地方豪族や下級貴族らの力によって朝鮮半島を統一した新羅は、当初、中央貴族だけによる政治から地方豪族たちも同様の権限を持ちうる律令体制へと政治体制を変えていった。しかし、しだいに旧貴族と新興貴族・地方豪族とが王権をめぐって抗争するようになり、さらには、貴族たちが私兵を使って武力による王位簒奪さえ行うようになった。中央の地方に対する関心は薄らいでゆき、反乱・内乱の起きる時代となっていった。 不十分であった律令体制もくずれていったものとみられる。 地方の対立抗争 889年、真聖女王のときに、地方の実情を無視して律令の規定する徴税を命じると、これに反対する蜂起が全国各地で起った。しかし、新羅王朝にはもはやこれを鎮圧する力がなく、中央とは関係なく地方勢力どうしの対立抗争が始まった。 892年ころに大きな勢力となっていたのは、次のものであった。 ・完山(現在の全羅北道全州市)の甄萱(けんけん) ・北原