英領ウガンダ計画(Uganda Scheme, British Uganda Programme)は、20世紀初頭にイギリス政府が、イギリス領東アフリカ(現在のケニアおよびウガンダ)の一部にユダヤ人国家を作ろうとした計画。 経緯[編集] 計画の打診[編集] 当時の植民地相であったジョゼフ・チェンバレンは、1903年春にイズレイル・ザングウィルの紹介でシオニズム運動リーダーのテオドール・ヘルツルと会っている。以来ユダヤ人たちのパレスチナへの植民活動に注目しており、同年前半にイギリス領東アフリカを視察した際にもシオニズム組織のことが脳裏にあった。チェンバレンは「もしヘルツル博士らが努力の方向を東アフリカに変えてくれるとしたら、ユダヤ人入植者に適した土地を見つけることに困難はないであろう」とアフリカ訪問の報告書に書いている[1]。 チェンバレンはシオニズム運動グループにアフリカでの母国建設を打診