義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入 これまた賛否両論の事例である。私としてはやはり、動機や方針、結果、効果、効用はどうあれ、「生来のもので自分が望んだわけではない、自分の意志や努力では治したり変えることのできない特徴や欠陥を『売り』にして世間に認知してもらうこと」に対しては、たとえその本人が望んだことであったとしても、とうていポジティヴな評価はできない。まして、それに性的な要素が含まれていればなおさらである。 ある特徴なり欠陥なりを貶めるか蔑むか、避けるか排除するか攻撃するか、認めるか萌えるか楽しむか笑うか持て囃すか羨むか、いずれにしても、それらが結局は世間(の多数派)の評価にもっぱら依存していて、それに依存しなければ社会的にも認知されてアイデンティティを持つことができず、しかしそれ以外の手段が実質ほとんど無く選択肢も与えられていないという状況において、無邪気にそれをアピールして居