タグ

ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (14)

  • 同じ罪? - Living, Loving, Thinking, Again

    『R25』の記事; 卒論に絵文字&完コピで准教授涙目 2015.01.17 1月になり、大学4年生にとっては、卒業論文を提出する時期が到来。そんななか、高千穂大学の准教授が、提出された論文が“他大学の学生の論文が完コピされていた”とツイッターで嘆き、ネット上で話題となっている。 ツイッター上で新年早々つぶやいていたのは、同大学の経営学部で組織戦略論を専門とする小林康一准教授。提出された卒論を読み進めるなか、 「っていうか、卒論に絵文字を使うな」 とイマドキの学生に呆れるツイートをしていた。だが、その後 「他大学の学生の論文完コピとはいい度胸してんじゃねぇか。知ってる大学だし、なんなら人お呼びして目の前で弁明してもらおうかな」 「行為自体も犯罪だけど、それをなんでこんなわかりやすくやっちゃうかなぁ・・・というか、これはテロか?自爆テロなのか?」 と、相当高い衝撃度の卒論に直面したことを告白

    同じ罪? - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2015/01/19
    そのうち「卒論にアフィリエイト」が出てくると思う。
  • 学研と学校 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 平成生まれはこれ知らないよな 昭和40年代頃、学研の「科学」と「学習」は、小学校で教材に準じた扱いになっていて、業者さんが校内(昇降口の中とか)で販売していた。子供たちは先生が配る集金袋にお金を入れて買いに行った。 「学研のおばさん」が配達するようになったのは、いつ頃からだろう? http://h.hatena.ne.jp/kanimaster/9259266018350023864 「業者さんが校内(昇降口の中とか)で販売していた」というのは憶えている。しかし、「先生が配る集金袋」というのは憶えていない。学校で配られる「集金袋」というのは、給費と修学旅行積立金くらいだったような気がする。 ブクマ・コメントを見ると、「Wikiによると学校への委託販売は1972年までだそうだから昭和でも40年代初頭くらいまでに生まれた人しか通じないだろうな」というのがあった*2。そうか、1972

    学研と学校 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「よろしかったでしょうか」はやはりよろしくない - Living, Loving, Thinking, Again

    http://anond.hatelabo.jp/20091010002215 http://d.hatena.ne.jp/terracao/20091011/8255893550 やはり「よろしかったでしょうか」と言われるとむかつく。 日語の「た」の問題については、数年前にフランス・ドルヌ+小林康夫夫の『日語の森を歩いて』を援用しながら、採り上げたことがある*1。ドルヌ+小林夫によれば、「た」は他のありようがありえないような確定性、排他的な断定性を表す。「退いた、退いた」という命令について、 一般には命令は、命令を発する人がいて、それを受ける人がいる。受ける人は、ある意味では命令する人に従属しているわけですが、しかしそれでもまだ「否」と言う可能性を持っています。命令には従わないこともできます。命令される人は、自分の主体性を確保しています。 ところが「退いた、退いた」の場合は、形か

  • よしもとばなな on 清志郎 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 よしもとばなな「思ったことをすぐ実行する力、うそをつかない生き方、ほんとうにありがとう忌野清志郎」『毎日新聞』2009年5月19日 その最後の部分を抜書き; (前略)こんなインチキな時代にインチキな大人たちを見て育ってきた私たちが、どんなに清志郎に救われてきたか。うそをつかない生き方をしながら作品を創ることが、どれだけ意味のあることか、教えてもらった。 私はあなたのファンの人たちと、全く同じ場所にいます。どんなに年を取っても、言っていることとやっていることが違って読者をいやな気持ちにさせることは、絶対しません。嫌われたり、いやな人と思われても、正直でいます。そして、いつまでもバカみたいな自由を夢見続けます。あなたを絶対に忘れません。血や肉になっているから、忘れようがない。…ほんとうにありがとう、清志郎。敢えてコメントはせず。 *1:http://d.hatena.ne.jp/su

    よしもとばなな on 清志郎 - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2009/08/15
    むずむずする。
  • ばななも - Living, Loving, Thinking, Again

    http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808 http://b.hatena.ne.jp/entry/www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808 よしもとばなな*1がいじめられている。これはひとつには、日人の多くが一生の裡に最低1度は居酒屋の店員をやったことがあり、それだけ感情移入がしやすいということなのだろう。また、彼女が一応有名人だから火が点いたということも考えられ、(例えば俺のような)無名人が同じようなことを書いたとしたら、ここまでみんな熱くなるか。 ブックマーク・コメントでよしもとばななをdisっている奴の殆どは的外れだと思う。よしもとばななが怒っているのは、持ち込んだワインを勝手に開けちゃったことを「店長」に叱られたということ自体よりも、「店長」の振る

