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ブックマーク / jyunku.hatenablog.com (6)

  • 謎の極東簡易図書館ーー下田歌子編『和文教科書』に押された蔵書印ーー - 神保町系オタオタ日記

    初日に古猛者らと廻ったみやこめっせの古まつりも最終日ということで、また行ってきました。ヨドニカ文庫の戦前期教科書300円コーナーでしつこく猟書。2月の京都古書会館の古まつりの時に見つけたが結局買わなかった「極東簡易図書館蔵書」印のある源歌子編『和文教科書』2之巻がまだあった。せっかくなので拾っておく。 「大野一朗氏寄贈」とあるラベルや「有野図書館印」もある。発行年の記載はないが、ネットで読める久保貴子「下田歌子の『和文教科書』考ーー「六之巻 更科日記」を中心にーー」によれば、源歌子は下田歌子で2之巻は明治19年4月発行、21年11月再版である。また、日図書館協会から復刻版が出た『全国図書館に関する調査』(文部省普通学務局、大正11年10月)の「一覧表」(大正10年3月31日現在)によると極東簡易図書館は見当たらないが、兵庫県の私立図書館に有野図書館があり、明治40年9月設立である。

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  • 宮本常一の日記から見る戦後図書館事情 - 神保町系オタオタ日記

    常一の日記*1に出てくる戦後の図書館を見てみる。 昭和21年4月15日 それより西宮に行き田岡氏とはなす。田岡氏図書館長となる。 「田岡氏」は田岡香逸、「図書館」は西宮市立図書館と思われる。 昭和22年4月21日 バスで鳥取へ出て更に若桜行のバスにのり八東に行く。(略)坂尾正巳氏をとう。(略)坂尾氏は乃木、東郷の信者で、図書館など経営している。考はいいのだが視野は必ずしも広くないようである。(略)坂尾氏は山林経営家、出来ることなら更に高い理想を以て進んでいたゞきたいものである。 4月22日 朝、図書館を見る。下は山林組合になっている。(略)併し二階の書棚はあまりにも雑然としている。もっと整理出来ないものか。 「図書館」は不詳。戦後まもない頃の地方の私立図書館は、誰ぞでも調査は難しいかしら。 昭和23年2月7日 鳳−西宮。(略)清文堂へ寄って中江君にあい、郷里の図書館へ送るを18冊注文

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  • 宮本常一と三角寛 - 神保町系オタオタ日記

    常一の日記*1によると、 昭和41年1月31日 アチックへゆく。かえりに渋谷で『木佐木日記』『岡太郎の眼』などを買う。『サンカ物語』も。これは『サンカの社会』よりもおもしろい。私はこれほど1つのものを追いかけたことがない。 とある。『サンカ物語』は、三角寛『山窩物語』(読売新聞社、昭和41年1月)のことと思われる。三角寛『サンカの社会』は朝日新聞社から昭和40年11月刊行。 宮がサンカについて、書いたものとしては、「サンカの終焉」(『山に生きる人びと』(未来社、昭和39年1月)所収)が知られている。宮はそこでは、 なおサンカについては三角寛氏の厖大な研究があるが、私はまだそのことについては何もうかがっていない。 と記している。個人的には、宮には三角サンカについてもっと言及してほしかったが、学者としては深入りしなくて正解であった。 ところで、筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(

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  • 小野賢一郎と東京日日新聞の伝書鳩利用計画 - 神保町系オタオタ日記

    黒岩さんの『伝書鳩』(文春新書)に出てくる東京日日新聞による菱田少将の「鳩の講演会」や「伝書鳩利用計画」。東日の記者だった小野賢一郎が関係していたらしい。『明治・大正・昭和』(萬里閣書房、昭和4年4月)所収の「鳩通信の話」によると、 (大正九年)六月二十一日、水戸市に於て鳩通信の講演会を開いた。 中野では陸軍々用鳩調査委員会事務所が出来て、フランスから教官を招聘し研究してゐた時代である。まだ長距離の練習はやつてなかつたが、菱田少将が鳩を携へて来て、東日の屋上庭園から放すや中野の鳩舎に戻つたといふのでビツクリして記事に書いたことがある。その縁故から菱田少将と相知つたのと、山社長が鳩に非常な興味を有つて奨励されたのが一つの原因、また、私自身が小鳥が好きで少年の頃から鳥や兎を飼つてゐた等々の興味から、通信鳩を使つてみやうといふことになつた。/(略)/この鳩の講演会は諸方でやつた(略) 新聞社が

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  •  図書切符と書籍切手 - 神保町系オタオタ日記

    「古書の森日記」に出てきた博文館発行の雑誌と書籍のみ引き替えられるチケットとしての「図書切符」。似たような「書籍切手」について、森銑三が『明治東京逸聞史』に書いていた。 書籍切手(同上[開花新聞]十七・三・二十五) 同紙に、兎屋で書籍切手を拵へたことを報じてゐる。 「広告の親玉銀座の岩谷につゞいて、開花の商人南鍋町の兎屋にては、今度書籍切手を発行し、十銭以上百円まで、数種に分かち、望みの書物及び法帖と引換へらるゝ由、進物などには至極重宝なり」 商品切手の歴史は知らないが、にんべんなどでは、旧幕時代から、もうしてゐたやうに思ふ。 明治17年には「書籍切手」が存在していたらしい。「にんべん」とは、どういう意味だろう。 - ちくま新書から9月10日発売予定の島薗進『宗教学の名著30』。『ちくま』9月号によると、「哲学、歴史学、文学、社会学、心理学など多領域から宗教理解、理論の諸成果を取り上げ、現

     図書切符と書籍切手 - 神保町系オタオタ日記
  • 2007-01-03

    最近、評伝とか、伝記とかを読むのが好き。 そのせいか、書店で皆川ゆか 『評伝シャア・アズナブル 《赤い彗星》の軌跡』(講談社)なんてのを見かけたら、思わず買いそうになってしまった。×××××ガンダム世代のわしとしては、今でもガンダム大好き。 『秋田雨雀日記』第1巻には、図書館ネタもある。 大正15年10月29日 温い。図書館の岡田健蔵、大橋君、三木君なぞがきた。また石川君の墓を訪う。墓前で撮影した。夜、商業会議所で、林、小林二新聞主筆、岡田図書係長主催の招待会にのぞんだ。非常な盛会だった。夜十一時ごろ札幌へ。 函館図書館の岡田健蔵は、二度目(9月4日参照)の登場。 「石川君」は石川啄木のこと。立待岬の墓は、私も行ったことがある。でも、啄木に興味があったわけではなく、単に「るるぶ」に名所旧跡として挙がっていたのでついでに見ただけ。 追記:何ヶ月か前に「柴田宵曲」で何件かアクセスがあったので、

    2007-01-03
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