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ブックマーク / www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp (4)

  • 第一回国際シンポジウム(第二回研究会)・李成珪報告 - 明清史書の朝鮮記事に対する朝鮮の是正外交

    報告要旨 Ⅰ. 韓国歴史に対して中国は歴代の正史をはじめとする様々の文献を残しているものの、その中には皮相的なものもあれば不正確のものもあるし、時には故意に歪曲された叙述も少なくもない。他国人が自国の歴史を歪曲したり不正確に記録することが不愉快なことなのは言うまでもない。しかしながらその記録が現実の利害と直接に繋がっていない場合、それに対して積極的に是正を要求するまではしないのが普通であろう。筆者にしても、以前は管見によるかぎり東アジアの歴史上、'曲筆'の是正をめぐって外交戦が展開されたことは聞いていなかったが、最近朝鮮時代の学人たちの『史記』の理解に関する問題を調べているうち、一つの興味深い事件を遇目することになった。すなわち朝鮮英祖47年(1771)、平安道の儒生桂徳海が陳建の『皇明通紀』を所持したことで国王の自らの取り調べを受けた事件である。筆者は'理解に苦しむ'この事件の真相を明

  • 「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」

    「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」 研究科教授 現代史学  永井 和 はじめに 明治維新の際に、新たに成立した政府・国家の最も重要な政治理念として「天皇の万機親裁」なるものが定立され、それ以降約80年にわたり、日の統治制度はこの政治理念により大きく拘束されつづけた。しかし、この政治理念の定立とその現実化との間には少なからぬタイムラグがあった。なぜなら、天皇が日常的に万機を親裁する体制ができあがるのは、明治維新から10年たった西南戦争後のことだったからである。国立公文書館に所蔵されている明治期の太政官文書を用いて、このことを実証するのがこの報告の目的である。 「万機親裁体制」とは「国政上の重要事項すべてについて天皇が最終的決定権をもち、天皇の決裁によってはじめて国家意思が最終的に確定される、国家意思決定システムである」と定義できるが、それ自体は抽象的な存

  • 「朝鮮燕行使と朝鮮通信使」−1811年金善臣の通信行と1826年申在植の燕行を中心に− 夫馬 進

    「朝鮮燕行使と朝鮮通信使」 -1811年金善臣の通信行と1826年申在植の燕行を中心に- 研究科教授 東洋史学  夫馬 進 日では江戸時代にあたる時代、朝鮮の外交使節が行き交うルートとしては、ソウルを基点として二つの国際線がのびていた。一つは日の江戸へ向かうものであり、その使節は通信使と呼ばれる。もう一つは中国の北京へ向かうものであり、これを燕行使と呼ぶことにする。燕とは北京あるいは北京地域を示す雅名である。すなわち北京へ行く使節という意味である。 文献上で出てくる言葉としては、「燕行使」というのは普通ではない。むしろ正朝使や謝恩使などといった使節の目的を持って呼ばれることが普通であった。また汎称としては、「事大使」とか「赴京使」と呼ばれるのが普通であった。ただ、学術用語として現在、事大使なり赴京使なりを使うのが適当かどうかというと、恐らくは適当ではない。なぜなら現在および長い将来に

  • ニューズレター第3号

    ニューズレター第5号 夏もあと少しで過ぎ去ろうとしてます。皆様如何お過ごしでしょうか。 今回のニューズレター5号は、来る9月下旬に催される国際シンポジウムや、これまでの研究会の彙報を内容としています。今まで寄せられたご要望に応え、今号より彙報のスペースを若干増やしました。これからもいろいろご意見を寄せて頂ければ幸いです。 ■ 第3回研究会彙報 平成15年度初となる第3回研究会は、2003年5月30日(金曜)の午後6時から京都大学文学部陳列館1階会議室で行われ、藤井讓治氏より「江戸前期の日図について」というタイトルで、ご報告を頂きました。以下はその要旨です。 報告では、従来「慶長日図」とされてきた日図が、川村博忠氏が明らかにされたごとく寛永年間(1623-43)に2度作成されたものであることを確認したうえで、正保日図について以下の点を明らかにした。 ①、従来の研究では、正保日図は慶

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