豊かな自然に恵まれ かつて岡倉天心が 「東洋のバルビゾン」と称し 日本美術を世界に発信した 五浦(いづら)の海。 ごつごつとした岩がそびえる 崖の上に 赤い小さな建物があります。 天心が建てた六角堂です。 東日本大震災で 流失してしまったため 正確には 再建されたものです。 多くの芸術家たちを魅了し 創作の源となってきた 場所でもあります。 西洋を追いかけるばかりの 近代化の動きに疑問を 投げかけた天心。 伝統と切り離されず 自然と一体となった 生活のなかでこそ 生まれる芸術がある。 そう考えた天心が すでに近代化著しかった 東京を離れ五浦に移り住んだのは 明治36(1903)年 40歳のときのこと。 その2年後には自らの設計により 邸宅と六角堂を建築し 横山大観らを呼び寄せます。 五浦で画家たちを指導しながら ボストン美術館の要職に就任。 西洋美術と東洋美術が異なる価値観を 持ちながらも