    ばななも - Living, Loving, Thinking, Again
  • プリンスが - Living, Loving, Thinking, Again

    TSUTAYA onlineの記事; プリンス、宗教上の理由で手術を拒否2009年06月23日 10時30分 更新 Gauguins International プリンスは歩行困難を伴うでん部痛を長らく患っているが、「エホバの証人」の信者であることから、でん部の置換手術をためらっているという。「エホバの証人」は聖書の教義解釈から、「信者に輸血を禁じる宗教」として知られている。でん部置換の手術を受ける際、輸血は避けられないことが、「ひどい痛み」(関係者談)にもかかわらず、信仰心の篤いプリンスに手術を拒否させているのだという。プリンスのでん部痛の問題は、ファンの間ではここ数年の間ささやかれ続けてきた。最初に話題になったのは2005年ごろ。「秘密の手術」を受けたとされたが、良くなった気配は一向になく、6月8日に行われたニューヨークのアポロ劇場75周年お祝いイベントに姿を見せた時も、プリンスはお気

    プリンスが - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2009/07/08
    プリンスはエホバの証人だったのか。
  • ブランドの死? - Living, Loving, Thinking, Again

    http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/02/post-f5b3.html 原宿の「表参道ヒルズ」に閑古鳥が鳴いているという話から始まる。 そういえば、日に帰る度に原宿には必ず行き、「表参道ヒルズ」の近くは通るのだが、何故か知らぬが「表参道ヒルズ」に入ったことはなかった。そうだったのか。 さて、それから「ブランド」の話になる。ただ、読んでいて、個別の諸「ブランド」の話と「ブランド」一般の話が混同されている感じがした。また、「ブランド」について語られていることについても、今更という印象をちょっとは受けたのだ。勿論、「ブランド」について語るのは難しい。例えば、所謂ラグジュアリー・ブランドとコカ・コーラのようなマス・ブランドと企業ブランドを一緒くたに論ずることができるのかとか。 (前略)何かに駆られるように、「ブランド志向」に走ったわけだ

  • させていただく - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080909 店とかに日はお休みさせていただきますとかいう貼り紙が出ていると、ついつい俺はそんなこと頼んだ憶えはないぞとかそんなこと命令していないとか思ってしまう。とにかく不快な日語の言い回しではある。 このさせていただきますというのは元々近江の言い方で、江戸時代に近江商人が全国展開するとともに広まった。させていただきますならば、させてやる主体が存在する筈だが、近江商人たちは浄土真宗の篤信者だったので、阿弥陀如来にさせていただきますということだったのだが、やがて阿弥陀如来はどっかに行って、させていただきますという責任回避の言い回しだけが残った。どっかでこのようなことを読んだ記憶があるが、出典は思い出せない。 勿論、自己決定の重み、自己責任の重みが耐え難いというのは理解できる。そのために様々な文化的仕掛けがあるわけだが

    させていただく - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2008/09/10
    近江商人起源説。江戸時代にひろまった、というのはにわかに信じがたい。
  • 「「ケータイ小説」がベスト3独占」 - Living, Loving, Thinking, Again

    Skeltia_vergberさん*1に教えていただく。 『読売』の記事なり; 「ケータイ小説」がベスト3独占、07年文芸部門 2007年の書籍の年間ベストセラー(トーハン調べ)が4日発表され、女子中高生に愛読されている「ケータイ小説」が文芸部門のベスト3を独占、ベスト10では5作がランクインした。 文芸書が売れない中、“素人”が書いた小説が次々とミリオンセラーになる現状は、出版界に大きな衝撃を与えている。 集計期間は昨年12月から今年11月。1位は上下巻で累計200万部の美嘉著「恋空」(スターツ出版)。この作品は映画化され、公開1か月で240万人を動員する大ヒットとなっている。2位、3位には上下巻で計100万部のメイ著「赤い糸」(ゴマブックス)、美嘉著「君空」(スターツ出版)だった。 「ケータイ小説」は、携帯電話やパソコンのサイト上に横書きで発表される小説。5年ほど前に登場し、「魔法のi

