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ブックマーク / dennou-kurage.hatenablog.com (11)

  • 学習院大学卒業生代表による謝辞への違和感 - 脱社畜ブログ

    学習院大学国際社会学部の卒業生代表による謝辞が話題になっている。 www.univ.gakushuin.ac.jp 話題になっているのは上のリンクの謝辞①のほうで、一部では「ロックだ」と褒める声も散見される。僕も読んでみたが、正直なところ、かなり違和感を覚えた。少なくとも、僕には到底「ロック」なものには思えず、むしろこの謝辞の背後に隠れている価値観のひとつは老害的ですらあると思う。 勘違いされそうなので少し詳しく書いておきたいのだが、僕は決して「謝辞なのに誰にも感謝をしていない」という点を問題だと思っているわけではない。むしろ「感謝する相手なんて思いつかない、強いて挙げるなら自分自身だ」という主張だけ取り出すなら、これはまあひとつの主張として成立はすると思う。たとえば、この人が「謝辞の挨拶になると、誰もが当は感謝なんてしてない人に対しても上辺だけは感謝の言葉を述べる。それは茶番だ、こんな

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    kaos2009
    kaos2009 2020/03/26
  • 校則がアホらしいということはたぶん教師もわかっている - 脱社畜ブログ

    こちらを読んで。 headlines.yahoo.co.jp 校則によく現れる謎の文言に「〜らしい」とか「〜にふさわしい」というものがある。僕が通っていた公立中学校の生徒手帳にも、「中学生にふさわしい服装」とか「中学生にふさわしい髪型」といった表現が頻出していて、中学生の時は大いに反感を覚えた。この手の玉虫色の表現を使えば、反抗的な生徒をいかようにでも指導することができる。こういう校則を一方的に押し付けてくる教師は、とんでもなくズルい存在だと当時は思った。 その頃からもう約二十年ぐらいが経過したことになるが、いま思い返しても、やはりこの手の校則はアホらしいと思う。冒頭に挙げた記事を読んで、真っ先に湧き上がってきたのは「まだやってたのか」という呆れと、現役の中学生や高校生に対する同情だ。それと同時に、僕は生徒だけでなく、教師に対しても同情した。中学生だった頃の僕は教師一人ひとりが気でこの手

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  • 裁量労働制になったら、働き方は何も変わらずに残業代だけ減った話 - 脱社畜ブログ

    首相が国会で言及した厚労省のデータが不適切だったという問題を皮切りに、いま裁量労働制が話題である。裁量労働制は実際にその適用下で働く労働者も含めて非常に誤解の多い制度であり、問題点も多い。裁量労働制の何が問題なのかという話については、以下の記事が非常にわかりやすかったので詳細はそちらを参照して欲しい。 僕自身の話をすると、裁量労働制には苦い思い出がある。一応、僕は新卒でとある大手インターネット系企業に就職して2年間ほど会社員として働いたことがあるのだが、そのうち1年ぐらいは裁量労働制の契約で働いていた。これは新卒であの会社に入社した社員の一般的なパターンで、数ヶ月の研修を終えて現場に配属されると、1年弱は裁量労働制でない契約で働き、その後少しだけ昇進して裁量労働制が適用になる。僕もこのお決まりのコースに乗ったというわけだ。 僕が配属された部署はとあるウェブサービスを開発・運営する部署で、そ

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  • ネットの「ゴミ医学情報」をそろそろ何とかすべき - 脱社畜ブログ

