覚に入っていくことなのだ。 ビジネスが目的なら、割り切れる言葉で言うほうが商談がスムーズになるだろう。学問の世

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