“アンチ・カラヤン”が減った最初の理由が彼の肉体がこの世からなくなったことに由来しているとすれば、二つ目は時代がカラヤンを乗り越えて前に進んでいったことに求めてよいだろうと思う。カラヤンの先進性、新しいことに対してアグレッシブで完璧主義、ビジネスマンシップに富みテクノロジーに先見の明があるといった彼のライフスタイルは、今の時代ならば若者からお手本として崇められるような類のものだ。いや、崇められるなんて言うのは大げさにすぎるばかりで、当たり前の前提と思われてしかるべきなのかもしれない。 音楽的には古楽が聴衆の間で際物以上の存在として認められたこと、カラヤンのように人と違うことをやること、自己主張をすることを美徳とする音楽家が普通の存在になったことによって、カラヤンの音楽はいつの間にかオーソドックスの部類の入るようになってしまった。ある日、久しぶりにカラヤンの録音を聴いた僕の耳は、ほんとうに彼