    こちらの記事を読んで。 【速報】Google「被リンクからオーサーランクに移行する」SEO業者全滅か!? | 面白ニュース!netgeek とっても有名な話だけど、Googleの検索結果はそのページの「被リンク数」に基づいたページランクと呼ばれる仕組みによって順位付けがされている。実際にはそれ以外の情報も考慮しているのだろうけど、根幹にあるのはこれだ。被リンク数が多いということは、それだけみんなに参照されているから有用な情報だろう、という推定がこのアルゴリズムを支えている。上の記事は、そんな検索結果表示のアルゴリズムを被リンク重視のページランクから、著者の信頼度重視のオーサーランクに移行するというもので、サイト運営者にとってはなかなか衝撃的なものだ。 Googleの検索結果表示アルゴリズムが変更されるたびに、SEO業者が全滅するとかブログで収入を得る道はやっぱり安定しないとかそういう話が出

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    kaos2009
    kaos2009 2014/05/15
  • 2ちゃんねる転載禁止騒動を「可処分時間の奪い合い」という視点から考える - 脱社畜ブログ

    2ちゃんねるで「転載禁止」のローカルルールを設定する板が相次いでいることで、いわゆる「2ちゃんまとめサイト」に激震が走っている。 2ちゃんねる「転載禁止」の流れが拡大 大手まとめブログ「痛いニュース」も巻き込まれる : J-CASTニュース 「転載禁止」のルールがまだ敷かれていない板の書き込みをまとめたり、twitterユーザーの反応をまとめたり、出処のよくわからない「ネットの反応」を載せてみたり、対応方法はサイトによってさまざまだが、いずれも読者の多くはこれらのやり方に対して「迷走」という評価を下しているようだ。コメント欄も荒れに荒れている。 今回の騒動は、構造としては普通によくある話だ。たとえば、何らかの外部APIに依存するようなWebサービスを運営していたとして、APIの提供が終了すればそのサービスは死ぬ。あるいは、今僕はこうやってはてなブログを使ってブログを書いているが、これだって

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    kaos2009
    kaos2009 2014/03/07
  • 「努力する」のは最後の手段 - 脱社畜ブログ

    努力は大切だ。そんなことは、わざわざ言わなくても誰でも分かっている。仕事でも勉強でも、頭ひとつ抜き出た結果を出したいのだったら、多かれ少なかれどこかでは努力しないといけない。活躍している人は、やはりどこかで努力はしている。悲しいけど、世の中は概ねそういうことになっている。 ただ、このように努力の価値が重要だと思う一方で、僕は安易に努力してしまうというのもあまりよろしくないと思っている。努力しなくて済むなら、なるべく努力はしないほうがいい。努力するのはなるべく先延ばしにして、当に努力しないとどうしようもない段階になってはじめて努力する――そんなふうに、努力するのは「最後の手段」にしておいたほうが、実はよいと個人的には思う。 なぜこんなことを言うのかというと、努力そのものが目的になってしまっているような人を割と頻繁に見かけるからだ。僕がまだ会社で働いていた時の話だが、ものすごくやる気に満ち満

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    kaos2009 2014/01/21
  • 「論理」だけで人は説得できない - 脱社畜ブログ

    他人を説得しようとする時に、その人を「論破」してしまう人がいる。 そうしたくなる気持ちもわからないではない。「説得する」というのはすなわち相手に意見を変えさせるということなので、素朴に考えると相手に意見を放棄させればいいということになる。もっとも、このやり方がうまくいくことはそんなにない。どんなに正論でも、意見を否定されると人はいい気持ちにはならない。実際にはそれはあくまで「意見」の否定でその人の「人格」を否定したわけではないのだけど、多くの受け手はそんなふうに好意的に解釈をしてはくれない。 AさんとBさんがお互いの意見を聴衆に向かってスピーチして、聴衆がどちらか正しいか決める、というのであれば「論破」もいいだろう。AさんがBさんを論破した結果、Bさんはとても嫌な気分になるかもしれないけど、この場合の意思決定権者はBさんではないのでまあ問題はない。しかし、「説得」の場合は意思決定をBさん自

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    kaos2009
    kaos2009 2013/11/30
  • ネットで人に「死ね」ということについて - 脱社畜ブログ

