文安五年(1448)四月十五日条 (『康富記』2─274頁) 十五日庚午 晴、 (中略) 鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之 (サイ) 處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ二 小宿ヲ一、令饗應山下予等了、不思寄嬖幸ニ遇者也、後聞、彼母者、細川野州被 官人吉良ト云者ノ妾也云々、 (後略) 「書き下し文」 鴨御蔭山祭なり、祭儀例のごとし、予密々に山下親衛禅門を伴ひ見物す、先に出雲路 の道祖神を過ぎり敬白するの処、或る女姓児女を懐かしむ、名を付けらるべきの由、 山下に申さしむるの間、即ち道祖(サイ)と付け了んぬ、其の母堂小宿を卜し、山 下・予等を饗応せしめ了んぬ、思ひ寄らざる嬖幸に遇ふ者なり、後に聞く、彼の母 は、細川野州被官人吉良と云ふ者の妾なりと云々、 「解釈」 今日は鴨の御蔭山祭である。祭儀はいつものとおりである。私