  • 翻訳の可能性など - Living, Loving, Thinking, Again

    雄羊 (ちくま学芸文庫) 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,林好雄出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/11メディア: 文庫 クリック: 11回この商品を含むブログ (22件) を見るデリダの『雄羊』を少しずつ読み始める。2003年ハイデルベルクにおけるガダマー記念講演。 デリダは、ガダマーの「言語の限界」というテクストに言及し、 詩作品(poeme)は、翻訳不可能なものの最良の例であるだけでなくて、翻訳の試練に最も固有な、その試練に最適の場を提供しているのである。おそらく詩作品は、言語の経験、つまり特有語(idiome)――永久に翻訳に刃向かうものであると同時に、翻訳に訴えて、前代未聞の出来事に際してできるかぎりのことをするよう、不可能を可能にするように強く促すものでもある――の経験に適した唯一の場を設定するのだ。(p.14)「翻訳不可能」の問題に関して、

    翻訳の可能性など - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2007/11/05
    “「手話」は日本語とは独立した言語である” そんなことはない。
  • 信じるという動詞 - Living, Loving, Thinking, Again

    少し前の話ではあるが、所謂「ニセ科学」問題に絡んで、「科学」と「宗教」についての議論があった; http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070106/1168076907 http://d.hatena.ne.jp/rna/20070108/p1 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070108#p1 これらの議論とは直接は関係ないのだが、前々から思っていたことを言葉にしようと思う。〈信じる(believe)〉という動詞の奇妙奇天烈さ。こういうことは哲学ではとっくに議論されているのだろうけど、生憎分析哲学には疎いので、御存知の方は御教示されたい。〈信じる〉という動詞は如何にして使用されるのか。これも充分に変な文だとは思うが、 This is a pen. と言ってみる。これはペンがあるという知覚された事実をそのまんま述べている文だといえる。

    信じるという動詞 - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2007/01/25
    I believe in pen.
  • モラル崩壊? - Living, Loving, Thinking, Again

    海外にいるので、『クローズアップ現代』など視られないわけだが、〈日人のモラル崩壊〉について、2つの意見。 先ずは、http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1310380191/E20060801202336/index.html; 散人は、長く生きてきて、世の中を見てきたから断言できる。昔の日人の公共道徳は、まさに最低だった。地下鉄などの公共交通機関では、車両の扉が開くや否や、乗る乗客が争って中に乗り込む。降りる人はそのおかげで降りることすら出来ない。毎朝のラッシュアワーは、まさに格闘技の場だった。道路では皆われこそはとクラクションを鳴らすので、主要道路ではすさまじい騒音が鳴り響いていた。少年犯罪数は、現代よりもはるかに多く、はるかに凶悪だった。商店街での買い物は、まるで喧嘩。喫茶店の従業員はまるで教育が出来ていなかった。日

    モラル崩壊? - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2006/08/04
    確かにマナーの悪さは今に始まったことではないが、位相がずれてきただけなのかも。
  • 「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。」 - Living, Loving, Thinking, Again

    さっき届いたスパム。 たしか、数日前にナベ*1のところにも届いた筈。そのままtrash boxに放り込んでしまうのはちょっと惜しい; (前略) 自分のことを少し語ります。 昨年の夏、わけあって主人を亡くしました。 自分は…主人のことを…死ぬまで何も理解していなかったのが とても悔やまれます。 主人はシンガポールに頻繁に旅行に向っていたのですが、 それは遊びの為の旅行ではなかったのです。 収入を得るために、私に内緒であんな危険な出稼ぎをしていたなんて。 一年が経過して、ようやく主人の死から立ち直ってきました。 ですが、お恥ずかしい話ですが、毎日の孤独な夜に、 身体の火照りが止まらなくなる時間も増えてきました。 主人の残した財産は莫大な額です。 つまり、謝礼は幾らでも出きますので、 私の性欲を満たして欲しいのです。 (後略) ところで、シンガポールに「オオアリクイ」はいるのか。 *1:http

    「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。」 - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2006/07/27
    オオアリクイ・スパムメール。(元ネタ)
  • 懲戒免職か - Living, Loving, Thinking, Again

    最初『朝日』の記事を見たのだけれど、どうも詳しくない; 教え子にメール9百通「愛しています」 教諭を懲戒免職 2006年03月28日20時17分 「愛しています」「何年かたって機会があったら合体しましょうか?」といった内容を含む921通の携帯メールを教え子の女子生徒に送信したとして、神奈川県教育委員会は28日、平塚市内にある県立高校の男性教諭(53)を懲戒免職にした。 県教委によると、理科の授業を担当していた当時2年の生徒に04年6月から半年ほど送信し、うち約100通は勤務時間中だった。 保護者からの連絡で発覚したが、教諭が休職したため、調査が遅れたという。県教委は「2人で事に行ったことはあるようだが、教諭は恋愛感情は否定している」と説明している。 http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY200603280433.html 『読売』や時事

    懲戒免職か - Living, Loving, Thinking, Again
    kanimaster
    kanimaster 2006/03/31
    まじめな記事。
  • 1