    色んなところで、色んな方が意見を書いているけど一応。 岩手県議:小泉氏死亡、自殺か 病院非難でブログ炎上 http://mainichi.jp/select/news/20130625k0000e040160000c.html 「死ねばいい」小泉県議の死を願った人々 http://togetter.com/li/524076 今回のニュースを見ていて、ふとネットをはじめたころのことを思い出した。 僕がネットをはじめたのは大体2000年前後で、当時はまだ今のように高速回線も普及しておらず、ブログなんてものもまだ登場していなくて、ネット上にはどこにでもいる個人の作ったホームページが溢れていた。個人ホームページには大体掲示板が設置してあって、流れ着いた人が「初カキコです」みたいな感じで書き込んで、他愛もない交流を楽しんでいた。中には議論をふっかけてくるような人もいたような気がするが、議論をするに

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    kaos2009
    kaos2009 2013/06/27
    匿名どうしの「死ね」と、名前を出されて自分を特定された上での「死ね」は受け取る重みが違うと思う
  • 地下鉄の24時間運行なんてやめておけ - 脱社畜ブログ

    昨日、思わず背筋が凍るようなニュースを見つけてしまい、朝から憂だった。 都営地下鉄を24時間運行 3大都市圏に特区検討 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1505J_V10C13A4MM8000/ 都営地下鉄だけでなく、都バスまで24時間運行を検討しているらしい。「利便性」だけ考えると、終電が無くなって電車やバスが24時間走るようになるのは決して悪くないように見える。確かに、例えば金曜日の夜とかに友人と飲んでいて、あっという間に終電の時間が来てしまって、ちょっと名残惜しい気持ちになったりすることはある。 もっとも、終電には「区切り」を作るという重要な役割があることを忘れてはならない。特に、労働環境が劣悪で深夜残業が常態化している会社が山ほどある我が国においては、終電によるタイムリミット効果は多かれ少なかれ確実に「ある」と思われる。そもそもこの計画

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  • 「容疑者」=「犯人」ではないという当たり前の話 - 脱社畜ブログ

    誤認逮捕で話題になった遠隔操作ウイルス事件で、真犯人と疑われる男性が逮捕され、またもやこの事件に関する注目が集まっている。 遠隔操作ウイルス 都内の30歳男に逮捕状 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130210/k10015420371000.html 遠隔操作事件で男を逮捕 容疑を否認 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130210/k10015423131000.html 悲しいことに、日では容疑者として報道されると、それはもう犯人として報道されたことと同じになってしまう。刑事訴訟法には「無罪推定の原則」というものがあって、被告人は有罪判決が確定するまでは無罪として扱われるはずなのだが、日のマスコミはそんなことお構いなしで、警察に逮捕された時点で容疑者が否認したとしても犯人であると決めつけ、その人の私生活やら卒業

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    kaos2009
    kaos2009 2013/02/12
    なかなか難しいけど一人ひとりが意識変えるしかない
  • 給与・待遇に比例しない責任がなぜ正当化されるのか - 脱社畜ブログ

    数日前に話題になった、ヨーカ堂の「正社員半減」に関するニュースを読んでいたら、そのあまりにも酷い中身に腹が立ってきた。 ヨーカ堂「正社員半減」の挑戦 パートに託す命運 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1902K_Z11C12A2000000/?dg=1 ヨーカ堂のやっていることは、単なる業績悪化に伴う人件費削減にすぎないのだが、それがまるで美談であるかのような書きっぷりをしているところが、いかにも日の「労道」という感じがする。給与や待遇よりも、やりがいがある仕事を与えることが一番いい、とでも言うかのような書きっぷりである。 特に酷いと思ったのが、以下の部分。 能力とやる気を引き出すには正社員以上に強烈なインセンティブが必要だ。今回の改革でも上級職「ベストリーダー」を新設する予定だが「給与体系の見直しなどはこれから」(ヨーカ堂)。 人件費を抑えな

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